プレミアムアーカイブズで、29日(金)の午前1:30~午前3:05 [木曜深夜]に放映された、
最近起きたSTAP騒動とも関連する事象があり、注目。見逃した方はぜひ読んでみてください。
初回放映時にまとめたブログ記事
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「史上空前の論文捏造…①」(NHK-BSドキュメンタリーより)
「史上空前の論文捏造…②」(NHK-BSドキュメンタリーより)
「史上空前の論文捏造…③」(NHK-BSドキュメンタリーより)
「史上空前の論文捏造…④」(NHK-BSドキュメンタリーより)
※上の画像はココより借りました。
これを経て、科学論文捏造問題の共通項はいったい何だろうか。
考えてみたい。
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①その研究が成功すれば莫大な富を生む可能性がある
②その分野で高名な教授orその指導下の門下生(学生or助手or助教授)が起こしている
③いずれも、有名な科学ジャーナル誌に載って、それによって世界中が一度は信用した。
①については、シェーンの研究は超電導で“世界にエネルギー革命を起こすかも”という代物だったが、黄教授のES細胞も実用かされれば「拒絶反応が決して起こらないスペアの臓器つくり置きしときまっせ」なんちゅー商売でボロ儲けが可能だし、RNAでDNAの発現をコントロールするなんて、もしできれば医療分野でも薬品・資源の分野でも巨額の富を生むであろう夢の技術だ(「太らない遺伝子」なんて言わずもがなで、間違いなくボロ儲けのネタになる!)。
いずれの研究も、世界の先を越して成功させて、特許をとってしまえば丸儲け間違いなしである。
研究者といえども当然、霞を食って生きていくわけにはいかない。最先端の研究にはそれなりの設備も人材も研究費も必要である。これを支援するのは、その研究の価値を認めた国家であったり、その研究の可能性に賭けて儲けたい企業であったりする。
だから、研究者は、自分の研究がいかに世の中に衝撃を与えるか、成功した暁にはいかに市場価値を生むか、というのを力説する。
過去の論文捏造事件の、黄教授のケースでは、韓国政府は1998年から昨年末までに研究費だけで約84億ウォン(約10億円)を支援したほか、施設建設費なども負担している。
多比良教授のケースでは、研究室への研究費の総額が、2000年度から05年度までの5年間に、なんと約14億4000万円にも上っているらしい。
おそらく、「世界に先んじて自分たちの研究が成功するには、最低これだけは“先立つもの”が必要でんな~」ってな具合に交渉した結果であろう。
こんな事を言っては失礼だが、ゴミ虫の多様性の博物学的研究に何億円でも出す、なんていうような政府も企業も個人も存在しないだろう(養老さんゴメン>_<ホントはファンです!)。その研究自体に別の意味で価値があったとしてもである。
特に企業から資金援助を得ている研究者たちは、「失敗です」とか「多分ダメです」なんてことは口が裂けても言えない状況にあるのではないだろうか?そんなことを言おうものならたちまち「別にあんたの代わりに金を欲しがってる研究者は他にもゴマンといるし…」と言われて、研究費を止められ、実験設備とエアコン設備の整った研究施設から叩き出されてしまう。ウソでもなんでもいいから「今、いい線いってるとこです」「もうすぐうまくいくところなんですよ」なんて報告しておかなくてはならない。言葉だけでは実質価値を疑われるので、やっぱしネイチャーとかサイエンスとかに載ってナンボでしょ…てなことになる。彼らが捏造に手を染めてしまった背景の一つはここにあるのだろう。
もちろん、大半の研究者はそんな誘惑には負けず、純粋に事実を追求するモラルを持ちつづけているのだろう。しかし、「モラル」なんて実は極めて曖昧なもので、実はやるもやらないも紙一重なのかもしれない…なんて感じている。
そう感じるのは、私自身の学生時代の経験が根拠になっている。
学生院時代は理系で、生物学系の研究室に所属していた(今ではまるで関係ない仕事をしているが…^^;)。
研究室で実験系を組むときに、いかにすれば望み通り(仮説通り)の実験結果が得られるかを、研究室のメンバー全員が(教授の指導を受けながら)知恵を絞っている姿を見てきた。
研究室では、ほとんどのパラメーターを固定し、あるパラメーターのみを変動させるとどうなるかを測定する。それが「恣意的か?」と問われると、研究者たちは「それが実験というものだ」「他にどーせーっちゅうねん」と言うと思うが、きっと素人が見たら「そりゃーめちゃめちゃ恣意的っしょ」と感じるだろう。実験室というのは極めて特殊な環境で、しかも自然界では、特定のパラメーター以外まったく固定されていることなどありえないのだから。
極端に言うと、“「自然(実験対象の物や生物)」を殴ったりひっぱったりつねったりして、望み通りの結果を吐き出させる”ということを、研究室では日常的にやっているのだ。
ここまでは確かに「恣意的」であるかもしれないが、そこは100歩譲るとして、そこまでは「捏造」とは言わない(ってことに科学のルールはなっている)。
同様の条件下で第三者が実験を再現できれば「事実」…というのが、この世界のコンセンサスだからである。
しかし、10個データをとって,そのうち3つが予想とは違っていたのでカットする、というのはまあ許される範囲かな、と思うが、100個データとって、もっともよい3つを採用して「予想通りこのような結果になりました」と言っちゃうのはどうなの…? このあたりになるとかなり難しい問題で、実際には研究者の資質や裁量に任されているのが現状なのではないか。
例えば、50回くらい実験やって、たった1回か2回偶然出たような理想的なデータを「やったー!」って感じで論文にしている研究者は、修論・ドク論レベルなら絶対なんぼでもいると思うぞ(学生時代にそんな先輩いたような気がする)。
まあかなり微妙な問題だけど、50歩ほど譲ってそれはまあ見逃すとして、問題は、「望んでいる結果」が得られない場合に、「理論的にはこうなるはずだ」というデータを、つい出来心でひっつけてしまう、という場合だろう。“殴ったりひっぱったりつねったり”する対象を、「自然(実験対象の物や生物)」ではなくて、「データそれ自体」にすりかえてしまうというケースである。これをやっちゃったら完全なる捏造。
当然、第三者が実験をすればそんウソはすぐにバレることであって、普通の研究者はモラル以前に、そんなアホなことはしないだろう。だが捏造をやってしまった人たちは、社会と隔絶した研究室という空間で、“自然を殴ったりひっぱったりつねったり”しているうちに、超えてはならない境界の感覚が麻痺してしまったのかもなぁ…なんて想像する。
②で書いたように、高名な教授の下では、その権威によって「捏造だ」という指摘がしにくい雰囲気がある、ということも原因の一つかとも思うが、実際はまったく逆で、高名な教授で世の中が注目する研究だからこそ捏造がバレた(実は捏造はそこらじゅうに存在するが見つかっていないだけ?)、ということなのかもしれない。
というのも、研究者は世界で初めての結果を出さないと論文を書けない。結果的に、より重箱の隅をつつくようなテーマを見つけ出すというベクトルが生じる(専門領域化がすすむ)。
そうすると、「その結果を誰がチェックすんねん?」という問題が出てくる。
重要で金になりそうな研究ならいざしらず、マイナーな研究における修論・ドク論レベルでは、2年以内とか3年以内とかに「世界で初めて」の結果を出すことが要求されるわけで、「どうせ追試されないからバレへんやろ」ということで「つい出来心で…」が非常に発生しやすい状況にあるのではないか。生物学系のドクターコースに進んで中退した知り合いに話したら、「それ、むっちゃありうるで」って言ってた^^;)
世間を賑わしていた「あるある納豆」の件も、耐震偽造の問題も、某週刊誌がでっち上げの記事を書きまくっている問題も、この点では同様の構造があるのは明らかである(業界の常識=世間の非常識)。
TV番組の製作担当も、建築士も、ゴシップ週刊誌の記者たちも、時間と金の制約の中で最初は「しかたなく」ルールを超えてしまう…しかし何度も超えているうちに麻痺してきて自己正当化し「悪いことやってる」感覚さえもなくなっていく。
騙し不正をやり、捏造したりしても、現実はバレさえしなきゃ儲かる(雑誌が売れる、研究費がとってこれる)のである(週刊誌も科学雑誌も同じで、センセーショナルな見出しでその号がバカ売れしたらとりあえずOKで、結果的に捏造だったとしたら謝りゃいいじゃん…。みたいなことになってるんちゃうか?)。
“バレなきゃなんでもアリ”なんてことになったら、当然モラルハザードが進行し、最終的には秩序が崩壊する。
そんな事になっては困るので、当然、統合者側は規制を強化するだろう。
しかし規制を強化すればするほど、研究する手足は縛られるわ何かと手続きも煩雑になるわで、研究の魅力は減退…優秀な人材が集まらなくなる。
…みたいな、あんまり明るくない未来像を描いてしまったが、答えへの道筋はこのあたりにあるのではないだろうか。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=5296
>19世紀の帝国主義の下にある自然科学の発達とは、それが資本主義下の国力を決定し、侵略戦争の勝敗を決する基底的の要因であり、そのような社会的期待によって支えられている。しかし、それが制度化し特権的地位を確保するや否や、科学者集団内の共認充足が具体的な活力源とならざるを得ないのではないだろうか。
>問題は科学に対する社会的期待の中身と、権力の囲われた特権階級という身分ではないのだろうか。
問題の本質がこのあたりにあるとすれば、ここで紹介されている慶応大学のSFCのSFSの試みなんて効果がありそうだ。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=104566
研究者が“象牙の塔”でごく一部の特定の人々の評価だけをよりどころに存在するという現状の構造を崩し、普通の人たちの評価のもとに全てを晒す。研究費を一般から募ったっていいと思う。
この、常識から見ると無謀とも言える慶応大学の試みは、もしかしたらこれからの研究者のあり方の雛型になっていくのではないかと、非常に期待が膨らむ今日この頃である。
http://blog.goo.ne.jp/11jigen/
http://www29.atwiki.jp/serkan_anilir/
東京大学工学系研究科建築学専攻助教アニリール・セルカン氏について
・アニリール・セルカン氏は「宇宙物理学者」であり11次元宇宙の研究で受賞したことになっていますが、氏を著者とする物理学に関する論文は一編も発表されていません。
・東京大学、およびJAXAのホームページ等で公表されていたセルカン氏の業績リストに掲載されていた物理学の論文は、現実には存在しない架空のものです。
・東京大学で公表されていたセルカン氏の業績リストに掲載されていた知的財産権2件については、一件は他人の特許であり、もう一件は存在しない特許です。
・「ケンブリッジ大学物理学部 特別科学賞 受賞」については記録もありませんし、そもそもセルカン氏は物理学の研究業績が皆無なので、物理学の研究によって(まともな)賞を授与されることはあり得ません。
・同様に、「America Medal of Honor(アメリカ名誉賞)」、U.S.Technology Award受賞の記録もありません。
・「プリンストン大学数学部講師」に就任したという記録もありません。またセルカン氏は数学分野の研究業績が皆無なので、数学部講師に就任するというこはまずあり得ません。
・セルカン氏は「宇宙飛行士候補」と言うことになっていますが、NASAの宇宙飛行士候補のリストにも、宇宙飛行士のリストにも掲載されていません。