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気が向いたときに気が向いた話題でつぶやきます

カンタータ BWV10

2021-12-24 | つぶやき

このカンタータは1724年7月2日の受胎告知の祭日のためにバッハによって書かれたそうだ。その日の教会の朗読はマリアのいとこのエリザベスへの訪問を記述するルカの福音書からの一節であったそうだ。 ⇒ Meine Seel erhebt den Herren – Bach (bachvereniging.nl)

●バッハには2曲のマニフィカト(マリアの神への賛歌)があり、1つは1723年のクリスマスに初演された有名なラテン語のBWV243、もう一つが、このBWV10でドイツ語によるマニフィカトと呼ばれるそうだ。グレゴリオ聖歌が定旋律に使われているそうだ。 ⇒ バッハクライス神戸 -Bach Kreis Kobe (coocan.jp)

Bach - Cantata Meine Seel erhebt den Herren BWV 10 - Creed | Netherlands Bach Society

(関連:2019/12/18マイブログ


ミサ曲 ト短調(BWV235)

2021-12-17 | つぶやき

バッハが1730年代に書いた4つの小さなミサ曲(BWV233~236)は謎に包まれているそうだ。これらの短いミサ曲はバッハには珍しいラテン語で書かれており、キリエとグローリアだけで構成されるそうだ。さらに、バッハはこれらのミサ曲をほぼ完全に少数の神聖なカンタータからの材料でコンパイルしたそうだ。このミサ曲ト短調はオープニングはカンタータ102番から、他の2つの合唱と3つのアリアはカンタータ187番と72番から取られているそうだ。●バッハがお気に入りのカンタータの楽章のための安全な安息地を作成するためにこれらのミサ曲を書いたと推測することはあり得ないことではないそうだ。ラテン語のミサ曲はドイツ語で書かれたカンタータよりはるかに多くの機会に使用できることを意味し、実際、カンタータの作品の多くは失われたが、バッハのルター派ミサ曲は時代の荒廃に耐えてきたそうだ。 ⇒ Mass in G minor – Bach (bachvereniging.nl)

Bach - Mass in G minor BWV 235 - Van Veldhoven | Netherlands Bach Society


ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ト短調(BWV1018)

2021-12-10 | つぶやき

1774年、カール・フィリップ・エマニュエル・バッハは父のチェンバロとヴァイオリンのためのソナタについて「50歳を超えているが」大変楽しいと語ったそうだ。バッハはおそらくこれらのソナタをケーテン時代に書いたが、生涯を通してそれらを微調整し続けたそうだ。このことはバッハもこれらの作品が成功したと考えていた明らかなサインであるという。これらのソナタの魅力を保つのに役立ったもう一つのことは、楽器構成であるそうだ。18世紀の初頭に流行していた2つのヴァイオリンと通奏低音のためのトリオソナタの代わりに、これらのソナタは鍵盤楽器と1つのヴァイオリンのためのものであり、それ故、カール・フィリップとその後の時代(例えば、モーツァルトのピアノとヴァイオリンのためのソナタ)に適していたそうだ。しかし、いくつかの楽章では、古いトリオソナタの形式がまだ水面下にあり、第2楽章ではチェンバロの右手の音が第2ヴァイオリンで演奏されるのを想像することもできるそうだ。また、カール・フィリップはバッハのソナタは「今日の人々はよりメロディアスに書くことはできないいくつかのアダージョ」を含んでいると書いたそうだ。 ⇒ Violin Sonata in F minor – Bach (bachvereniging.nl)

Bach - Violin Sonata in F minor BWV 1018 - Sato and Ares | Netherlands Bach Society


トカラ列島近海で地震相次ぐ

2021-12-05 | つぶやき

(関連:2021/4/10マイブログ


カンタータ BWV21

2021-12-03 | つぶやき

このカンタータのオープニングコーラスはヴィヴァルディの合奏協奏曲ニ短調(RV565)のアレグロの編曲であるそうだ。バッハがワイマールの宮廷で短期間働いていた時(1703年)、バッハの雇用主の息子である6歳の王子ヨハン・エルンスト4世が住んでいて、数年後に二人は音楽を通して繋がっていたそうだ。1713年7月に王子がオランダへの長い旅から戻った時、1711年にアムステルダムで印刷されたヴィヴァルディの「調和の霊感」を含む新しい音楽を持ち帰ったそうだ。これらのヴァイオリン協奏曲とヴィヴァルディのイタリア様式はバッハと王子自身によって熱狂的に演奏され、そして編曲されたそうだ。
 この作品の初期のバージョンはおそらく高等裁判所職員の妻の葬儀のために書かれたもので、1713年10月8日に起源をもつそうだ。そこでの説教のテーマは詩編94、詩19で、それはまさにこのカンタータのオープニングコーラスのテキストであるそうだ。1714年3月、バッハは宮廷の礼拝堂ために「毎日新しい曲を演奏する」ように言われ、そして、ワイマールのための教会カンタータが誕生したそうだ。トリニティ後の第3日曜日の6月17日にこのカンタータの長いバージョンが演奏されたそうだ。この作品はヨハン・エルンスト王子が聴いたバッハの最後の大きな作品になったであろうという。王子は病気で、1714年7月4日に健康リゾートに旅立ち、1年後、ワイマールやバッハに会うことなく亡くなったそうだ。それ故、偶然にも、ヴィヴァルディアンのオープニングコーラスを持つこのカンタータがバッハの王子へのお別れになったという。 ⇒ Ich hatte viel Bekümmernis – Bach (bachvereniging.nl)

Bach - Cantata Ich hatte viel Bekümmernis BWV 21 - Sato | Netherlands Bach Society

●ご参考までに、ヴィヴァルディの合奏協奏曲ニ短調(RV565)を以下に引用します。

Vivaldi Concerto Op. 3 No. 11 RV 565 (complete)

(関連:2020/1/8マイブログ