えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・読書感『世界でいちばん透きとおった物語』新潮文庫 杉井光 2023年5月

2024年03月09日 | コラム
 知人から「ものとしての本でなければ成り立たないトリックというものが気になって買ったけど、ものとしての本はいらないからよかったらあげる」と言われて『世界でいちばん透きとおった物語』だった。電子版を愛読する知人らしいコメントだと思う。一方で本という「物」の特徴を生かさなければ今後の文章作品は本として生まれることはないのだろうかと先行きに暗雲を認めた次第。知人と会った帰り道の電車でそそくさと読了する。
主人公はミステリ作家と彼のファンであり現在は校正の仕事をしている母との間に生まれた私生児で、物心ついた頃から本に縁づいた生活を送っていた。けれども事故で目に障害を負い、日常生活にはほぼ支障は無いがなぜか紙の本が読めなくなり、専ら電子書籍を読むようになっていった。これが「透きとおった」物語の重要な鍵となるのだが大っぴらに書いてもおそらくは見当を付けづらいので大丈夫だと信じたい。ともあれ主人公は事故で母を失ってすぐにミステリ作家の父も失い、天涯孤独となったところで異母兄に父の遺作探しへと巻き込まれ、母の仕事のパートナーの編集者の力を借りて父の遺作を探していく。その作中作が『世界でいちばん透きとおった物語』なのだ。
 紙の本に慣れた読者であれば中盤くらいで主人公と同じく「目」の違和感に気づくだろう。具体的な言葉には出来ないが題のとおり本作のページは他の本と比較して明るく見える。光源によっては電子書籍のような感覚すら覚えるだろう。その感覚を大事にして文字を追いかければ自然にこの小説の仕掛けは理解できるように出来ている。物語の半分ほどはその仕掛けのためのお膳立てなので、一応主人公は遺作の謎や読者視点からは容易に予測できるトラブルに悩まされるが、仕掛けの関係上細やかな謎解きまで書き込むことは至難の業なので微笑ましく眺められる。漂白された悪意は滑稽に転じてしまっている。
 この作品を「何の」作品と取るかは難しい。737円を払う体感が果たして安いかどうか、私は頂き物なので判断は差し控えることとする。
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