【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

にぎり鮨

2021-04-18 17:45:47 | Weblog

 にぎり鮨には山葵と醤油がつきもの、と私は思っていましたが、最近のパック鮨では「さび抜き」が当たり前になっているし、回転鮨ではマヨネーズなどが最初からついているものが増えています。そう言えば本来の江戸前鮨は、板前がすべての味付けをすませているから客は出たものをそのまま口に入れる、と聞いたことがあります。すると私が持っている「にぎり鮨の常識」は、それほど古いものではなく、そして将来もあやういもの、と言えそうです。

【ただいま読書中】『わさびの日本史』山根京子 著、 文一総合出版、2020年、2500円(税別)

 巻末に32ページもの「わさび歴史年表」が付録としてくっついています。私はこの読書報告ブログに書誌情報をつけていますが、奥付を探すためにこの年表を延々めくる羽目になってしまいました。本の装幀ではワサビの緑色(西洋の絵の具の緑色ではなくて、日本の染め物の感触の緑色)が印象的に用いられています。
 ワサビ属の遺伝子解析により、日本のワサビと大陸のワサビ属とが分岐したのは約100万年前とわかりました。当時は氷河期で海水面は下がっていたので、日本列島にやって来ることができたようです。そしてその野生種のワサビは、人の手によって栽培種へと変化させられました。つまり「ワサビ」について知るためには、「ワサビ」と「人」の両方を知る必要があるのです。
 天武天皇の時代とみられる木簡に「倭佐俾」という文字列があり、これが最古の「ワサビ」だと考えられています。「和名類聚抄(わめいるいじゅしょう)」には「和佐比」とあり、薬用植物としての扱いだったようです。「薑(はじかみ=ショウガ)」の仲間として「山薑」と記載されることもありました。平安時代の「本草和名」には「山葵 和佐比」とあります。ただ、記紀や万葉集には「ワサビ」が登場しないところを見ると、当時の日本人にはまだ身近な存在ではなかったようです。
 料理には、はじめはお汁の実として用いられていたようです。刺激的なお汁ですね。文献を渉猟した著者は、平安貴族の食事に植物性のものがひどく少ないことに気づきますが、そこでワサビが登場することに興味を抱いています。「鈴鹿家記」(京都吉田神社の神官だった鈴鹿家の記録、1339年)には「指身 鯉 イリ酒ワサビ」の記載があり、15世紀後半の「四条流包丁書」には「鯉にはワサビ酢、鯛にはショウガ酢」とあります。日本の料理史で、調理法は江戸時代に大きく変化していますが、食材については室町時代に大体出そろっているそうです。
 織田信長が徳川家康を饗応した記録には「鯛やまなかつおの刺身にショウガ酢」はありますが、ワサビは登場しません。ただ、当時のワサビはまだ「野生種」のみですから、大規模な宴会には調達が間に合わなかったのかもしれません。では、小規模な茶会の記録は? このへんの著者の知的な追究のプロセスは、見ていて気持ちよいものです。そして、複数の茶人の記録からワサビが見つかりました。特に利休の記録には「わさびすりて」とワサビをすりおろしたことがわかるものが。
 家康は「日本のワサビ」に関しては重要人物のようです。晩年に家康が入った駿府城は安部川の河口近くに位置しますが、その上流にワサビ栽培を行っていた有東木が存在していて、川を使ってワサビが運ばれてきたようです。そして家康は山葵を特別扱いした、との伝説があるのですが、著者は、「山葵」の文字列に(徳川の家紋である)「葵」が含まれることがその理由ではないか、と考えています(すでにこの時期、ワサビは「山葵」と書かれるようになっていました)。そして、家康の死後、ワサビの利用は一気に増えていきます。最初は「魚や蕎麦の毒消し」として利用されていました。また、特権階級だけに限らず、庶民レベルの食膳にもワサビは登場するようになっていきます。
 ただ、需要が増すと、それに見合った供給が必要となります。著者は、はじめは各地に小規模な栽培地が増えていったのではないか、と推測をしています。それも江戸時代初期には、近江や安芸など西日本が主力の産地だったようです。朝鮮通信使への献立にはワサビが多く登場するのですが、これはワサビを栽培しているからこそ、でしょう。
 そして「事件」が。マグロと寿司飯と醤油とワサビの「出会い」、つまりにぎり鮨の誕生です。さらに伊豆の天領でワサビ栽培が大々的に行われるようになります。かくして日本中にワサビが普及します。面白いのは、江戸末期にカステラを山葵醤油で、という食べ方があったこと。それを著者も試していますが、酒のアテに良い、とのことです。本当かなあ?

 


コメントを投稿