【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

鬼門

2012-05-07 19:31:00 | Weblog

 鬼門が鬼の専用出入り口だとしたら、鬼は困りませんか?
 ここに一匹の鬼がいるとします。ちょっと北に行こうと思ったら、その土地には南から侵入することになります。だけどそこは「鬼門」ではありません。ぐるっと回って北東から入らなきゃいけません。だけど「ぐるっと回る」ためには他の土地を通過しなければなりませんがその土地にも「鬼門」から入らなきゃ……
 結局この鬼は、今いる場所に留まるか、南西方向にだけ移動するか、どちらかしか「行動の自由」が無いことになってしまいます。もちろん地球を一周してくれば誤差を活用することでたいていの所には行けそうですが。

【ただいま読書中】『東京スカイツリーと東京タワー ──〔鬼門の塔〕と〔裏鬼門の塔〕』細野透 著、 建築資料研究社、2011年、1600円(税別)

 東京スカイツリーは皇居の鬼門(北東)、東京タワーは裏鬼門(南西)に存在する、ということからできあがった本です。東京スカイツリーはたしか最初は秋葉原に計画されていて、それがどうしてか現在地に変更になった、と私は記憶していますが、その理由は「鬼門」だからではないでしょう。もしも鬼門が理由だったら、秋葉原の方が条件は良いしもっと良いのは上野(たしか、さいたま市も候補の一つでしたね。ここはどうしてだめだったんだろう? 鬼門の方角じゃないから?)。
 そういえば江戸将軍の菩提寺は、上野の寛永寺と芝の増上寺でしたが、これが見事に江戸城の鬼門と裏鬼門を守る位置にされています(本当は心持ち10度くらい時計回りに回したいのですが)。東京タワーはその増上寺の土地も一部使って建設されたから、最初から皇居(江戸城)の裏鬼門に存在するわけです。
 そもそも古代中国では「鬼」はそれほど悪い意味ではありませんでした。人が死んだら「鬼籍に入る」と言いますが、崇拝するべき死んだ祖先も「鬼」だったのです。それが日本では「鬼」はワルモノです。特に権力者からは権力を脅かす悪神(怨霊)が「鬼」でした。で、そういった「鬼」の代表が菅原道真と平将門ですが、あらあら、将門の首塚が江戸城の鬼門にべったりと貼りついているではないですか(大手門から300メートル)。江戸城は立地を最初から間違えていません? 寛永寺・神田明神・浅草寺で“守り”を固めるにしても、その“内懐”に首塚が存在しているのですから。
 新宿の東京都庁の設計をした丹下健三は、昭和17年「大東亜コンペ」で「大東亜建設忠霊神域計画」が一等に選ばれて鮮烈なデビューをしました。そこには東京から(その裏鬼門に位置する)富士山への軸線が強調されていました。著者は東京都庁にも「東京と富士山の軸線」を読もうとします。もっとも丹下健三さんへのインタビューではそのことを聞き忘れているのですが。ともかく、地図で富士山頂と東京都庁を結ぶと、その線の延長線上になぜか上野公園(の西郷さんの銅像)がある、と著者は主張します(「線」と言っても「幅」があるだろうに、ずいぶん“ピンポイント”の主張だな、と私は思いますが)。ところが西郷さんは視線を「南東」に向けていて、「線」が途切れてしまいます。著者はそれで困ってしまいます。まあ(幅のある)線を伸ばせばいろんなものにぶつかりますから、最終的には皇居に「富士山からの線」は到達できるのですが。
 最後に著者は、平安時代に書かれた『作庭記(鎌倉時代には『前栽秘抄(せんざいひしょう)』)』にある鬼門と裏鬼門に高い石を立てる場合の「タブー」を、東京スカイツリーと東京タワーに適用します。このへんは「陰陽五行」ではなくて「陰陽五行の誤解」に基づく記述のように私には思えますが、「本来どうだったか」よりも「世間でどう受け取られているか」の方が世間には通用するものですから、しかたないでしょうね(例:十二支は本来動物のことではない:でも、すでに漢の時代には「動物だ」が“常識”になってたから、しかたないです)。
 先日読んだ『都市の冠』(ブルーノ・タウト)では「冠」は都市の中央にそそり立ち、人々の視線と都市全体のエネルギーを集めるものでした。しかし現在の東京の「冠」は、そこに昇って眼下を睥睨するためのもののようです。「求心力」というよりも「分散力」になってしまいそう。藩幕体制でばらばらになろうとする「日本」をかろうじて一つにまとめていた「江戸」を祖先に持つ「東京」には、それもまたふさわしい「塔」なのかもしれません。



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