えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・【読書感】『異常(アノマリー)』エルヴェ・ル・テリエ 加藤かおり訳 早川書房

2023年02月11日 | コラム
 通り過ぎてしまえばまずはSFの物語で、『異常』という題に比べると一瞬拍子抜けしまうほど読後感は軽い。『異常(アノマリー)』を著したエルヴェ・ル・テリエはレイモン・クノーの創設したウリポの会員で、本作にも随所に魚の小骨のような碩学のイースター・エッグが散らされているが、話の筋書き自体は『プロジェクト・ヘイル・メアリー』のように展開が展開を呼ぶ速度の早い足運びの小説だ。三つの扉には同一の題ながら「ヴィクトル・ミゼル」という作家の作品とされる『異常』の小説から一節が引用されており、その部の中で起きる出来事をひそやかに暗喩する。だがこの小説自体が作中作であり、登場人物たちの言及するこの作品は彼らの置かれている状況をエルヴェ・ル・テリエの『異常』の読者に呼びかけるように働くのだ。

「<私の身体は、私が引いたわけではない線のあいだを動くことに終止してきた。私たちが最小の力で進める曲線をたどっているのに、私たちが宇宙のあるじであるとほのめかすのはうぬぼれだ。境界線の境界。どんな飛翔も、私達の空を決して押し広げはしない>」

 ヴィクトルはある日線が切れたように『異常』を書き出す。そして書き終えると身を窓の外に投げ出して死ぬ。残された『異常』は編集者の尽力も伴い大々的なヒットを飛ばし、世界中の人々の手に届いていく。その中には他の登場人物も含まれ、彼らもまたヴィクトルのことばを随所で呟きながら、自分たちの問題に戻っていく。物語を読み返すとこの一節に物語の振幅が含まれているようでならない。他にも各所に何かあるのではないか、と指を突っ込んで掻き回すような楽しみを読者は覚えていく。

 複数の主人公が登場する。暗殺者からいとけない少女まで、第一部は彼らの日常が細々と綴られていく。ヴィクトルもその一人だ。だが、その日常には日付が記されている。本書出版当時は未来であったが今は過去の二〇二一年の六月の終わりを過ごしている人間がほとんどだ。二重生活であったり年の離れた恋であったり、信条に合わない仕事であったりと不穏さのない悩みと生活している彼らの章は皆、国家権力の不穏な訪れで中断される。彼らの乗っていた飛行機がもう一台六月に着陸し、その飛行機の中にはもう一人の彼らが乗り合わせていたためだ。しかもその現象は世界中で発生しており、中には「もう一人」たちを隠蔽してしまう国まで現れることが明らかになる。けれども分身した登場人物はお互いの片割れを比較的冷静に受け入れ、あるものは新しい身分や名前を難なく受け入れて生活に戻っていく。養殖魚の分別のように集められては世界中に散らばり彼らはあっさりとそれぞれの生活へ順応し、気味の悪いほど静かに平和が訪れていく。

 だからその空中に三台目の飛行機を登場させ、アメリカの戦闘機が撃墜したそれを眺める終わりが用意されているのだと思う。日常の上に三つ目の自分の可能性が撃ち落とされて海に沈んでいく。二人目の自分との対話という問題を更に複雑化させる「異常」は地上でのみその複雑さを茨のように這わせ、空は変わらずにジェット気流で飛行機を運んでいく。

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