かつては金隠し付きでしゃがんで使うぽっとんトイレのことでしたが、今はお尻洗浄機能は当然で他にも様々な高機能が付加されたトイレのことになったようです。文明の進歩はありがたいものです。だけどこの「和式トイレ」に慣れて他のトイレが使えない体質になってしまうと、海外旅行がやりにくくなってしまいません?
【ただいま読書中】『トイレットペーパーの文化誌 ──人糞地理学入門』西岡秀雄 著、 論創社、1987年、1800円
巻頭で私は笑ってしまいます。いろいろな国のトイレットペーパーの写真が載っているのですが、そのバラエティーの豊かなこと。フランスの「金権政治家を風刺したトイレットペーパー」なんか、その政治家の顔写真が紙の真ん中にでかでかと印刷されているんですよ。これでお尻を拭くんだぁ。
良いトイレットペーパーに求められる機能は「吸湿性」「強靱性」「肌触り」です。しかしそれらをすべて満たすのはけっこう大変。で、著者が各国のトイレで触れたペーパーの中には、万年筆で字が書けるメモ用紙のようなものもけっこうあったそうです。
昔の日本でも、かつては紙以外のものが使われていました。江戸中期くらいまでは、葉っぱ・海藻・藁・ロープ・木片などが使われていたそうです。そう言えば昭和中期に、私の自宅は水洗トイレでトイレットペーパー(ただしけっこう固いもの)を使っていましたが、田舎に行ったときに、ぽっとんトイレで新聞紙を切ったものが箱に積み重ねられているのを見て目が点になったことがあるのを思い出しました。その紙を使用する前にはよく揉んで使う、と教わりましたっけ。なんだかお尻がインクで汚れそうな気分がしますが。
紙を使うのは世界の1/3くらいで、残りは紙以外です。たとえば、指と水(インド、インドネシア)、砂(砂漠地帯)、小石(エジプトなど)、土板(モヘンジョダロ)、葉っぱ(ソ連、昔の日本)、植物の茎(昔の日本、韓国)、トウモロコシの毛や芯(アメリカのコーンベルト地帯)、ロープ(中国の黄土地帯、アフリカのサバンナ地帯)、木片・竹べら(昔の日本でくそかきべらと言っていましたっけ)、海綿(地中海諸島、ローマ帝国)、ぼろきれ(ブータンなど)、海藻(日本の佐渡)……人の工夫は果てしがありません。
しかし、動物は排便後にお尻を拭かないのに、なんで人間は排便後にお尻を拭く必要があるんでしょうねえ。
水洗トイレの排水管を流れるのは、汚物だけではありません。本来は飲むことができる世界的には上質の水道水、大量の紙も流されています。また、尿もこれらと一緒に流す必要があるでしょうか? このへんに著者は疑問を持っています。
私はついつい「日本の常識」に縛られていろいろ判断をしてしまいますが、昭和の頃から見るだけでも「日本の常識」はずいぶん変わっています。だとしたら「現在の日本のトイレの常識」も「絶対的な基準」とは思わない方が良いのでしょう。さて、未来のグローバルなトイレは、どんなものになるのかな?