若い人は、年寄りを揶揄してそう呼ぶが、これは、自分も若いときには、年寄りにそんな憎まれ口を叩いていたのだから仕方のないことで、順に送りである。
今、糞じじいだの、糞ハゲだのと言っている若者も、やがては言われる側にまわるのだ。「光陰矢の如し」と言うが、過ぎ去ってみると、なんと速いことか。「俺はまだまだ若い」と、うかうかしていたら、周りの連れが一人消え、一人旅立ちして、気がつけば自分の頭髪は真っ白になっていて、次は自分が去る番に来ている。
年寄りは、若者を羨むことはない。若者は年寄りの経験はないが、年寄りは若い時代を通りすぎて来たのだから経験済である。
とは言え、一つ「歳を取るんじゃなかった」と、後悔していることがある。もっとバイクを乗り回したいと思いながら歳を取ってしまったことだ。(群れて暴走はしなかった)
開通したばかりの神戸(こうべ)の自動車道は周りに人家がなく、深夜、車も殆ど通らなかった。パトカーも白バイも、ましてや鼠捕りにもお目にかからず、走りは快適であった。そんな道路で、一体時速何キロで走っていたのやら、ここでは年の所為で忘れたことにしておこう。
二輪の免許は、高校生のときに取った「軽自動車」と言うものだった。これが最終的には、免許制度の改訂により勝手に「大型自動二輪」になった。二輪なら容積に関わりなく全て乗れる免許証である。
最初に乗ったのは、シルバービジョン(250cc)という三菱のスクーターで、明石の運転免許試験場での実地試験に使ったのがそれと同じであった。試験は一日で学科試験から実地試験、適正検査もして合否もその日の内に知らされた。免許証は、一週間ほど後に受取りに行かされたように記憶する。友達と二人で、明石駅から出ているバス代を倹約して、山陽電鉄の大蔵谷駅から、エッチラエッチラと坂道を歩いた記憶がある。
今は、楽しそうなライダーブログの写真を見て、若き楽しかった古を偲ぶばかりである。
今、糞じじいだの、糞ハゲだのと言っている若者も、やがては言われる側にまわるのだ。「光陰矢の如し」と言うが、過ぎ去ってみると、なんと速いことか。「俺はまだまだ若い」と、うかうかしていたら、周りの連れが一人消え、一人旅立ちして、気がつけば自分の頭髪は真っ白になっていて、次は自分が去る番に来ている。
年寄りは、若者を羨むことはない。若者は年寄りの経験はないが、年寄りは若い時代を通りすぎて来たのだから経験済である。
とは言え、一つ「歳を取るんじゃなかった」と、後悔していることがある。もっとバイクを乗り回したいと思いながら歳を取ってしまったことだ。(群れて暴走はしなかった)
開通したばかりの神戸(こうべ)の自動車道は周りに人家がなく、深夜、車も殆ど通らなかった。パトカーも白バイも、ましてや鼠捕りにもお目にかからず、走りは快適であった。そんな道路で、一体時速何キロで走っていたのやら、ここでは年の所為で忘れたことにしておこう。
二輪の免許は、高校生のときに取った「軽自動車」と言うものだった。これが最終的には、免許制度の改訂により勝手に「大型自動二輪」になった。二輪なら容積に関わりなく全て乗れる免許証である。
最初に乗ったのは、シルバービジョン(250cc)という三菱のスクーターで、明石の運転免許試験場での実地試験に使ったのがそれと同じであった。試験は一日で学科試験から実地試験、適正検査もして合否もその日の内に知らされた。免許証は、一週間ほど後に受取りに行かされたように記憶する。友達と二人で、明石駅から出ているバス代を倹約して、山陽電鉄の大蔵谷駅から、エッチラエッチラと坂道を歩いた記憶がある。
今は、楽しそうなライダーブログの写真を見て、若き楽しかった古を偲ぶばかりである。