はぐれ雲のつれつ゛れ日記

還暦が過ぎ、そろそろ人生を振り返る歳、日々の出来事や思ったことを、思いつくままに・・・。

金剛座寺・近長谷寺・神宮寺

2023-02-12 21:19:51 | 伊勢西国三十三か所

多気町にある、伊勢西国第10番 摩尼山 金剛座寺に行ってきた。

当寺は、旧寺名を穴師(子)寺といい、寺史には白鳳2年(673)藤原鎌足有縁の草創という説と、白鳳9年(680)に鎌足の一子、不比等が開山したという2つの説がある。讃岐の四国八十六番札所志度寺の別当寺として十一面観音をご本尊にしていたという。持統7年(693)頃に不比等内妻の息子房前の母孝行に感銘を受け、房前が志度寺に母の姿として彫らせ奉納した如意輪観音を金剛座寺に遷座させ、行基菩薩開眼の上本尊にして内妻の菩提寺としたと伝えられており、「志度の観音さん」と呼ばれていた。<HPより>

テレビで常盤貴子が訪れていた寺だ。イラスト付きの御朱印を即興で書いてくれる住職がいる。

台風被害で今にも壊れそうな門で通れない。巨大な五右衛門釜が置いてあった。

住職がいない、御朱印が見当たらない、300円の書置き御朱印もない、近くにいるらしく電話番号が書いてある。電話してみると来てくれた。前住職のあとをつぎ、「楽健寺パン」工房でパンを焼いているらしい。そこにいたのかな? 呼び出してしまったのでイラスト付きの御朱印を書いてもらった。

染川智勇住職の許可をもらい書いてるところをパチリ、漫画好きが講じて書くようになったそうだ。

地蔵さんやダルマ、不動明王、何がいいか迷ったが今の時期、二月十五日はお釈迦様が入滅(亡くなった日)なので涅槃の絵がいいと言ってくれたのでそれにしました。

ご本尊の如意輪観音像も開帳してくれて有難く拝ませてもらいました。

 

続いて第11番 丹生山 近長谷寺(きんちょうこくじ)へ・・

ここから舗装されているがきつい坂道が続く、

<HPより>

当寺院は、仁和元年(885年)伊勢の国の豪族「飯高宿禰諸氏」が、人皇五八代光孝天皇の勅願所として、内外近親等に勧進して建立された、国指定重要文化財である本尊「十一面観音立像(像高6.6m)を、お祀りしております。

飯高氏は奈良時代、四代の天皇(元正聖武淳仁孝謙)に仕えた妥女「飯高諸高」を送り出した豪族で、諸高は、性甚謙謹・志慕貞潔・典従三位を賜り、宝亀八年(777年)八十歳で奈保山に葬られるまで、多気郡勢和村丹生から産出する「水銀」で富を築き上げた。(続日本記より)
 御本尊十一面観音は、奈良の長谷寺、鎌倉の長谷寺とともに「日本三観音(三体の仏像を一本の樟から造られたものと伝えられている)」のひとつとして広く知られ、全国に二百ヶ寺以上あるといわれる大和長谷型観音に属するもので、なかでも右手に錫杖を添える姿は、日本唯一のものである。

日曜は開帳してるはずだがしてなかった。黙ってたけど200円払って言わないといけなかったのか?近いからまた行ってみよう。

 

最後に第12番 丹生山 神宮寺(丹生大師)へ・・

仁王門

女人高野丹生山「神宮寺成就院」のホームページへようこそ!
 当寺院は、古くから「丹生大師」として親しまれ、弘法大師の師匠である勤操大徳が宝亀五(774)年に開山。後に、弘仁四(813)年、弘法大師よって七堂伽藍が建立されました。
 大師堂には、御大師自らが刻み安置されたといわれる、御本尊「弘法大師像(四十二歳の自画像)」のほか、「十一面観音」「不動明王」「薬師如来」「大日如来」などをお祀りしております。

寛永時代の鯱

護摩堂

本堂

大師堂に続く回廊

大師堂

弁財天と姿見の池(睡蓮池)

昔、近くに大師湯があったが今もあるのだろうか?

 

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