【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

日本のアニメ

2019-10-02 16:39:45 | Weblog

 今だったら京アニとかスタジオジブリが言われるでしょうが、私は虫プロとかタツノコプロをまず思う口です。昭和のあの頃は「テレビばかり見ていると馬鹿になる」「漫画ばかり読まないでちゃんとした本を読みなさい」と言われる時代で、だから「テレビ漫画」なんか見ていたらもうぼろかすの言われようでした(一般には「テレビ漫画」「漫画映画」と言われていて、アニメーションという言葉はまだ市民権を持っていませんでした)。
 論より証拠、私がこんなどーしよーもない無教養丸出しの大人をやっているところを見ると、テレビ漫画の魔力にはたしかに相当なものがあったようです。

【ただいま読書中】『日本のアニメーションはいかにして成立したのか』西村智弘 著、 森話社、2018年、3400円(税別)

 「アニメーションは現代の日本を代表する文化である」と著者は本書を始めます。おやおや、子供を駄目にする害悪ではなくて「文化」ですか。ちょっと自分に自信が持てそうです。もっとも「漫画が人を駄目にする」場合、「漫画そのものが(どんな人間でも駄目にする)害悪」の場合もあるでしょうが、「人の中に自分を駄目にする要素があって漫画はそこに作用してしまった(別の人の場合にはそのような作用は示さない)」場合もあるでしょうね。アレルギー(特定の体質と特定の物質の関係性から生じる現象)と似ているように私は思っています。
 戦前には「アニメーション」「漫画映画」という言葉は使われず、「凸坊新画帖」「線画トリック」「線画喜劇」などと呼ばれていました。「トリック」とはトリック映画(実写をコマ撮りした技法)のことです。「アニメーション」が日本で使われるようになったのは50年くらい前。最初は専門家だけの言葉だったのが、少しずつ一般化していきました。それに伴って「アニメーション(あるいは日本的な「アニメ」)の概念」も日本で一般化していきます。逆に言えば、戦前の日本には「アニメーション(という概念)」が存在していなかった、が著者の論点です。なんだかソシュールの言語論を適用したくなります。ともかく戦前には「トリック撮影」という上位概念があって、その下に「コマ撮り」があったのです。だから「線画(漫画)」によるトリック映画が「線画トリック」になるわけ。私たちは「アニメーション」という上位概念があるから「漫画」と「実写」を区別しますが、明治の観客はその区別をしていないのです。ちなみに「人形をコマ撮りで撮影した映画」も「人形芝居をそのまま撮影した映画」も明治時代には「人形映画」でまとめられているそうです。「撮影技法」ではなくて「自分たちにどのように見えるか」が明治の観客には重要だったようです。
 アジア初の長篇漫画映画は1942年中国で作られた「西遊記」。これが大人気となり日本では43年に「桃太郎の海鷲」が作られました。しかし戦争のため、日本中で多くの人が見た、とは言えません。
 「アニメの個人制作」は、戦後は「アニメーション三人の会」(久里洋二、真鍋博、柳原良平)で始まりました。ところが戦前にも「小型映画(商業映画の35ミリより小さな、17.5mm,16mm,9.5mm,8mm)」でアマチュア作家がアニメ制作をしていたそうです。大人向けの芸術映画や前衛映画など、けっこうレベルの高い作品が生み出されていました。
 戦後のアニメーションで著者が注目するのは、教育映画祭の一環として開催された国際短編映画祭の常連、ノーマン・マクラレンです。これは前衛的な「アニメーション」でしたが、1950年代にディズニーやソ連のアニメーションが次々日本で公開されます。そして東映動画の「白蛇伝」(NHKの朝ドラ「なつぞら」では「白蛇姫」となって登場していましたね)。
 1960年代、ここでやっと「アニメーション」という言葉が日本で受容され始めます。手塚治虫は62年に虫プロを創設し「テレビ漫画」を制作します。虫プロと「アニメーション三人の会」はリミテッドアニメーション、東映動画はフルアニメーションで制作をおこないます。こういったアニメーションの“多様化"と同時に、「アニメーションという言葉」が日本に浸透していきました。なお、リミテッドアニメーションが最初にテレビで広く使われたのは、コマーシャルだそうです。そう言われて「トリスバー」のアニメを私は最初に思い出します。
 虫プロの「鉄腕アトム」は、プロ側は「全然動いていない」と酷評でしたが、視聴者は「(漫画では動かない)アトムが動いた!」と大喜びでした。私も「見る側」としてそうだったことを思い出します。この「鉄腕アトム」によって「(映画とは別物の)テレビ漫画」という言葉が定着します。テレビと映画とは「別のもの」でした。(劇場版なみのクオリティーのテレビアニメとして私がすぐ思うのは「OVERMANキングゲイナー」(2002年)です)
 1990年代、海外で「ANIME」が使われるようになりました。「日本のアニメーション」の意味ですが、これはつまり「日本のものは世界のものとは違う」ことを意味しています。どこが違うんでしょうねえ?