【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

へたれるかへたれないか

2020-11-24 07:10:20 | Weblog

 「桜を見る会」疑惑でテレビでは「検察が公設秘書などから事情聴取」「ホテル側に支払われた金額と参加者からの会費の差額を安倍事務所が補填していた」「立件の可否を検討」なんてニュースをやってました。さて、政治家とずぶずぶのへたれマスゴミとは違って、検察はへたれないかあるいは人事権を握られているからやっぱりへたれるか、どちらでしょう?
 「河井は好きにやらせてやるから、安倍はもうやめろ」という電話が行っている、と私は推測します。

【ただいま読書中】『汚れた桜 ──「桜を見る会」疑惑に迫った49日』毎日新聞「桜を見る会」取材班、毎日新聞出版、2020年、1200円(税別)

 もう1年経つんですね。関係者は「シュレッダー」と「何も問題はない」で逃げ切ったつもりなのでしょう。だけど、大慌てで証拠を隠滅した、という行為そのものが「有罪」であることの証拠だと私は見ています。
 意外だったのは、マスコミは「SNSでの騒ぎ」で初めて「これは追う価値のあるニュースだ」と認識した、という点です。あまりに政治に近いところにいると「これくらい、普通だろ」という感覚になってしまうのかもしれません。この「SNSの騒ぎ」の中に「これだけの問題をなぜマスメディアは取り上げないのだ」という批判が多いことに毎日新聞の記者が改めてこの「問題」の重要性を認識するところが、ある意味リアルです。
 昨年11月に最初にこの問題を取り上げたのは共産党の田村参院議員。国会質問で使った資料はほとんどが「公開資料(参加者のブログや公園会報など)」だったことが、これまでの疑惑追及とは違うスタイルでした。政府はこれから「デジタル化」を進めるそうですが、デジタル庁がなくても世の中はすでにデジタル化が進んでいます。
 参加者の証言も印象的です。特に安倍首相がまめに“ファンサービス”をしているのには「この人は基本的に真面目で律儀なんだろうな」と思わされます。いや、それは良いことなのです。ただそのために、税金を私物化していることが、問題。予算の三倍も使って自分の後援会員を大量に招待して“優待”しているわけですから。
 山口の議員達などは、次々ブログを削除します。まるで残していたらなにか都合が悪いみたいに。そして政府は「桜を見る会」そのものの“削除”を決定。残しておいたらなにか都合の悪いことがあるみたいに。
 首相や官房長官の答弁が詭弁だ、と私は1年前に感じていました、これは次々出てくるニュースを追いながらの刹那的な感覚でしたが、今回まとめて読んで、論理的にも破綻した答弁を繰り返していることがよくわかります。
 「私人」であるはずの「首相夫人枠」、そして「前夜祭」。この前夜祭でも「詭弁答弁」が連発されます。私が大笑いしたのは「宛先が無記名の領収書」を首相が“公認”したことです。これ、昭和の時代に脱税対策として税務署が必死になって潰していたものなんですが。税務署の努力を首相が台無しにして、良いのかな?
 「政治部の記者と政治家の癒着」を指摘する声はネットに溢れています。それに影響されたのか、毎日新聞のデジタル取材センターの記者は「自分の会社も含めた政治部記者と首相や官邸の関係」も取材の対象に入れています。特に容赦なく描写されたのは「総理番」と呼ばれる(総理に張りついていることが仕事の)若手記者を相手に「ぶら下がり」で総理が記者達に“圧勝”した場面です。準備不足の記者達は総理に翻弄され、まともな質問が全然できなかったのです。政府発表をただ垂れ流すだけの“取材”に慣れきった怠け者たちには、総理に対する真剣勝負の質問は荷が重かったようです。そして、問題の幕引きを狙う政権は「キャップ懇」を記者に持ちかけます。これは各報道機関の官邸キャップ(中堅記者、多くはデスク直前の人)を集めて首相と会食をしながらの懇談会ですが、その内容は「完全オフレコ(一切報道しない)」となっています。それに毎日新聞は不参加を決定。参加したら追及をやめなければならないことを恐れての決断だったそうです。さらに記者会見は動画で流れるようになっていて、一部の記者は「自分たちも国民に見られている」ことに気づき始めます。
 参加者の中に「反社」がいるのではないか、という疑惑も浮上。これに対しては安倍政権は「知りませんでした」と「『反社会勢力』の定義を変更する」でやり過ごします。本書にもありますが、吉本興業の芸人達が暴力団のパーティーに呼ばれて“営業”をしたことで無茶苦茶非難されたことを思うと、政治家のこの態度はなんだ?と思いますね。
 そして安倍首相支持者からの「いつまで『桜』をやってんだ」。疑惑の解明って、一部の人には人気がないようです。でも「やってはいけないことはやってはいけません」ではないですか? それを子供に教えるのは親の役目だし、社会に徹底させるためには“上の人”がまずその姿勢を実際にやって見せなきゃいけないのでは?