【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

イエスマン

2017-06-30 07:04:19 | Weblog

 都議選のニュースで「都知事のイエスマンだけで議会が動かされていいのか?」と言う人がいました。そういった人は「総理のイエスマンだけで動いている議会」については、何か言わないのかな?

【ただいま読書中】『「おもてなし」という残酷社会 ──過剰・感情労働とどう向き合うか』榎本博明 著、 平凡社、2017年、780円(税別)

 日本にはもともと「おもてなし」の伝統があったのに、そこに西洋の「顧客満足度」が持ち込まれたことで伝統が歪められ、さらに東京オリンピック誘致で「おもてなし」が過剰に強調されることで、感情労働が過剰になってしまった、と著者は主張します。
 まず日本と欧米の文化の比較から。著者は欧米は「自己中心の文化」、日本は「間柄の文化」と定義します。相手を気遣い遠慮し曖昧な言い方を多用するのが「間柄の文化」です。だからこそ欧米では「精神分析(自己主張ではなくて相手にたいする理解を重視する態度)」が必要になったわけでしょうが、欧米の精神分析医の「患者の心に対する鈍感さ(共感性の鈍さ)」に日本の精神分析医が驚いたことが本書に紹介されています。子供のころから自己中心の文化で育つと、どうしてもその枠内で動いてしまうんだな、と。
 「間柄の文化」では「お互い様」も重要な言葉です。その言葉と概念を破壊するのが過剰な「お客さま扱い」。店員に対して一方的な奉仕を要求する客とその態度を容認する会社や社会。それによって客の自己愛は増殖し、社会はぎすぎすしていく、と著者は述べます。
 感情労働で要求されるのは「表層演技」と「深層演技」です。表層演技だけではストレスがたまります。しかし深層演技に熟達すると、恐ろしいことが起きます。「その時にふさわしいと思われる感情」しか自分の心から湧いてこなくなるのです。過剰適応と言って良いのかもしれません。結果として情緒が消耗し、バーンアウトとなります。「お客さま」のために自分の人生をすり減らしてしまったわけ。
 日本で「感情労働」の導入は、クレーマーを増殖させました。現場は疲弊します。それに追い打ちをかけるのが人員削減です。「自己中心の社会」では「人が足りない」のは「十分な人員を雇わない側の問題」です。しかし「間柄の社会」では「目の前の顧客に迷惑をかけてはいけない」「同僚に迷惑をかけてはいけない」と従業員が自分で「責任」を背負ってしまい、サービス残業などが横行し、人はさらに疲弊することになります。
 そして「理不尽なクレーム」の数々。現代日本にどんどん増殖している「理不尽なクレーム」の具体例がどんどん紹介されますが、それに対しても感情労働者は「すみません」と頭を下げるしかありません。さらに、パワハラ・セクハラ・マタハラ……ところが最近は若手が「上から目線」に対する反発を公言することで上司の方が部下に気を遣う(=感情労働をする)傾向もあるのだそうです。なんだか「皆で気持ちよく仕事をしたくない」と主張する人たちで満ちあふれている職場があるようです。
 対処法として「ネガティブな状況であっても、前向き・肯定的な捉え方をする」ことが推奨されていますが、これを「個人の努力」だけでやっていたのでは、たぶん社会は変わらないでしょう。日本人が本当に「共感的」なのだったら「共同体」として動かないといけないのではないかな?




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