8703の部屋

「ハナマルサンの部屋」です。音楽、スポーツ 世相 等々 気ままに綴ります

人口減

2014-11-04 10:26:51 | 日記
先日、三笠市役所勤務のS君が三笠市が抱える悩みである財政難、そしてその要因でもある人口減に付いて語ったてくれた。8703は「三笠市に限らず、北海道の多くの地方都市は財政難であり、岩見沢市も同様で、人口も減っているのが現実である」このやりとりを隣で聞いていた元岩東高教諭であったNさんが「岩見沢市の人口が減っているなどとは信じられないことだ、とても良い街ですよ!」とのこと。8703は「たしかに良い街です。ただし冬の豪雪が無ければね」と答えた。続いて札幌市内の一等地でマンション住まいのNさんは「冬の北海道で雪は仕方がないこどでしょう」と言った。Nさんは岩見沢を離れてから長いので、近年の未曾有なる豪雪の実態を知らないようなので、3年前の悪夢のような状況を説明し、それを機に岩見沢を去った知人がいること、したがって企業誘致もままならぬこと、岩見沢市内へあえて移住してくる人も少ないことなどを言うと、さすがにNさんも「そういうことか、大変だな」となり、更に話は「岩見沢東高校の学級減」の話題に移ったが、このことと豪雪との関わりにまでは言及されず、むしろ他の要因、特に少子化が主であろうが、「それだけでは無いであろう!」ことも強調されていた。
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卒業35周年記念パーティー

2014-11-02 10:11:49 | 日記
本日、「ホテルロイトン札幌」にて開催されるパーティーに出席する。北海道岩見沢東高等学校第53期卒業生の「卒業35周年記念パーテイー」である。厳密に言うと昭和54年(1979)3月の卒業生で、8703は3年F組の担任であった。そして、この学年がいわゆる「共通一次試験元年」と言われ、生徒共々四苦八苦したものである(最も苦労したのは生徒たち)。

昨日から分厚い卒業アルバムを何度か見開いている。何せ35年前のことであるから記憶を呼び起こすのも大変である(笑)。少しでも、当時の顔と名前を一致させておこうとの想いであったが、我が担当クラス40名(男35女5)でさえ、「えっ、こんな生徒いたっけ?」という状態なので280名ほどを網羅することは不可能である。しかし、担任クラスと合唱部の生徒については何とか全員の氏名と顔の確認が出来た。ただし、彼ら、彼女らの現状いかんによっては「あなたはどなた?」があるに違いないと思われる(35年ぶりに会う人もいるので)。

当時の卒業アルバム写真は大変充実していて、学級、クラブ、学校行事等々、実に細やかに記録されていて見応えがある。したがって、できることならば今日の会場へ持参しようかと思ったのだが、病み上がり(ギックリ腰)の身には、重く(2~3kg)大き(36cm×26cm)過ぎるので諦めることにした。

合唱部の写真を見ると、部員は坂下徹君(部長)以下63名(男26女37)。恐らく全員が映っているはず(3年生は20名?)。そして思い出したのがこの学年(昭和53年)からNコンへの出場をやめて、全日本合唱コンクールに出場することになった。前年(昭和52年)まではNコンにのみ出場していたのだが、部員数が増えたために何名かが本番のステージに立てないことになり、その人選に大変苦労した。そこで、人数制限の無い全日本のB編成に絞ることにした。

そして、北海道大会初出場で金賞を得た。しかし、代表は滝川高等学校となり、金賞には大喜びしたが全国へ行けない悔しさをもチョッピリ味わうことになった。そして翌年(昭和54年大橋英明部長)、全日本合唱コンクール全国大会への初出場を果たしたのである。場所は神奈川県民ホール、すべてが初めての経験であったが、8703の記憶で最も鮮烈に残っているのは、現地で何度か経験した全員での電車移動のことである。乗り遅れ、乗り越し、行方不明・・・があっては大変、という心配であった。しかし、同行してくれた副顧問の上田外昭先生やOB諸氏の絶大なる支援、協力を得て無事に全行程を終えた。そうそう、曲は「itene o miei sospiri 」と「BonBonBonBonBon」でした(笑)
コメント (2)
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