8703の部屋

「ハナマルサンの部屋」です。音楽、スポーツ 世相 等々 気ままに綴ります

卒業35周年記念パーティー

2014-11-02 10:11:49 | 日記
本日、「ホテルロイトン札幌」にて開催されるパーティーに出席する。北海道岩見沢東高等学校第53期卒業生の「卒業35周年記念パーテイー」である。厳密に言うと昭和54年(1979)3月の卒業生で、8703は3年F組の担任であった。そして、この学年がいわゆる「共通一次試験元年」と言われ、生徒共々四苦八苦したものである(最も苦労したのは生徒たち)。

昨日から分厚い卒業アルバムを何度か見開いている。何せ35年前のことであるから記憶を呼び起こすのも大変である(笑)。少しでも、当時の顔と名前を一致させておこうとの想いであったが、我が担当クラス40名(男35女5)でさえ、「えっ、こんな生徒いたっけ?」という状態なので280名ほどを網羅することは不可能である。しかし、担任クラスと合唱部の生徒については何とか全員の氏名と顔の確認が出来た。ただし、彼ら、彼女らの現状いかんによっては「あなたはどなた?」があるに違いないと思われる(35年ぶりに会う人もいるので)。

当時の卒業アルバム写真は大変充実していて、学級、クラブ、学校行事等々、実に細やかに記録されていて見応えがある。したがって、できることならば今日の会場へ持参しようかと思ったのだが、病み上がり(ギックリ腰)の身には、重く(2~3kg)大き(36cm×26cm)過ぎるので諦めることにした。

合唱部の写真を見ると、部員は坂下徹君(部長)以下63名(男26女37)。恐らく全員が映っているはず(3年生は20名?)。そして思い出したのがこの学年(昭和53年)からNコンへの出場をやめて、全日本合唱コンクールに出場することになった。前年(昭和52年)まではNコンにのみ出場していたのだが、部員数が増えたために何名かが本番のステージに立てないことになり、その人選に大変苦労した。そこで、人数制限の無い全日本のB編成に絞ることにした。

そして、北海道大会初出場で金賞を得た。しかし、代表は滝川高等学校となり、金賞には大喜びしたが全国へ行けない悔しさをもチョッピリ味わうことになった。そして翌年(昭和54年大橋英明部長)、全日本合唱コンクール全国大会への初出場を果たしたのである。場所は神奈川県民ホール、すべてが初めての経験であったが、8703の記憶で最も鮮烈に残っているのは、現地で何度か経験した全員での電車移動のことである。乗り遅れ、乗り越し、行方不明・・・があっては大変、という心配であった。しかし、同行してくれた副顧問の上田外昭先生やOB諸氏の絶大なる支援、協力を得て無事に全行程を終えた。そうそう、曲は「itene o miei sospiri 」と「BonBonBonBonBon」でした(笑)

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2 コメント

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こんばんは、ひさびさにコメントします ()
2014-11-03 00:11:12
こんばんは、ひさびさにコメントします

私、津軽の音素材「四季」より春

横浜に聴きに行きましたよ

私も東京で浪人中でした(聴きに言ってるから第1志望~第3志望まですべて落ちたのかも (-_-;) )

順位はともかく、この時の演奏良かったですね。これが後の岩手での全国大会「青猪の歌」からみちのく につながったのでしょうね。当時の岩東はすごすぎた!
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ありがとうございます (8703)
2014-11-04 08:37:33
当時の岩東合唱部の演奏を聞いてくださったのですね。ありがとうございます!現在も合唱活動をされている方でしょうか?これからも岩東合唱部&OB会、混声合唱団「樹」をよろしくご支援下さい。
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