【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

私の有無

2020-11-03 08:28:04 | Weblog

 論文では「主観」は排除されます。だから「私は……と思う」ではなくて「……と思われる」という表現が使われます。しかし「私しか気がつかなかったこと(オリジナリティー、ドイツ語だとノイエス)」は絶対に必要です。

【ただいま読書中】『ソフトウェア・ファースト ──あらゆるビジネスを一変させる最強戦略』及川卓也 著、 日経BP、2019年(20年4刷)、1900円(税別)

 著者が子供の時の音楽体験(レコードを買う、借りる)はウォークマンによって「音楽を持ち歩く」に変わり、さらにアナログがデジタルになることで(特にアップルのiPodで)「ソフトウェアによる新しい音楽体験」が普及しました。その結果は、たとえばアメリカではタワーレコードの経営破綻になっています。音楽産業は「サービス産業」になったのですが、これは音楽産業にだけ限定された話ではありません。
 ここで著者はキーワードとするのが「ソフトウェア」です。さらに「消費者が継続的に使用する(サブスクリプションで支払いを続ける)こと」。
 たしかに私も、昔の映画やアニメを観たいと思ったら、Amazonで検索したりツタヤに行くのではなくて、ネットフリックスで検索をしますからねえ。
 ただ、こういった「ソフトウェア」は「デジタルの世界」の話で、私たちは「アナログの世界」にも生きています。そこで「デジタルとアナログ」の調和も必要となります。AIが進化したらそれですべての問題が解決される、わけではないのです。s
 大企業ではかつては「開発」と「サポートや障害対応」は別のチームが担当するものでしたが、最近の「走りながら考える」開発手法では、同一部署が開発と運用を担当するようになっています(これをDevOpsと呼ぶそうです)。
 マイケル・A・クスマノ教授は「ソフトウェア」について「日本企業は工業製品とみなす」「米国企業はビジネスであり商売の重要な武器とみなす」「欧州企業は標準化に代表される美を体現するものと重視する」という文化的な違いがある、と指摘しています。日本はかつて製造業で世界を席巻した「成功体験」を得ましたが、それが今でも影響を与え続けている、ということのようです。
 では、日本の活路は? アメリカのように「スタートアップ企業」を重視するやり方もあるでしょう。ただアメリカでも、かつての「家庭のガレージから出発した企業」からの成功例はあまりないのではないかな。むしろ大企業の“内部”に「特区」を作ってそこで自由に活動をさせたら、その中から「新しい成功例」が生まれるかもしれません。頭が固くなった重役たちにそれを許す度量があるかどうか、ですが。

 


1492

2020-11-03 08:28:04 | Weblog

 世界史の授業では「1492年にコロンブスが新大陸を発見した」と習い、それからずっとあとになって「実はコロンブスよりずっと前にバイキングが北米に到達していた」という説を知りました。どちらにしても、ベーリング地峡を渡って北米を“発見”した(さらに南米にまで広がっていった)「人類」のことはまったく無視されているわけですが。

【ただいま読書中】『1491 ──先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見』チャールズ・C・マン 著、 布施由紀子 訳、 日本放送出版協会、2007年、3200円(税別)

 かつては、アメリカ大陸の先住民のことを「救いがたい野蛮人(大陸移住後まったく進歩をせずに白人に征服されるためにだけ存在していた人)」か「高貴な野蛮人(自然を大切にして共生していた魂が純潔な存在)」のどちらかと捉える欧米人ばかりでした。どちらにしても「野蛮人」なのですが。しかし著者は「実際にはもっと人口は多かったのではないか?」「かったく進歩せずに環境を改変しないわけがあるか?」という疑問を持ち、最新の研究について調べ始めました(著者はサイエンスライターです)。
 アメリカ大陸に人類がやって来たのは、今から約1万3千年前、ベーリング陸橋が存在ししかもそこから氷が消滅していた数百年の間、と考えられています。ところがチリ南部で1万2千年前の遺跡が発見されたり、1万年前にメソアメリカで「新石器革命(農耕の開始)」が起きた証拠が見つかると「もっと前に人類はアメリカ大陸に移住していたのではないか」という説が浮上しました(この説に否定論者は多いそうですが、著者は肯定論者です)。そういえばアラスカの「エスキモー」と中南米の「インディオ」は黄色人種ですが、北米の「インディアン」は赤色人種ですね。このギャップも説明が必要でしょう。
 中東で1万1千年前に新石器革命が起きてからシュメールの古代文明が生まれるまで7000年かかりました。ところが同時期にアメリカ大陸では、中東とは無関係に農耕が開始され、たとえば「原種の植物からトウモロコシを生み出す」といったとんでもない成果が上げられ、さらにシュメールよりも早く「古代文明」が起きていました。ついでですが、マヤ人はインド人より(したがってヨーロッパ人よりも)早く「ゼロ」を発見していました。しかし車輪は発明していたのにそれを利用しませんでした。そこで「マヤ人はヨーロッパ人より進んでいた」と主張する人は「ゼロ」を引き合いに出し、その逆の主張者は「車輪」を持ち出すそうです。
 マヤ文明では、50以上の王国や都市国家が複雑な政治経済のネットワークを作っていました。大規模な交易網は南北両アメリカ大陸を覆っています。北米「インディアン」に関して「大平原で馬に乗ってバッファローを狩っている」というイメージを持つ人がいますが、それは大間違い。そもそも馬はコロンブス“以後”のものですし、「インディアン」の大多数は定着した農民だったのです。アメリカには全ヨーロッパより多い人口が暮らし、多数の農村や都市が存在する世界でした。それが現在知られていないのは、徹底した破壊があったからです。疫病と暴力による物理的な破壊、そして、それに続く記憶と歴史の破壊があまりに徹底していたため、“それ”は存在しないことにされてしまいました。
 スペインと戦ったインカ人、イギリスと戦ったワンパノアグ族は、どちらも同じ生物文化的パターンを示して最終的にヨーロッパに屈しました。これがきちんとわかったのはなんと20世紀半ばになってからです。
 インカ帝国は、実は「若い帝国」でした。スペイン人がやって来るまでに100年の歴史しか持っていなかったのです。しかしその帝国経営は徹底していて、各民族をまるでチェスの駒のように移動させ、飢餓を根絶させていました。金属は可塑性や展性を活かして装飾に、力がかかる道具には繊維の張力を活かす、というヨーロッパとは違う文化スタイルでした。
 スペイン人がインカにやって来る前に、カリブの島を経由してすでに疫病がやって来ていました。アメリカでは誰も免疫を持っていなかった天然痘により短期間に全人口の半分が失われたという推定があります(1960年代にインド南部で7000人が天然痘に感染したときの死亡率は43%でした)。さらにウイルス性肝炎も人をばたばた殺しました。だからスペイン人は“楽な殺戮”ができました(著者は、もしも黒死病の時代にモンゴル軍が攻め込んでいたら、世界の歴史は今とは全く違っていた、と言っています)。なお、人口統計はスペインが征服した“後”になって採られますから、インディオの人口は最低レベルとなったところで初めて記録されています(約一〜二千万人)。それでもコロンブスより“前”の人口推計がされ、1491年の南北アメリカ大陸の人口は「9千万〜1億1200万人」という数字がはじき出されました(国連の統計では16世紀初めの全地球の人口は5億人となっています)。その90%がヨーロッパ人によってもたらされた疫病によって死滅した、ということに、私は思わずたじろいでしまいます。
 私にとっての「世界史」は、自己中心的なもので、古代中国がベースに存在しています。それに次いで重要なポジションにあるのがヨーロッパ。つまり「古代のアフリカ」や「古代のアメリカ」はまったく念頭になし。だから本書は私にとっては衝撃でした。
 さて、本書の続編「1943」も図書館から借りてこなくては。