えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・見世物小屋のこと2(映画『ニッポンの、みせものやさん』)

2016年12月10日 | コラム
 いい意味で地味な記録だ。朝の十時前から映画館の前に並び当日券を買う程度に物好きの客が観に来る映画『ニッポンの、みせものやさん』は大寅興業社といういち企業の記録映画である。二〇一六年現在日本で唯一見世物小屋の興行を行う会社と喧伝された部分を取るとそうなる。見世物小屋とは「好奇心をそそり驚かせるもの(珍品、奇獣、曲芸など)を見せる小屋。(中略)仮設小屋を立てて巡業して各地を回り、テレビが普及する以前は大衆娯楽として幅広く受け入れられていた」(映画パンフレットより)しょうばいだ。「想像力を掻き立てる巧みな口上」で人を呼び寄せ、「お代は見てのお帰り」と次から次へと入口へかき寄せるように人を入れてゆく。中では、太夫と呼ばれる演者がそれぞれの芸を披露し続けている。火吹き芸やへび女、犬の曲芸が映される間になつかしい筆致で描かれた「人間ポンプ」「たこ娘」「ろくろ首」など、おそらく今は演目にない演目の看板が映されてゆく。

 映画は監督の奥谷洋一郎の語りを間に挟みながら大寅興業社一座の舞台裏とそれを取り囲んでいた業態を知る人たちへのインタビューで構成されている。口上の競り合いや客の取り合いがなくなった今を、大寅興業社の大野裕子さんは「寂しいね」と何度も違う場所でカメラを真っ直ぐ見ながら言う。対抗者が誰もいない環境のしょうばいは、転じて他の人から見限られたしょうばいでもある。「失われるもの」と割り切った口調で大野裕子さんは見世物小屋というしょうばいを言ってのける。小屋掛けから始まり小屋を畳んでバンで道路へ去るショットで映画は終わる。監督はそのバンへ「さよなら」と声を当てていた。
 たった九〇分だが時間という身が詰まった濃密な映像が終わると席を立とうとする観客を慌てて係員が止めた。たった今「さよなら」を告げた監督がすーっと映画館へ来て、館長が質問はないかと言った。私の前の列で見ていた女性が手を挙げた。彼女はなぜ後継者を育てないのか、と聞いた。監督は、食べていけなくなったら辞めるものだ、商売だから、といったような返事をした。その受け答えを聞いてようやくこの映画の重みが腑に落ちた。

 「見世物小屋自体が見世物になりたくない」と最初は断られながらも徐々に迫って撮影した映像は傍目から見れば貴重で、行われている芸も後継者がいないという点では貴重ではある。けれども興業社としてはあくまで芸は飯の種だという矜持がある。その矜持に敬意を表してか、この映画も四年前に公開されながらDVDにはされておらず見世物小屋が終わった後に一週間だけ公開された。(仮にDVDを作っても映画に並ぶようなもの好きの数は少ないからだろうが)。記録でありながらも見世物小屋とともに消えてしまいそうな、あるいは見過ごしてしまいそうな奇妙なはかなさがそこにはあった。
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