「死にたい」と思って死ぬ人もいれば、「生きたい」と思っているのに死んでしまう人もいます。「死にたい」で死ねるように、「生きたい」で生きることができたら良いのにね。
【ただいま読書中】『天使のたまご 完全版(上)』『天使のたまご 完全版(下)』岸香里 作、いそっぷ社、2005年、各1200円(税別)
野口英世の伝記に感動した作者は、看護婦(当時の呼び方)になります。看護学生の寮生活、病院での実習、新米ナース……なんともドジで要領が悪いどたばたを、現場を知っている者だけが描けるリアリティーで温かくユーモラスに漫画にしています。ユニークな人たち(看護婦、看護士(当時の男性ナースの呼び方)、医師、患者、患者の家族、作者の家族、など)が次々登場してシビアではあるけれど抱腹絶倒の騒ぎを繰り広げますが、その誰にも作者は繊細で温かい視線を向けています。
私が特に心を動かされたのは、作者が仕事に慣れて後輩や学生を指導する立場になったとき、「何か違う」と違和感を感じていて、ある瞬間に自分が初志を忘れていたことに気づいた瞬間です。私自身も仕事をしていて「あ、初志を忘れている」と気づいたことが(恥ずかしながら何回も)あります。慣れと自信は、初志を忘れさせちゃうのかな。
読んだ人が自分自身のことまで思い出すことができるとは、良い漫画です。
外国のどこだったかな、「料理が辛いものばかりだから、食後に甘い物が欲しくなる」と言っているのを聞いて私は膝を打ちました。全体でバランスを取るわけです。すると日本料理は、料理に砂糖をけっこう使うから、食後には甘くないデザートの方が向いているのかな?
【ただいま読書中】『日本の有平糖 ──名匠に学ぶ、基本の手順と細工徹底解説』石川久行 著、 グラフィック社、2018年、3500円(税別)
私は和菓子では主菓子が好きで、有平糖はきれいだとは思うけれどそれほど食指は動きません。「砂糖から作った!」と主張する菓子だったら、金平糖の方が好き。それでも有平糖が嫌いなわけではないので、せっかくだからちょっと読んで見ることにしました。
有平糖は、砂糖を煮詰めて作った飴菓子の一種で、戦国時代にポルトガルの宣教師によってもたらされた「アルフェロア(糖蜜から作られた茶色い棒状の菓子)」「アルフェニン(砂糖から作られた白い砂糖菓子)」が元だそうです。
まず様々な有平糖が写真で紹介されますが、単なるハードキャンディーではなくて、実に細かく細工され着色されたガラス細工のような風情です。
ではそれを作るためにはどうするか。まずは基本生地を作ります。白色、赤白のボカシ、緑と白の縞生地などを必要な量だけ準備しなければなりません。そのために必要なのが、色粉。素色の粉末をアルコールで溶いて固さを調節して準備しておきます。同時に道具もすべて準備。そうしてから、白双糖と水飴を煮詰め始めます。
飴細工ではついつい「細工」の方に注目してしまいますが、「基本」が大事、が著者の主張のようです。
基本生地ができたらそれをカットして細工ですが、たぶん熱いですよね。繊細にかつ大胆にスピーディーに、と矛盾した手さばきが求められるのでしょう(未来の「本」ではこれを動画で見ることができるのでしょうね)。私は作る側ではなくて愛でる側に身を起き続けることにします。これを作るのは、私には無理だ。
戦後の昭和の常識は「終身雇用」「55歳定年」「近くの商店で買い物」「親の世話は嫁の義務」でした。それが今では「非正規雇用」「定年はフレキシブル」「買い物はネット」「老老介護」です。だったら、法律や社会制度や社会常識も、そういった変化に合わせて変えないと、どこかに無理が出るのではないでしょうか。
【ただいま読書中】『エレベーター・ミュージック・イン・ジャパン ──日本のBGMの歴史』田中雄二 著、 DU BOOKS、2018年、2200円(税別)
音楽が人間の心理に影響を与えることは古くから言われていました。だから教会にはパイプオルガンが設置され聖歌隊が置かれ、軍楽隊が活用されます。ビジネスとしては1934年にジョージ・オーウェン・スクエア(退役准将)が有線サービスのミューザック社を設立したのがアメリカでの最初です。「音楽による生産工場、消費促進」を効能として、ミューザック社は全米に販売網を拡張していきます。ステレオはまだ広まっていなかったため、モノラル音楽で、周波数帯域は「刺激が少ない」中音域だけ、SPレコードを生でかける方式でした。高音域と低音域をカットしたのは、電話回線の品質が低かったことが主因だろう、と私は感じましたが、それさえ「労働者のためにはこの方が良い」と“利点"に変えてしまうところが商売上手です。工場や店舗での評判が高まると、アメリカ軍もミューザック社の大口顧客になります。野戦病院でのBGMや音楽の慰問団などで、戦場での音楽は兵隊の“役"に立ちました。
イギリスでは、1922年にBBCがラジオ放送を開始しましたが、ラジオ受信機はまだ高価で受信が困難な地域が多かったため、ケーブルでBBCのプログラムを「レディフージョン(再放送)」するサービスが始まり、30年に音楽配信会社「レディフージョン」が設立されました。アメリカとは違って家庭向けのサービスです。43年には工場で「労働者のための音楽」という番組が放送されるようになります(イギリスの90%の工場で放送されたそうです)。
戦争中にドイツではテープレコーダーが発明されました。戦後連合軍はこの技術を持ち帰り民間会社に公開、アメリカでのオーディオ産業発達の下支えとなりました。
日本でのBGM産業は、1957年帝国ホテルで始まりました。電電公社の専用線をレンタルしてホテル内の共有スペースに音楽を流す「日本音楽配給」です。事業は当たり、ホテル周辺にもサービスエリアがどんどん広がりました。問題は電電公社です。法人向けの電話回線は使用料が高く、また配信エリアが電話局の営業局内限定で区をまたがった配信ができないこと、お役所仕事で工事が遅いことが本書には挙げられています(電電公社の職員の態度がとても傲慢だったことも私は記憶しています)。日本音楽配給は、機材はレンタル、音楽は長時間録音したテープで届けるスタイルでした(テープは定期的に交換して、飽きられることを防いでいます)。長時間とは言ってもオープンリールの最長は2時間。やがてリバース機能(テープが往復で再生できる)がついて4時間となっています。
高度成長期の追い風に乗ってBGMビジネスは順調に成長、地方では地元の放送局を巻き込んでのフランチャイズ展開をします。テレビ放送が東京のキー局と地方の系列局で展開したのと似ています。成長したら分離独立合従連衡。面白いのは62年に「BGM」が商標登録されたことです。今だったら一般名詞ですが。
テレビが成長して顧客を奪われたラジオ局は、スターDJによる音楽番組で対抗しようとしました。その過当競争の中で「ラジオジングル」を導入します。これが聴取者の心を捉えました。実はこのジングルも、けっこう大きな「ビジネス」なんだそうです。
著作権も大きな問題です。支払いを少しでも減らしたいBGM業界はJASRACとの交渉で少しでも有利になるように頑張っています。
オープンリールに代わろうと、コンパクト・カセットや8トラック・カートリッジが登場。やがてレコードに代わったCDがBGMでも使われるようになります。また、ネットでの配信も始まります。嚆矢は1992年の「通信カラオケ」です。衛星放送では91年にWOWOWが「セント・ギガ(副音声チャンネルを利用した有料音楽放送)」を開始しています。
当時BGM業界の“最大の敵"は「有線放送」でした。同軸ケーブルを全国に張り巡らして多チャンネルで人気のプログラムを配信する大阪有線会社(現・USEN)は圧倒的なシェアを誇りましたが、実はケーブル配線を行政・電電公社・電力会社から許可を取らずに違法におこなっていました。たしかに「違法は違法」なのですが、大坂有線の言い分も、読むと「二分(あるいは三分くらい)の理」はあるように感じられます。(このときの行政の不誠実な不作為を、著者は不信の目でじとっと見ているようです)
JASRACは、細かく著作権料を取り立てようとしていますが、これはグローバリズムに合わせるためだそうです。ということは、これからBGMの料金は上がっていくのかもしれません。
かつてのBGMは「音楽は集団で聞くもの」が前提でした。しかし現代社会では「音楽は個人が聞くもの」になっています。そこでBGMはどうやって生き残っていくのでしょうねえ。
毎年日本のあちこちで災害が繰り返されます。そのたびにまるで初めてのように人はうろたえることになります。もちろん被災者は大体が「初めて」だから仕方ないのですが、マスコミや行政や学界は初めてじゃないですよね? その「過去の知見と経験」を未来に伝える“お仕事"は、被災者ではなくて「機関」がした方が良いのではないか、と思うのですが。
【ただいま読書中】『危機の都市史 ──災害・人口減少と都市・建築』「都市の危機と再生」研究会 編、吉川弘文館、2019年、11000円(税別)
明暦の大火(明暦三(1657)年)で江戸の中心部は焼き尽くされ、犠牲者は数万人と推測されています。被災した大名屋敷は157と幕府の公式記録「年録(江戸幕府日記)」に記録されています。この大火後、武家地は「復旧」が基本で、新しい土地への移動は例外的でした(各大名の「既得権」の主張が強かったようです)。ただ、一時郊外に身を寄せていた大名の体験から郊外の重要性が認識され、品川などの郊外に下屋敷がたくさん給賜されました。また、町人地を中心に火除け地が設けられました。
江戸が東京になったあと、少しずつ耐火建築が増えてはいましたが、大正五年の東京市15区で木造がまだ9割を占めていました。関東大震災のあと、“とりあえず"バラック建築を認可していましたが、同時に耐火建築の建築も進められていました。銀座では震災で煉瓦造りがほとんど焼失した代わりに鉄筋コンクリート造建築が増えましたが、丸の内では重厚な煉瓦造りが多く焼け残っていました。興味深いのは「社寺の不燃化」に反対運動があったことです。「コンクリートの社殿に神が宿れるか!」と言うのですが、どの神様に聞いたのかな?
細かい水路をまるで血管網のように活用して発展したバンコクは、発展したために水質汚濁と違法建築と水路の埋め立てにより、都市としての活力を一度失い、それから近代都市として再生することになりました。そういえば江戸も東半分は細かい水路ネットワークが機能していたのが、今は見事に失われていますね。
外敵や産業構造の変化などによっても、都市は危機を迎えます。禁門の変による大火と天皇を東京に取られたことで、京都も危機を迎えました(大名を失った各地の城下町も同様です)。そこで京都がおこなったのが「教育と勧業」による「近代化」です。その表現の一つが「京都博覧会」ですが、京都人のたくましさには頭が下がります。
大火後のロンドン、水害後のフィレンツェなど、前よりも良い都市/もっと防災もできる都市、を目指した例もあります。「危機」はもちろん嬉しいことではありませんが、せめてそこから学んでその知識をより良い未来に使えたら、犠牲者は無駄死ににはならないことでしょう。
親が死んだとき、役所などの手続きの煩雑さに、私は切れそうになりました。「これはここ」「これはあそこ」と行くべき役所が細かく分かれ、さらに同じ役所でも担当が違うと別の窓口に行かなければならない。そのたびに書類を記入しなければなりません。必要なものも窓口ごとに違います。
「マイナンバーは何の役に立っているんだ?」と言いたくなりましたっけ。というか、言います。「マイナンバーは何の役に立っているんです?」
【ただいま読書中】『ブロックチェーン、AIで先を行くエストニアで見つけた つまらなくない未来』小島建志 著、 孫泰蔵 監修、ダイヤモンド社、2018年、1600円(税別)
エストニアは「バルト三国」のひとつ、人口はわずか130万人、面積は九州と同じくらいの小さな国です。1991年にソ連から独立したのち、この国の政府は「行政システムの電子化」を一気に進めました。その結果、行政サービスの99%がオンラインで年中無休で利用できるようになっています。確定申告も数分から15分(すべての商取引が電子化されて残っているからだそうです)。「イーレジデンシー」という制度では、審査を通れば外国人でもエストニアの仮想居住者になれて会社の設立ができます(エストニアはEUに加盟しているので、これはでかい話になります。日本人もすでに1600人以上この資格を取得しているそうです)。
日本にあってエストニアにないもの。現金、確定申告用紙、ファックス、薬の処方箋、パーキングメーター、運転免許証、地域の回覧板、学校からのお知らせ、保険証……
エストニアでは、子供が誕生すると、10分後に政府からお祝いメールが届きます。そこにはその子の国民ID番号が記載され、それは同時に国の子育て支援制度への申し込みが終了したことも意味しています。日本のように煩雑な書類を書いて申し込む必要はありません(ちなみに、名前を決めるのは、日本では誕生後2週間以内ですが、エストニアでは2箇月以内です。すでにIDがあるから名前は二の次、ということかな?)。車の売買もオンラインで1分ですんでしまいます。日本のように書類を準備したり陸運局に行ったりする必要はありません。
エストニアでオンラインでできないことは3つ。不動産売買・結婚・離婚。どれも重大な決断で、ちゃちゃっとオンラインですることではないのだそうです。
エストニアのシステムは独特です。日本だったら巨大なデータベースを構築しようとして、入力ミスをしたりバックドアを開放してしまったりしそうですが、エストニアは既存のデータベース(政府のものと民間のもの)を安全につなぎ安全に利用できる「エックスロード」を構築することに注力しました。分散型データベースです。しかもエックスロードはオープンソース。人材を集めることとコストを安く抑えることが可能です。
役所は、若い人材を登用し、民間会社が開発したソフトをチェックします。民間に丸投げの日本とはここも違います。さらに13年以上前の古い技術は使用が禁止されているので、役人は常に新しい技術に関して勉強を続ける必要があるそうです。
プライバシーについてが気になりますが、エストニアでは、個人の情報にいつ誰がアクセスしたか、がすべて記録されてその個人に公開されています。そして、個人データの不正利用は刑務所行き。医師や警察官が罰せられたケースが実際にあるそうです。また、一般人はそもそも他人のデータベースにアクセスできません。もちろんそれでも不正利用はありそうですが、すくなくとも「透明性」は確保されているわけです。また、政府の目的が「国民のデータを管理する」ではなくて「国民の生活の利便性向上」だから、国民は喜んで利用している(そして利便性を向上させている)わけでしょう。(エストニア政府元高官に言わせると「日本のマイナンバーは実はユアナンバー(政府がコントロールしたいだけ)」と辛辣です。まあ、公文書改竄を平気でする国ですからねえ)
2007年エストニアはロシアからとみられる大規模なサイバー攻撃を受けました。サーバーはダウンしましたが、不幸中の幸いでデータ流出はなく、エストニアは逆にNATOに働きかけて「対ロシアのNATOサイバー防衛協力センター」を設置することに成功。さらにセキュリティーレベルを高めるためにエストニアは「ブロックチェーン」を採用しました。たとえデータが書き換えられたとしても、あとからそれが確実に追跡できる技術です。ただし、仮想通貨で用いられているものとは、質的に異なるものだそうです。
場所や金銭の制約をなくす、という点では、日本では「地方」がエストニアの方式を採用するメリットが多そうです。経費は節減できるし住民の満足度は上がります。エストニアのように他の地域から人材がどんどん集まる可能性もあります。エストニアは独立直後の非常に苦しい状態から電子国家で立国しました。ならば日本の地方も、同じようなことができる可能性はあります。
エストニアの歴史は「占領の歴史」でした。しかし、攻め込まれて国土を失ったとしても、国民のデータとシステムを新しいところで“インストール"できたら、そこで立国できる、という発想が紹介されます。すごい発想です。発想、というか、覚悟ですね。
絵とかアニメに羽根のある天使が良く登場しますが、あの羽根って、流体力学的にちゃんと浮力を発生させる能力があるのですか? もしかして物理学は無関係? だったら最初から「羽根」は不必要なのでは?
【ただいま読書中】『重力アルケミック』柞刈湯葉 著、 星海社、2017年、1300円(税別)
『横浜駅SF』でとんでもない「横浜駅」を描いた人が、その出版前から書き始めていた「デビュー第二作」だそうです。こちらでは「重素」がどうかなったらしくて地球が「膨張」しています。若松から郡山まで830km(1年前には805km)、バスで1日がかりです。当然のように「東京の大学に進学する高校生」はほとんど絶滅危惧種となっていますが、本書の主人公湯川航(わたる)くんは、何を思ったか東京の大学(国立大塚大学、略称大大)を受験して合格、4日のバス旅行で上京します。東京では23区がそれぞれ分離して、その間にはひたすら広大な原っぱが広がっていました。
いやもう、異形の日本です。奇妙で奇天烈で素敵です。
湯川君の学生生活は、貧乏な理工系男子学生のそれなのですが、なんだか昭和時代の苦学生を今風にやたらと明るくしたような雰囲気で、最近の若い人にはレトロで新鮮なものかもしれません。
「重素」ってなんだ?ですが、「酸素」「窒素」「燃素」などとならぶ存在なのだそうです。「燃素」が出た瞬間に笑える程度の科学史の知識がないとちょっとあとがつらい展開になるかも、と心配しましたが、湯川君が進学したのは重素工学科、新入生の彼が重素について学ぶ過程から私たちも「重素とは何であるか」を学ぶことができます。重素は鉱山から掘り出され、その結晶を熱して燃素を飛ばしてから変換すると反重荷を持つようになります。これによってたとえば航空機が飛びます。航空機に限らず、空に浮かぶものはすべて、そして、自動車も(重素を使わないタイプ以外は)重素で駆動されます。航空機と言いますが、形は円盤。反重盤は円形が効率が良く、機体も、空気抵抗を考えたら細長い方が良いのですが、重力摩擦を考えたら円盤形の方が良いのだそうです。
いや、「重素」の理論的整合性をここまで突き詰める必要はないかもしれませんが、理工系の脳にとってはとことん整合性が取れていた方が気持ちが良いでしょうね。しかし、重素が20世紀初めから利用されていたとか、その地下資源を巡って戦争(第二次世界大戦)が起きた、とか、元素記号がちゃんとあるとか、著者は大まじめにふざけたことを書いてくれます。しかし、地球の膨張が第二次世界大戦中に始まったのは、つまりは大量採掘によって地球をコンパクトにまとめていた重素が減ってしまったため、と推定されている(でも証明はされていない)のは、その推定が正しかろうと間違っていようと、とにかく困った事態であることにはかわりありません(ちなみに地球の表皮(地殻)には重素が豊富に含まれ、核は反重力でその間隙には「地底世界」がある、がこの世界の地球構造モデルです)。「地球温暖化は科学的に証明されていない」と主張して現状を否定する人のこともちょっと思い出したりできます。
学内の博物館で湯川君は「航空機の歴史」の前段階に「反重力を使わない試み(たとえばリリエンタールのグライダー)」があったことを知ります。さらに「飛行機」というものが100年前(大正時代)に研究されていたことも。そして、これまでの人生(といってもたかだか20年)で「何をしたいのか」が本当にわからないまま生きていた湯川君は、「飛行機を作りたい」と強く思ったのです。
見事に複雑な仕掛けがしてあるストーリーです。いや、そういった仕掛けを気にせず、異世界の青春ものとして読む手もありますし、それでも十分楽しめますけれどね。
私たちのこの日本でも、大学で熱心に人力飛行機を作っているチームがあります。それと同様に熱心に大学で「飛行機」を(世界で初めて)作ろうとした人の物語を語ろうとしたら、これはもうSFにするしかないわけで、そのために「異形の日本(地球)」を最初から作りあげてしまった著者には脱帽です。次の作品も楽しみです。
テレビで「四十代が優遇される自動車保険」を宣伝していました。四十代でない私は呟きました。「二十代や六十代は冷遇される、ってこと?」。だって、どこかでバランスを取らないと、保険会社は潰れるでしょ?
【ただいま読書中】『中世の〈遊女〉 ──生業と身分』辻浩和 著、 京都大学学術出版、2017年、3800円(税別)
中世の〈遊女〉は3種類あるそうです。「9世紀後半から交通の要所に出現した、和歌や歌謡などの芸能で宴席に侍するほか、売買春にも従事した人たちで、11世紀以降、今様(流行歌)の歌い手としても有名になる」「11世紀頃遊女から分化した『傀儡子(くぐつ)』。曲調の違いで区別されたらしいが、特に東海道の宿に集住して旅人に一夜の宿を提供した」「12世紀後半に京周辺で出現した白拍子舞を得意とする白拍子。売春もするが基本的には芸能者扱い」。
学者によっては「巫女」を「遊女」に重ねる人もいます。たしかに、厳島神社の内侍が、後白河院の命で舞を舞ったり今様を歌ったり、平清盛の寵愛を受けて子を為した、なんて例もありましたっけ。
遊女が単なる売春婦ではなくて、遊芸を生業としていたということに私は面白さを感じますが、これは昔の日本で女性が職業を自分で選択して自立しようとしたらそれくらいしか選択肢がなかった、ということなのかもしれません。
本書では「売買春は絶対悪」という態度を採用していません。その時代にそれが常識だったら「その時代にそれは常識だった」とすることを話のスタートにしています。女性がそれを好んでいたかどうか、はその次に論じるべき問題なのでしょう。
テレビで“伝統の巨人阪神戦"を見ていて「金をかけたらチームが強くなる」って「スポーツ」なのか「経済活動」なのか、と感じました。できたら私は「金持ちが勝つ」ではなくて「フェアなスポーツを競った結果」を見てみたいので、一度「十二球団全部同じ額の予算」で活動してみた結果を見たいなあ。
【ただいま読書中】『終わっている臓器 ──もはや不要なのに存在する人体パーツ21の秘密』坂井建雄 著、 徳間書店、2019年、1500円(税別)
「鋤鼻器(じょびき)」「ダーウィン結節」「盲腸」「体毛」「親知らず」「立毛筋」など、現在の人体では特に働きを持っていない「臓器」を21取り上げて、その由来を解説してあります。
私が笑ってしまったのが「足の第5指」。私たちは「自分の体の範囲」を無意識に認識していますが、足の小指はなぜかその範囲に入っていないのだそうです。ああ、だから時々足の小指をがつんとタンスの角にぶつけてしまうんですね。自分では「自分の体」は安全に通過させているつもりなのに、足の小指だけそこからはみ出ていたんだ。かつて人類の祖先が樹上生活をしていたときにはこの指は重要な役割を果たしていたのですが、今は退化しつつあって、だからでしょう、小指の骨が3本ではなくて2本の人が増えているそうです(実は私も2本です)。この指を進化させる(再活用する)ためには、靴を捨てて樹上生活をしないといけないのかな。
これらの「終わっている臓器」は、すべてかつては何らかの役割を果たしていたのですが、進化の過程でその意味を失ってしまったわけです。そういった意味では、私たち自身が「生きる化石」なのかもしれません。よくよく見たら、進化の過程が刻み込まれているわけですから。
「情けない」という言葉がありますが、ここで「ない」とされている「情け」は一体どんなものなのでしょう? ということで国語辞典を引いてみました。すると「形容詞だろう」という予想通り「情けな・い」と解説があったのですが、同時に、「情けがない」「情け容赦がない」という意味も載っていました(「源氏物語(帚木)」の「殊更に情けなくつれなきさまを見せて」や「保元物語」の「墳墓を忽ちうがつて、死骸を実検せらるること、いたはしく情けなくぞ聞えし」が例として載っています)。すると「情けない」は「情けな・い」と「情け・ない」とが両立している言葉だということになるんですね。
それとも最初は形容詞だったのが「情け」という「名詞」に心情的に引き摺られて「情け・ない」と解釈する人が多くてそちらの方があとから定着した、のかな?
【ただいま読書中】『ビアンカ・オーバースタディ』筒井康隆 著、 いとういのぢ イラスト、星海社、2012年、950円(税別)
たぶん再読だけど、記憶がきれいに飛んでいるので最初から楽しみながら読書できました。
高校で一番の美少女ビアンカは、生物学クラブでウニの生殖の実験をしていましたが、ひょんなことで人間の生殖に興味を持ち、彼女を崇拝する男子学生から精子の提供を受けて実験を始めます。それがどんどんとんでもない方向に話が転がっていきます。未来人が登場して、未来の日本人は海面上昇と生殖能力の低下と巨大カマキリの襲来でとんでもないことになっている、という話をビアンカたちに知らせます。ではそれを救うために……アフリカツノガエルの卵子と人間の精子を受精させて最強の兵士を作ったらどうか、というとんでもない実験がスタートしてしまいます。そもそも高校のクラブの実験で人間の精子を採取する時点でアウトだと思うんですけどね。
しかし、ハチャメチャどたばたロリコンもので終わらせないのが、著者の腕です。資本主義と科学技術文明を両輪とする現代文明の限界についての考察がさらりとされて、どたばたと話は終わります……あるいは、終わりません。
いやあ、面白い。著者は老境に入っているはずですが、頭はまだまだ若いな。「誰か書いてくれ」なんて言わないで続編もぜひ。
小中高と聞いて、不思議に思う日本人はあまりいないでしょう。
だけど、小中の次に来るのは、本当は大じゃないです?
【ただいま読書中】『終わりなき索敵(航空宇宙軍史・完全版(五))』谷甲州 著、 早川書房、2017年、1400円(税別)
『最後の戦闘航海』で登場したロックウッド(当時は少佐、今は大佐)と非人道的な実験でサイボーグ化された「作業体K」が同じ観測船「ユリシーズ」に乗り組んでいます。もっとも作業体Kは乗組員ではなくて装備扱いですけれど。観測目標は、太陽系から遙か遠くを移動しているSG(射手座重力波源)。どうも複数のブラックホールが複雑な運動をしながら一定方向に移動しているようなのです。天然の現象か? それとも人工物か? 人工物なら、それを創ったのは誰でその目的は?
妙なことに、SGは時空を歪め、そのため「ユリシーズ」は航宙しながら時間の中を行ったり来たりしてしまいます。そしてそこに「人類の未来」が登場しました。超光速の空間流を舞台として、宇宙規模のタイムマシンが実現してしまったのです。
太陽系外宇宙を探索していた航空宇宙軍は、銀河のあちこちで文明を発見、それを支配しました。しかし支配された側は汎銀河連合を結成して抵抗を始めます。かつて航空宇宙軍と外惑星連合とが対立したのと全く同じ構図です。そしてまた戦争が。
シマザキ少尉(とその母親と兄)など、過去の作品に登場した人が再登場し、舞台は(これまた過去に戦場となった)エリヌスへ。
そして、未来から一度現在に戻った人は、また同じ戦場でまた同じ敵と同じ戦闘を経験することになります。そしてまた、同じ死者たちの舞踏が。
著者による「主題と変奏」は繰り返されます。同じ作品の中で、違う作品の中でも、そして、シリーズの中でも。その雄大な調べに、私は身を任せるしかありません。ただ残念なのは、第二次外惑星動乱が年表の中の脚注のような扱いになってしまっていること。ここでも“歴史的な人間ドラマ"があったに違いないので、読みたいなあ。