えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・気が向いた読書

2017年06月10日 | コラム
 図書館であてどもなく本を選びながら疲れている、と思った。文字が頭に入らないという表現があるがその通りで、形として『落語の言語学』という文字は目に入るが意味は頭に入らない。本を開いて文章を頭に詰めようとしても文字は文字のままで文章として頭は理解しない。本を閉じる。落ち着かずに書棚を眺める。何か読まなければと知らないプレッシャーに駆られて本を手に取る。ハヤカワミステリのアガサ・クリスティー文庫を数冊、脚立に上って抜き取った。疲れている時に好きな本はあまり読めない。中村妙子訳の『火曜クラブ』や、清水俊二訳の『そして誰もいなくなった』は持っているものの何かが重くて読めない時がある。そういう時だった。

 既に読んだが中身を忘れた『第三の女』、読んでいない『雲をつかむ死』、邦題は違うが『End House』の文字が見える『邪悪の家』を抜き出した後、下の棚で茫洋とした頭は新潮文庫版の『カラマーゾフの兄弟』上巻と下巻を取り出した。随分前から友人たちの間で流行っていたものの、それこそ物理的な重さと名前の重さに躊躇した本を見直して思った以上に短いものだと手にして図書館のカウンターへ向かった。カウンターには予約していた『ポケットにライ麦を』が待っていた。

 出かける道連れに『第三の女』と『カラマーゾフの兄弟』を持って行った。冒頭を手探りで捲るとこれならなんとか落ち着きそうな気配がした。本を閉じる。『第三の女』を思い出し思い出しながら読み終えた。その後気まぐれに、まだ読み切ってもいないのに他の訳書を探そうと『カラマーゾフの兄弟』をインターネットで調べると、新潮文庫版の訳書がトップに躍り出た。そこには『カラマーゾフの兄弟 上・中・下』という文字が並んでいた。中古はなかった。仕方ないので河出書房新社版を上下巻そろえ、ため息をつきながら枕頭に置いている。読めるかどうかは分からない。
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