えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・その日のこと

2017年03月11日 | コラム
 揺れましたね、と言い交し私は席を立つと入り口の狭いドアを開け放ちに行った。立て付けが悪く普段から力を籠めないと開け閉めも難しい重いドアの天井には既にひびが入り、ドアはすんなり開いたもののドアストッパーはなく私は足でドアを押さえながら勤め先のビルに泊まる算段を考えていた。電車はもう動かないだろう。物がわずかにぶつかる音がパーテーションの奥から聞こえてくる。人間の方は慌てるというよりも遊園地のアトラクションに興奮するような調子の声だった。地震の避難マニュアルに従っている自分が阿保らしかった。

 何が起きたかが自分の身により迫るにはまだ時間があった。勤め先のビルは停電もせず、ガスも使え、水道からは真水がきちんと出た。それでもさすがにエレベータは余震を考慮して停止しており、当たり前だが普段は警備員か清掃の方くらいしかいない非常階段には上から下へ向かって滝のように人が歩いていた。若い男性の社員たちがコンビニの袋を下げて戻ってくる。「ほとんど空でしたよ」各階で会社に泊まる腹積もりの人々が素早くものを買っていったそうだ。非常食を置いた机へ彼らは気前よく袋の中身を広げた。派遣社員の女性が電気ポットを給湯室から持ち出しコンセントを入れ、手早くコピー用紙に注意を書いて貼り付ける。私は各地の職場の管理職がかけてくるであろう電話を待っていた。それぞれの職場で働く人の安全を確保してようやっと自分の安全の確保に入る人達の電話を取り、空が夕暮れから夜になるにかけて帰り支度を整える人たちを横目に眺めていた。

 地下鉄が動き出した報を聞いてからは行進する雪崩のように人が静々と階段から出てゆく。居残り組は次の朝を待ちながらそれぞれの寝場所を確保していた。一人になれる場所はなく、先輩にあたる女性たちの誘いを避けて更衣室の長椅子に身体を縮めて横になったことを覚えている。そこから自宅に戻るまでの時間は電車の車内放送に耳をそばだてながらの道中で、どちらかといえば家族は安全よりも面倒くさそうな顔で私を迎えた気がするがそれも今は遠い。

 その時の、報道が始まる前の最初の揺れが収まるとようやっと壮年の社員がドアを抑えるための重しを持ってやってきた。
「隣のビルがすごかったよ。てっぺんがゴムの玩具みたいに揺れてさ。見なかったの」
 私は重しを受け取ると返事の代わりに黙って足をずらし、ドアを固定した。
コメント
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