にほん民族解放戦線^o^

米帝→官邸→マスコミの洗脳による植民地状態からの脱却を考えてみるブログ♪主権を取り戻し、日本の未来を考えよう。

中東・ヨーロッパの征服・破壊のパラダイムのはじまり(ギルガメシュ叙事詩より)

2006年12月22日 | 雅無乱日記
以前から興味のあった、NHKスペシャル四大文明:第二集「メソポタミア」を、先日やっと観ることができた。

この番組では、栽培の始まりから「文明の黎明期」≒都市国家の成立のあたりまでを紹介していた(撮影当時の1990年代は、湾岸戦争のアメリカの攻撃によって一部は破壊されていたが、イラクのいろいろな遺跡の様子が出てきていて、そういう意味でも興味深かった。今はもっと徹底的に破壊されてしまっているだろう)。

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※「ウルのジッグラト」画像はここ↓から
http://jp.encarta.msn.com/media_461550220_761572159_-1_1/content.html

「栽培」の起源は9000年前の、トルコ・アナトリア高原。ユーフラテス川の源流の「肥沃な三日月地帯」と呼ばれている土地である。定住して狩猟・採集生活を営んでいた部族が、野生の麦を栽培し始めたのが最初と考えられている。

当時はまだ土器は無かった。麦を粉にする際に用いたと思われる石臼や、ヤギの角に薄くした石をはめ込んでつくった「鎌」などが発見されている。麦は、粉にして水を混ぜて、熱した石の上に薄く延ばして焼いて食べていたらしい。

その後、チグリス・ユーフラテス川の下流域に栽培は拡がり、最盛期の生産性は76.1倍(=一粒から76.1粒収穫できる)だったそうだ。現代でもヨーロッパで15倍から16倍、アメリカで23倍だから、いかに当時の生産性の高さが驚異的であったかがわかる。

ところが、BC2350年からBC2100年にかけて、単位面積あたりの麦の収量が最盛期の4割にまで急激に落ち込む▼。この急激な収穫量が激減は、乾燥地における灌漑農業のやりすぎによる塩害と、上流のレバノン杉の過剰伐採による水不足が原因と考えられている。

そして、BC2000年くらいに、このあたりの文明は滅亡する。

番組では世界最古の記録された物語「ギルガメシュの叙事詩」が紹介された。

http://ghibli-fc.net/rabo/monoke_yo/yomitoku39.htmlも参考にしながら紹介する。

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かつて人類最初の文明が発生した地、メソポタミアには巨大なレバノンスギの原生林があった

シュメールの神エンルリに命じられた半身半獣の森の神フンババは、数千年もの間、人間たちから神々の森を護って来た。

ある日、ウルクの王ギルガメシュは「永遠の命」が得られる不老不死の薬を求めて、部下の若者エンキムドゥと共に森に出かける。

レバノン杉の鬱蒼と繁る森はあまりにも美しく、ギルガメシュとエンキムドゥはたじろぐが、「この森を伐採し、その木を使ってウルクの町を立派にすることが、人間の幸福になるのだ」と思いなおして、森を伐りはじめる。

怒ったフンババは凶暴化し、嵐のような唸り声をあげて、口から炎を吐いて襲いかかる

ところが、ギルガメシュとエンキムドゥはひるまず立ち向かい、ついにフンババはエンキムドゥによって首を刈られて殺される。それを可能にした最強の武器こそ青銅の斧であった。人類は金属器の開発によって、ついに森を征服したのだ。

しかし、フンババ殺しの天罰を受けてエンキムドゥは殺されてしまう。ギルガメシュは、あの世に旅立ちエンキムドゥを連れ戻そうとするが失敗する。

不死の薬を入手することも出来ず、失意の末にウルクにたどり着いたギルガメシュは次の言葉を残して息絶える。

「私は人間の幸福のために、いかなるものを犠牲にしても構わないと思っていた。フンババの神と共に、無数の生きものの生命を奪ってしまった。やがて森はなくなり、地上には人間と人間によって飼育された動植物だけしか残らなくなる。それは荒涼たる世界だ。人間の滅びに通じる道だ」


実は、この物語は、宮崎駿の映画『もののけ姫』http://www.aic.gr.jp/anime/ghibli/1997m.shtmlのモデルになっている(たしかに、森の神を殺すところのストーリーがそっくりだ)。

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現実のメソポタミア文明は、まさにこの物語の通り滅亡を迎えるわけだが、「自然を征服する」という価値観は中東~ヨーロッパ世界に受け継がれる。

中東~ヨーロッパアジアとでは、自然との関わり方、開拓→環境破壊の度合いにかなり差があるようだ。

アジアの「稲作文化圏」では、森から絶えず流れてくる豊富な水が不可欠なので、森林を残して下流域の平地を耕作する。恵みを与えてくれる存在として山・森林が崇められる文化があちこちに残っている。現在の日本でも霊峰○○(富士とか石鎚とか…)というのはよく聞かれるだろう。人間の手は入っているが、「里山」という形で森が保全されているというケースも多い。

しかし、中東~ヨーロッパの「麦の文化圏」では、森林は基本的には伐採しまくって、木をもとことん利用し、まるはげにした伐採の跡地に麦を植える。だんだん麦が育たなくなって放棄した土地は草地になり、そこで山羊などの家畜を育てる。で、しまいにはペンペン草さえ生えなくなって砂漠化していく。シュメール文明やクレタ文明、ギリシャ文明などは、そのようにして滅んだと考えられている


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(参考:http://digarc.pd.saga-u.ac.jp/sin-kyozai/kankyou/rekishi.html)。

日本では山というものには木が生えてるのがあたりまえだが、中東やヨーロッパに行くとハゲ山が多いのに日本人はみな驚くそうだ。

自然を征服し支配下に置こうとする価値観の「文明」は、そのあけぼのにおいて既に破綻していたということである。

どうやらこれからは、彼ら西洋人の価値観より、森と共生しながら農業を営んでいた頃の日本人の価値観を取り戻して、それを拠り所に文化を再構築した方がよさそうである。