久しぶりに乗った札沼線(現 学園都市線)は、あれよあれよという間に石狩当別駅に着いた。時間にして約40分、驚きの連続であった。まずは、駅の数が増えていることに驚いた。8703が当別在住の頃は、札幌~桑園~新琴似~篠路~釜谷臼~石狩太美~石狩当別となっていたが、今や、倍以上の数になっていた。そして、当時は篠路から石狩川の鉄橋までは、人家はほとんど無く一面原野であったのが、今では人家が立ち並び、札幌からほとんど切れ目無く町並みが続いている様は、まさしく隔世の感を覚えるものであった。そして、更に驚いたのは石狩当別駅が近代的なビルになっていたこと。合わせて、駅前の様子が全く様変わりしていたことである。40年以上も経てば当然のこととは思いつつも、まるで「浦島太郎状態」であった。
そして、「北海道当別高等学校普通科第10期同期会」である。参加者は19名、元教員が3名と聞いていたが、当日になって1名増えていた。その女性は一年の時に担任であった8703の参加を知り、ぜひ会いたくなってアメリカから駆けつけて来たとのこと。正真正銘42年ぶりの嬉しい再会であった!さすがに、50代後半に差し掛かった連中は多士済々、家業に励む人、教師として活躍する人、町教育委員会の課長、町議会副議長、当別神社宮司等々社会の最前線で活躍する人たちとの宴は3次会まで続いた。そして、帰りは彼らの先輩であり、8703が卒業担任をした当別町在住のS夫妻(同級生)が自家用車で我が家まで送ってくれた。誠に、教師冥利に尽きる6月22日であった。みなさんありがとう!
そして、「北海道当別高等学校普通科第10期同期会」である。参加者は19名、元教員が3名と聞いていたが、当日になって1名増えていた。その女性は一年の時に担任であった8703の参加を知り、ぜひ会いたくなってアメリカから駆けつけて来たとのこと。正真正銘42年ぶりの嬉しい再会であった!さすがに、50代後半に差し掛かった連中は多士済々、家業に励む人、教師として活躍する人、町教育委員会の課長、町議会副議長、当別神社宮司等々社会の最前線で活躍する人たちとの宴は3次会まで続いた。そして、帰りは彼らの先輩であり、8703が卒業担任をした当別町在住のS夫妻(同級生)が自家用車で我が家まで送ってくれた。誠に、教師冥利に尽きる6月22日であった。みなさんありがとう!