えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・もののありか(没後50年 河井寛次郎展 汐留ミュージアム)

2018年08月25日 | コラム
 桃が来ていた。『青瓷鱓血文桃注』はいつも想像よりも一回り大きくて、下半分を彩る辰砂の釉薬はスモモのように赤々としている。局面を作り出す線は相変わらず鋭く、ゆがみも凹凸もなく現実にはあり得ない青磁色の桃なのに、木からもいできたばかりのようにみずみずしい。ポスターにて謳われていた未公開の作品九点は三十代ごろの作品と、だいたい同時期に作られた河井寛次郎の作品だ。中国の三彩や李朝の白を几帳面な厳密さで模した作品群が、初期のものとして並べられている。かつて『美の巨人たち』で紹介されて以来、京都へ行くきっかけを作った一作を久しぶりに堪能して次の展示に向かった。

 没後五十年を記念して開かれた展覧会は、山口大学が所蔵していた若年の頃の作品から、河井寛次郎遺愛の品々を河井寛次郎記念館を中心に借り出し、こぢんまりと彼の生涯と思想の移り変わりが分かるように物の流れを作っていた。いつも掘りごたつのある部屋に展示されていた狛犬型の脇息が、今日は猫の木彫と共に気持ち緊張した面持ちで白い棚に並んでいた。会場のあちこちからスマートフォンのシャッターを切る音がする。河井寛次郎記念館所蔵の作品や個人蔵の作品の中には、作品の写真を撮ってもよいものがあるからだ。勿体無いと思った。彼の生地の島根県で、今でも風呂敷などに使われている筒書きの技法を応用した立体的な模様のふくらみや、一見ざらついた肌の質感を近づいてじっくりと見る前に、写真を撮る人たちは形だけをばっと見てスマートフォンを手にしていた。

 河井寛次郎記念館からは、普段記念館の中にそのまま置かれており、手で触れたり座ったりできるものがはるばると来ていた。竹のタンスや藁をきつく編んで作られた椅子を改めて展示として見てみると、物としてそれが今のものから離れて明瞭に整えられていることが分かる。

 志野焼の柔らかさに似た、個人蔵の二つの茶碗が愛らしかった。蓋つきの南京型を平たくした形で、薄く呉須で笹がするりと描かれている。言われなければ河井寛次郎の作だとわからない、他の主張がはっきりしたものたちと比べると控えめな白地が温かかった。それでも線はきちっと張り詰めていて、端正な佇まいをしていた。これは使われているものなのか、飾られているものなのかはわからない。分からないが、誰かの手の中で、とても大事にされている「もの」だということは伝わる一品だった。
 会場を出てパナソニックのショールームを通り抜けると、河井寛次郎の作業場を模した展示があった。木材以外の材質で作られた床に、少し尻の座りが悪そうな調子の陶板のテストピースが置かれてあった。
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