にほん民族解放戦線^o^

米帝→官邸→マスコミの洗脳による植民地状態からの脱却を考えてみるブログ♪主権を取り戻し、日本の未来を考えよう。

取材テロや心無い偏向報道を封じ込めるために。「公開取材」という手法

2015年10月18日 | 丸ちゃん日記

                       ※画像はなんで屋カード工房さんより

私の知り合いに優秀な記者がいる。

彼は、限られた時間の中で精一杯準備(取材相手についての勉強)をし、真摯に取材相手の話を聴いて、意図をしっかり汲み取った上で記事を書く。そしてたいていの場合、取材相手に記事を実際に見せて了承をもらうそうだ(そんな事をする記者は滅多にいない)。時には、デスクと喧嘩してまでも取材相手の意向を尊重する(もちろん権力側の取材の場合は除く。権力者に迎合するような記者ではない)。

※ただしそんな彼も、「察(サツ)まわり(業界用語で警察に付いて事件の情報を聞き出す役割の記者)」をやっていた時は、満足いく取材ができず、板ばさみで悩んでいたが…

彼は、過去に取材をした多くの人と取材後も付き合いがあり、慕われているようだ。

彼のような記者ばかりだったら、マスコミの報道はこれほどひどいものにはなっていないだろう。しかし、現実に私の周りを見まわすと、マスコミによる強引な取材や、意図を理解せずいい加減な報道された事例、そして意図的に捻じ曲げた報道やひどい場合には捏造報道によって多大な被害を受けている方々がたくさんいる

その中には、はっきりと「マスコミは信用できない」「取材を受けてまともに報道されたためしなど一度も無い」「二度と取材は受けない」と口にしている方々も多い。

上に紹介した彼のように、良心を持って誠実に取材にあたる記者も世の中にはたくさんいるのだろう…とは思うのだが、残念ながら、取材テロや心無い報道を平気でやらかすマスコミ人の方が圧倒的に多い…というのが実際のようである。

彼らのような「ひどいマスコミ人」による報道被害を食い止めるための手段というのは無いのだろうか?

ネットで探してみると、次のような事例にぶちあたった。


 

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ブログ『佐々木俊尚の“ITジャーナル”』

http://blog.goo.ne.jp/hwj-sasaki/e/1e4a7c59538a01659983ad62dd050a02

「インターネットが取材を変える日」より

 少し古い話になるが、映画の字幕にからんだ問題を週刊誌に書いたことがある。映画「ロード・オブ・ザ・リング」の日本語字幕について、原作「指輪物語」のファンたちが、「あまりにも翻訳がひどすぎる」と映画会社に異議を申し立てていることを紹介した内容だった。

 ファンたちの活動は、主にインターネットのウェブ掲示板上で行われていた。そこで私は取材にあたり、ウェブ開設者に「できれば取材をお願いしたい。会ってお話をおうかがいできればベストだが、不可能であれば電話やメールでもかまわない」という旨のメールを送った。

 開設者からはすぐに返事が来た。メールには「これまで私たちの趣旨をきちんと理解して報道していただいた例はまったくなく、報道されるたびに不満と怒りが渦巻いているような現状です」という趣旨のことが書かれていた。

 そしてメールは、こんな風に続いていた。「私たちの趣旨をきちんと理解いただけるのであれば、取材には応じたいと思います。ただ、取材についてはメールでのお問い合わせにお応えする方式でお願いしたいと思います。直接面会することとお電話でお話しすることについては、お断りしたいと思います。メールでのやりとりであれば、そのやりとりの詳細な内容をウェブにアップし、その後記事に掲載された折りに取材内容をどの程度正確にお書きいただいたかを検証できるからです」

 一読して、うーんと唸ってしまった。いままで何度もメールで取材を申し込んでいて、このような内容の返信を受け取ったことがなかったからだ。そして今だから正直に打ち明けられるが、少し嫌な気持ちになった。

 どうして嫌な気持ちになったのかはよくわからないが、たぶん「取材」という行為のプロセス自体を、公にした経験がなかったからだろう。通常公開されるのは、取材の結果完成した記事だけであって、取材の途中プロセスを公開することはほとんどない。さらに言えばたとえば警察取材や裏社会取材などは、取材プロセス自体が企業秘密と呼んでもいい貴重なノウハウになっている。どのようにして刑事や捜査当局幹部にアクセスし、あるいはヤクザや詐欺師に取材するのかというノウハウは、その道の取材者にとっては門外不出の機密なのである。

 しかし相手がウェブサイトの開設者で、しかも公になっている字幕の翻訳問題をテーマに取材するのに対し、機密もへったくれもない。そもそも人に聞かれて困るような取材ではないし、それを公開されたからといって、何も困ることはないはずだ――冷静に考え直すと、当たり前のようにそういう結論になった。

 だからそのメールを受け取った数十分後、開設者に「やりとりは公開していただいてもかまいません」と返事を書いて送った。そして質問内容を同時に送り、開設者からは翌日、詳細な回答の返事をいただいた。それに対して若干の補足の質問を再度送り、そして開設者からは再び回答を送ってもらい、それで取材は終了した。記事は翌週、週刊誌に3ページにわたって掲載された。その後、メールのやりとりはくだんのウェブ掲示板にそのまま掲載された。今もその内容はウェブ上に残っている。私自身はできうる限り公平な視点で記事を書けたと思うし、結果的にはこのメールでの取材は非常にうまくいったと思う。

 後から振り返ってみるとこの取材は、インターネットにおける取材活動のありうべき姿を考える上で、貴重な示唆となった。たぶんこれからは、取材という行為自体もこのようにして相対化されていくのではないかと思った。つまりは取材する側と取材される側が、同じ土俵の上に乗っていくということである。そして取材という行為が相対化されていくということは、その結果生み出される記事そのものも相対化されていくということになる。

 かつては週刊誌にしろ新聞にしろ、あるいはテレビ報道にしろ、「書き飛ばし」「報道しっぱなし」が当たり前だった。人権侵害当たり前、取材された側が泣こうがわめこうが、面白けりゃそれでいいだろ、という時代である。新聞なんてひどいものだった。私が新聞社に入社した1980年代には、殺人事件などの記事で「被害者の女性は男性関係が派手だった」などということを平気で書いていた。

 さすがにそうした記事は新聞紙面からは消えたが、実のところ、いまだにそれに類する取材手法、記事スタイルを続けているメディアは少なくない。かつてはそんな風な報道被害にあっても、取材された側は泣き寝入りするしかなかった。メディアは他のメディアの悪口を書かないのが「仁義」だと思われていたし、そうなるとメディアにひどい目にあっても、駆け込むところはどこにもなかったのである。

 だがインターネットの登場によって、その状況は劇的に変わった。書かれる側が抗議をするメディアを手に入れたのである。ひどい取材に対しては当然のように匿名掲示板で指弾される。それがどこまで実効性を持っているのかは別にして、少なくともそうした批判の声は挙げられるようになったのである。その良い例が、現在も余震が続いている新潟中越地震だ。匿名掲示板「まちBBS」の「新潟県小千谷市民集合」というスレッドでは、新潟中越地震で取材している報道陣のおぞましいばかりに悪辣な実態が、こと細かに報告されている。

 だが現状では、インターネットメディアの一般社会への影響力はあまりに低い。冒頭に紹介したメールのやりとりを、マスコミで働く何人かの記者に話してみたことがある。ほとんど全員が、同じような反応だった。

 「うへーっ、インターネットってやっぱり気持ち悪いなあ。取材を申し込んで、そんなこと言われちゃうの? オレだったらぜったい嫌だな」

 道のりは遠いのである。(引用ここまで。強調はblog主による)


やはり、横暴なマスコミによる被害にあっていたのは、私の周りだけではなかったようである。

それにしても、この「公開取材」なかなか使えるかもしれない。

対面での取材を一切拒否し、メールでの取材を全てネット上で公開する。

そうすれば、「編集権」という名のもとに、記者や編集部の都合のいい部分だけ切り貼りされて「そんな意図で言ったんじゃねーよ」というような発言を創作される心配もないし、あることないこと捏造されて、報道されて世間の知るところとなった後に、いくら「捏造だ!」と叫んでも世間に声は届かない…なんてことも少しは防ぐことができる。何より、視聴者にとっては、これまで結果しか見る事ができなかった「取材のプロセス」を見ることができる分、記者の主観による捻じ曲げから自由になり、事実に肉薄できる。

マスコミ人には、名刺を「葵のご門」にして肩で風斬って歩く人が多いと聞く。取材するときにも「国民の知る権利」を振りかざし、時には「御社の社会的責任をどうお考えか!」「人が死んでんねんぞ!」とか言って詰め寄る光景を目にもする。しかし、取材側、被取材側の双方が了解した上で全てのやりとりをネット上に公開するということなら、一般市民をダシに使った口実も、記者の思い上がりも徐々に封印されていくだろう。

ネックはと言えば、やはりこの記者も書いている通り、「インターネットメディアの一般社会への影響力がまだまだ低い」という点だろう。

しかし現在、「あるある」をはじめとする不祥事や、視聴率重視で劣化していっているTV報道にウンザリしている人々はたくさんいるし、若者たちは新聞・雑誌などのメディアから離れて行きつつある。多くの人が参加し評価し合えるような質の高いネットメディアさえ構築できれば、このような公平・公正で新しい取材の形が、人々へ「事実を伝える」ものとして力を持ってくる可能性もあるのではないかと感じている。


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