にほん民族解放戦線^o^

米帝→官邸→マスコミの洗脳による植民地状態からの脱却を考えてみるブログ♪主権を取り戻し、日本の未来を考えよう。

格差社会で繰り返される「アメリカンドリーム」による洗脳…『幸せのちから』

2016年05月01日 | 雅無乱日記

今じゃぁすっかり「格差社会」と騒がれるようになった日本でもよく知られているが、アメリカは日本なんか目じゃないくらい強烈な格差社会である。

ホームレスが74万人もいる(asahi.com)のも、所得によって行く学校が振り分けられる(https://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/35281/)のも、その格差のひどさを間接的に証明しているが、もっとも象徴的な事例は、兵士たちだろう。彼らの多くは、別に特別愛国心が強いから志願したわけではなく、生活に困窮して軍事恩給目当てで兵士をやっいて、それ以外に貧困からの脱出手段がないという実情からも、アメリカの格差の深刻さが分かる。

そんな格差の中で、暴動も自爆テロも起こさずにせっせと頑張りつづけるためには、「頑張ったらそれなりに成功できる」という社会のシステムに対する信頼(幻想)が必要である。「どうせ頑張っても、金持ち連中にどうせ搾取されるだけだ」と思ってしまえば、人々の意識はその社会システムの破壊(or革命)に向かう(もっとも、抵抗する元気の無い人はいっぱいいて、システムの中で生きていくことを断念し、ニートになったり麻薬や酒におぼれるのだが…)。

中東でアメリカやイスラエルへの抵抗運動をしているたくさんの人々(欧米からは「テロリスト」とレッテルを貼られている人々)も、中南米において反米運動を支持している民衆も、「新自由主義のシステムの中ではいくらがんばっても無駄だ。欧米の大企業が儲かるだけさ」と感じているからこそ、グローバリズムに抵抗しているという側面がある。

アメリカ社会の上位層はこれまで、国家を統合するために、ありもしない「アメリカンドリーム」を大衆に信じさせてきた。実際にはほんの一握りしかいない成功者をまつりあげ、「君も今の貧困に負けずにがんばったらきっと成功をつかむことが出来る。アメリカにはその権利や自由があるのさ」という幻想で大衆を洗脳することによって、社会システムに対する不信から破壊(or革命)に向かう人々を繋ぎ止めて秩序の中に押し留めてきたのである。

しかし最近、アメリカ国外だけでなく国内においてもアメリカ型社会システムに対する不信と自暴自棄がはびこり始めている(若者による銃の乱射事件の多発や麻薬中毒者の増加など)。


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ウィル・スミス主演『幸せのちから(原題“Pursuit of Happiness”』

この映画は、黒人実業家クリス・ガードナーの実話に基づいたこてこてのサクセスストーリー。

ガードナーはサンフランシスコでセールスの仕事がうまくいかず、息子とホームレスになった後、一流証券会社の無給インターンとなり、地下鉄の駅のトイレなどで寝泊まりしながら勤務。正社員となって成功を収め、現在は自身の証券会社を経営している。

不遇な黒人が、困難にも負けず努力しつづけて、ついに社会的成功を掴む…という典型的な「アメリカンドリーム」のストーリーだ。

主演のウィル・スミスはこんなふうに語っている。

>「トーマス・ジェファソン(※注)は市民に『生命、自由、幸福の追求』を約束した。だが、それはわれわれが幸せになるのは当たり前、政府がそれを保証するという意味ではない。幸せを追求する機会が与えられているというもの。クリスはその体現者だ」 

※この映画の“Pursuit of Happiness”直訳すると、「幸福の追求」。第3代米大統領:トマス・ジェファーソンが起草したアメリカの「独立宣言」には、基本的人権、革命権、平等・生命・自由と並んで、“Pursuit of Happiness”=幸福追求の権利、が謳われている。ここからこの映画の題名はとられた。

この発言なんかを見ると、ウィル・スミスは映画出演のギャラ以外に、福祉予算を削減したい米政府からカネをもらってるのか?と勘ぐってしまう。

>「俺はベトコンに恨みはないぜ、俺を刑務所に送りたいのならやってみろ。望むところだ、400年でも監獄に入ってやる。だが、遥か彼方の土地でお国のためだと言って貧しい人たちの殺人に手を貸すのはごめんだ。敵はお前らだ。ベトコンでも中国人でも日本人でもない。俺を妨害しているのはお前らだ。」

映画“ALI”では、この台詞にすっかりしびれたのに

「『幸せのちから』を観ていただければ、わたしのプロジェクト(再チャレンジプロジェクト)を理解してもらえると思います」こんなことを言うアベシンゾーなんかのパンダになってしまってがっかりだ…。「救世主コンビ」とは皮肉なもんだね…


「活力のある貧乏人(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=5877)」がいなくなれば、市場システムは成立しない。

ニートのように、へばって頑張ることを断念してもらっては困るのだ。

いかに搾取されつづけようとも1000人に1人の成功者になる「夢」を見て頑張ってもらわなくてはならない。

そうやってなりふり構わず「自分の幸福を追求する」権利は、独立宣言にも「何者にも侵すことができない権利である」と書いてあるではないか。

この映画は、「たとえ黒人であってもインド人であってもhttp://www.asahi.com/culture/tv_radio/TKY200701190216.html、合衆国の民である限りその権利だけはあるんだゾ」と言いたいのだろう。

しかし、がんばらない奴は「勝手に氏ね」と放っといて、己の「幸福になる権利」さえ行使してればいいのだろうか?「権利を与えてもらってるだけありがたいと思え。政府に要求すんな」とウィル・スミスも政府のプロパガンダに協力しているが、そもそも「幸福」ってどういう状態を言うのだろうか?「事業に成功したら“幸せ”。そのためだったらしんどい仕事にひたすら邁進するのさ」って、そんな単純な幸福観・労働観は、少なくとも日本においては前世紀の遺物だろう。

今考えなくてはならないのは、貧しい人々から搾取し、環境や肉体を破壊しつづける原因となっている「市場システムの在り方」そのものなのではないだろうか。与えられた枠(システム)の中で、己の幸福だけをせっせと追求しさえすればいい…という話ではない。

映画でもテレビドラマでも繰り返されている「夢を持とう!夢をもってがんばったらきっと成功できるよ」という洗脳は、“社会システムの矛盾”という根本問題を捨象させ、社会システムへの不満を当面ゴマカシてやり過ごす方便である。 若者たちの多くがフリーターやニートになるのは、がんばっても報われない社会システムに対する「No」の一つの表れなのだ。社会システムやパラダイムの根本を考えさせず、ゴマカシてせっせと人々をがんばらせ搾取する連中に低レベルなプロパガンダ映画を見せられて、「やっぱり自分の夢を追い求めてがんばらなくっちゃ」なんて洗脳されている場合ではないのではないかと思うのである。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
夢を見たときに不幸が始まっている (しみず)
2007-01-21 12:16:43
昨日、なんで屋サロンに行きました。

テーマは環境問題。

南の島で気ままに生活をしたいと夢見ているよりも、今の環境問題に対しての政府や企業の対策がいかにズレていて、そして早くそれに気づかせてあげなければドエライことになるということがわかりその認識をみんなで共認できたことのほうが活力が出ました。



我々の世代では解決できない課題だと思いますが、この認識を次の世代に受け継いでいく。それが一人一人のこれからの役割になると思います。



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奥に潜む根本問題が重要 (雅無乱)
2007-01-25 02:34:53
しみずさん、ひさしぶり!

勉強しているようですね。
またサロンで同席したいものです。

次の世代にまともな世界を受け継げるよう、いっしょにがんばっていきましょう^^)w
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雅無乱さんへ (ルナ)
2007-02-21 22:29:36
はじめまして。同じgooブロガーのルナと申します。

先日はウチのブログを訪問してくださったうえ、トラックバックも頂いて、とてもうれしく思っています。

今回の「アメリカン・ドリームという名の洗脳」、いちいちうなずきました。まったくおっしゃることに同感です。

バブル時代からこっち、日本でよく言われる表現に、「前向き思考」とか「明るくいこう」とかいうフレーズがありますよね?

わたしはこれは、マインド・コントロールが達成したひとつの形ではないか、と思うときがあります。

前向きに考えることは重要ですし、酒びたりになるよりは気持ちを明るく切り替えるのは健全なことです。でも、不健全な動機で「前向き思考」「明るい気持ち」が言われることがあるのではないかと、そう思うのです。

問題の原因から逃げるために、考えないようにするために、「そんなに詰めて考えるな、この体制は続けなければならない、だからおまえのような犠牲は想定内なんだから…」という隠されたメッセージの裏返しとして、「前向き思考」等が述べられることが多いように感じています。一種の思考停止をお互いに勧めあうんですよね、そうやって。

わたしは、青臭いといわれようが、非国民といわれようが(望むところ。わたしは愛国者ではなく、愛国民者だという自負を持っています)、変えなければならないことには毅然と向き合うつもりでいます。

アメリカ人の中の一部の人格障害者による「新自由主義」という社会には断固抵抗を続けます。それはまちがいだと、今度の参院選で主張するつもりです。ひとりひとりの声は小さくても、おおぜい集まればきっと「勢力」とすることができます。

お互い、言うべきことは言いましょうね。共謀罪が制定されたら、そのときはもう自由に発言できなくなる可能性が大きいですから。その線は越えさせてはならないと思います。
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ルナさんありがとう (雅無乱)
2007-03-16 21:40:25
ルナさん、うれしいコメントありがとうございます!
(亀レスになってすみません)

>アメリカ人の中の一部の人格障害者による「新自由主義」という社会には断固抵抗を続けます。

まったくもって同感です。

このシステムの恩恵を受けている一部の人が情報を牛耳って大衆を洗脳しているがために、大衆の主張はせいぜい「オレたちにも遊んだり映画見たりうまいもん食ったりする“権利”をよこせ」という程度になってしまっています。

本質は実はもっと深いところにある、というのは洗脳をぶち破らないと見えてこない。

なかなか厳しい戦いですが、ネット上でともにがんばっていきましょう^^)v
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