えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

:『ラヴ・レターズ』 二〇一六年八月四日 パルコ劇場

2016年08月13日 | コラム
・さよならのために

 風間杜夫が力いっぱい「さようなら」と告げると明かりが落ちて場内は暗転した。月並みの表現だが、「さようなら」には万感がこもっていた。

 木、金、土、日の四日で一時閉店を迎える渋谷パルコの正面入り口には白地に「四」と印刷された幕が下がっていた。劇場へ行く客はそこを避けて脇通りの入り口からエレベータに乗って最上階の劇場に行く。エレベータホールでは男の係員が集まる客を順番にエレベータへ詰め込んでいた。
 赤いカーペットに黒いカーテンのしつらえは他のフロアから一線を画して劇場という場を示している。観客はチケットを渡し壁一面にずらりと貼られた一九九〇年の公演からの『ラヴ・レターズ』演者たちの写真を眺めて席に着く。舞台役者にとどまらず音楽家やお笑い芸人、脚本家も混ざったとりどりの出演者が華やかだった。過去に戻るにつれて粗くなる写真の肌理が年月を思わせる。

『ラヴ・レターズ』という演目は一九八八年にアメリカで初演された朗読劇で、登場する人物は男女一組のカップルだ。進行は二人が一冊の本に収められた書簡を読み合うという劇場の係員曰く「とても静かな劇」だそうだ。舞台装置も同じ設えの椅子二つが丸テーブルを挟んで置かれ、椅子と丸テーブルの背後に距離を取ってさんの入った壁があるだけとおとなしい。丸テーブルにはガラスの水差しとコップがある。二つの椅子は客席から見て左が緑、右が赤と始まる前からどちらが座るか分かることが仕掛けらしい仕掛けだろうか。この椅子に腰かけた男女が五十年の歳月をかけて交わした『レターズ』の束を読み上げてゆく。
 二〇一六年八月四日の公演は男性のアンディの手紙を風間杜夫、女性のメリッサの手紙を伊藤蘭が読み上げた。端の席にも関わらず、平日のせいか私の座る席の視線上の席は斜めにきれいに空いていて二人のふるまいが良く見えた。風間杜夫は灰色の上下に白いシャツへえんじのネクタイを締めており、伊藤蘭は白いポンチョのようなすそのひだを大きく取った上着に黒の細身のパンツと短いブーツで登場した。普段着のままふいと舞台へ現れた二人は一礼するとそれぞれの椅子に座る。風間杜夫は右足を組んで本を膝に置くと胸ポケットから茶色の縁の眼鏡を出してかけると伊藤蘭は揃えた膝の上に本を置いてめくり始めた。

 最初の手紙はアンディの書いた、メリッサの家で開かれるパーティーの招待状の返事だった。一歩外すと単調な棒読みに聞こえそうな角ばったかたちで風間杜夫はアンディを読む。「手紙を書くのが嫌い」なメリッサを伊藤蘭はいたずらっぽい愛らしさで読んだ。身振り手振りはほとんどできない。たとえば「ぼくは怒っています!」という一節を読むとき、怒りを表す仕草を「読む」という動作意外に付け加えることはしない。二人はそれぞれの椅子に据え付けられたまま手紙を読み合い続ける。伊藤蘭がときおりメリッサの言葉に合わせて風間杜夫を眺めやったり身を軽くテーブルへ乗り出したりするのに対し、風間杜夫は本に目を落としたまま手紙が終わるまで身動きは殆どしなかった。
 手紙は時々一方通行になる。「返事が欲しい」「ちゃんと届いているか」という不安に対して片割れはページを手紙の進み具合に合わせて繰るのみで、観客も演者も手紙に書かれたこと以上のことはわからない。アンディが着実にお堅く政治家として成功を積み重ねる一方でメリッサは酒と薬で画才を散らし少しずつ孤独に取り巻かれる中で彼女の手紙の「愛をこめて」に本物の情がこもってゆく。アンディの真摯で生真面目な、伝えることに不器用な姿が子供時代から青年時代にかけて目立つが、歳を重ねるにつれてメリッサもフラッパーになりきれない不器用さが表れてくる。

 伊藤蘭の読むメリッサは途中の投げやりな言葉の中でもこちらがもどかしくなるくらいの真っ直ぐな情があって、それがかえってメリッサの過ごす生活の孤独さとアンディにすがる切実さとして迫る。それを風間杜夫は当惑の様子もなく受けきる。「会いたい」と一人ぼっちの悲しみを訴えるメリッサに「選挙!」の二語で切り返すかけあいのテンポを笑いにおとさず二重生活の苦しさを隠す姿を声だけで見せてきた。
 全ての書簡を読み終えて席を立ち、客席へ頭を下げた後拍手を受けつつ風間杜夫は手を腰に当て腕を「く」の字型にして胸を軽く張り伊藤蘭へ突き出した。伊藤蘭はとまどいと驚きの混じった少しの間のあと、しなやかに腕を絡めた。そこにはアンディとメリッサの面影がまだ色濃く残っていた。
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