前稿において、私の合唱歴の概略を記載してみた。その道筋を辿りながら、思いつく事柄を記述してみたい。
まず、最初に気づいたことが1960年(昭和35年)スタートということである。中学、高校で授業以外での合唱経験はなく(実際は、授業でもほとんど合唱はなかった)、大学に入ってからは、合唱の講座は受けていたが、合唱団に正式に所属したのは1960年4月であった。はなはだ遅いスタートではあったが、年月を重ねて、なんと今年が60年目を迎えたことになる。ということにも気が付いた。
最初に所属した学芸大学岩見沢校混声合唱団は、団員のほとんどが音楽研究室所属の学生で構成されていて、指揮者は大学の教授(声楽)でもあった荒又綾子先生、そして、非常勤講師であった武藤敏郎先生が副指揮者的存在であった。同じ研究室仲間ということもあって、とてもチームワークの良い団体であった。合唱連盟主催のコンクールにも出場していたので、夏休みには合宿もやっていた。合宿中の夜、猛暑の学生寮から抜け出して、男子一同で遊泳禁止の大正池で泳いだこともあった。懐かしい思い出である。
大学生活の後半は、札幌校で過ごした。このころは、それほど合唱に熱くなっていたわけでもないが、何故かグリークラブ(男声合唱団)に所属した。そして、突然、音楽専攻生というだけの理由で副指揮者に指名された。それまで、指揮の経験は皆無であったが断固固辞する理由も見当たらず、引き受けてしまった。そして、最終学年ではトコロテン式に、正指揮者となったのだが、不慣れで、不熱心な指揮者であったので、当時の仲間には迷惑をかけてしまった。しかし、指揮者としては悩みながらも、同じころに、札幌ジングアカデミー、札幌放送合唱団、アポロ男声合唱団(小樽市)などで歌う機会を得て、貴重な経験をさせていただいた。