2007年11月27日のブログ記事一覧-ミューズの日記
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支店もないアルゼンチンに会社は何故私を派遣しようとしたのか。当時は中南米で最大市場のブラジルのヤマハ現地法人も国の経済破綻のためクローズしていたくらいですからね。しかし、MERCOSUR(南米経済共同体)と言う構想が持ち上がって、アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、パラグアイの4カ国が一つの経済圏として誕生しようとしていたんです。そこで南米の中では最も教育レベルも文化レベルも高いアルゼンチンに南米経済共同体の核となる拠点を作れないかと言うプロジェクトができたと言う訳です。

当時アルゼンチンには18年間ヤマハの輸入代理店をやっていた現地の最大の楽器会社がありました。そこで先ずはブエノス・アイレスに駐在員事務所を作り、現地の市場性と代理店の指導と資質を確認することが私に与えられたミッションでした。自分の住居と事務所探しから始めて、代理店に毎日出かけるという新しい生活が始まりました。毎日足を運んでいると内情がよく分かってきます。会社の実情、社長の資質、後継者の資質、商売の仕方全てが見えて来ます。また、全ての楽器輸入業者にも何度も足を運びました。どこの会社がどこのブランドをやっていて年商はどの位かが見えて来ます。そうすると国全体の市場規模も見えて来ます。

また、地方都市の楽器店も70~80店程回りました。ある程度の規模以上の楽器店の殆ど全てを回りました。そして各店舗がどの楽器をどの位売っているか、ヤマハが販社を建てたらどの楽器がどの位売れるかをシュミレーションしました。そして、結論として代理店と契約解消してヤマハ直の販社設立がベターと言う報告を纏めて役員会に図り、駐在員事務所設立から2年で販社設立の承認が下りました。しかし、代理店との契約解消では揉めました。訴訟になるぎりぎりのところで何とかサインできましたが、一時は本社から「刺されないように気をつけろ」と脅かされるまで険悪な状況になりました。そして1995年末に会社登録も完了し、初代のヤマハ・アルゼンチン・ミュージックの社長に就任、96年1月から営業開始と言う運びになりました。

この販社では楽器全てとオーディオも扱っていましたが、私がギターが専門分野と言う事でブラジルのギターメーカー"Gianini”で南米市場向けにOEM生産できないか検討する事になり、工場も訪問しサンプルも本社に送ったりもしました。何せ南米は地球の裏側ですから運ぶのに時間とコストが掛かりますからね。しかも、南米製は安いので価格競争で厳しいと言う二重苦がありましたからね。結局品質の面で実現しませんでしたが。

そして販社を設立してから3年半があっと言う間に過ぎて、1999年に帰国する事になりました。しかし、このアルゼンチンでの経験はサラリーマン冥利に尽きるもので、なかなか出来ないいい経験をさせてもらいました。ヤマハに感謝しています。
帰国してからは弦打楽器事業部に戻り、またギターの仕事に戻ることが出来ました。この続きはまた後日・・・。

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