2007年11月19日のブログ記事一覧-ミューズの日記
ミューズ音楽館からの発信情報  ミューズのHP  http://www.muse-ongakukan.com/

 



10月に楽器の選び方についてブログで連載してから、私のバックグラウンドについて訊かれる事が何度かありましたので、少し紹介させていただきます。

私は10歳からギターを始めました。高校1年の時に四日市のギター教室に通い始め1年で終了。高校でギター同好会も作りました。高校2年の時に名古屋で開催されたギターの祭典に出演し、名古屋のレベルの高さに愕然としました。その相手が当時高校3年生の吉本光男さんでした。南山大学に入学するとギターアンサンブル部に入部。合奏に飽き足らず数名で退部してソロ・重奏を中心に活動する「ギター音楽研究会」を設立。その設立メンバーに現在はリュート奏者として活躍している中川祥治氏がいました。大学2年生の時に中部日本ギター協会主催の第5回新人演奏会に出場。その後現代ギター社主催のサマースクールに参加して、渡辺範彦氏、菊池真知子氏のレッスンを受け「目からウロコ」でレッスンの重要性を痛感し、松田晃演氏に師事。(松田先生は当時月1回名古屋の荒井貿易でレッスンされていました)大学卒業時に中川祥治氏と四日市市民ホールにてジョイントリサイタルを開催。

1974年にヤマハ株式会社(当時日本楽器製造株式会社)に入社。ギターの普及を志して入社した私は名古屋店に手工ギター担当として配属され大発奮。ヤマハ名古屋店のギター友の会として「アミーゴス・デ・ギターラ」を作り、マンスリー・コンサートを企画し多くのギタリストを招聘しました。合歓の里ギターサマースクール、芳志戸幹雄マスタークラス、ナルシソ・イエペスのマスタークラスなど地域の若手育成のための企画を実施。自らもイエペスのレッスンを受け、芳志戸幹雄氏に約2年間師事。役得を満喫していました。また、小原安正先生率いるグループと共にヨーロッパツアーに参加し、ロンドンでセゴビアの演奏を聴き、マドリッドではレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ氏の自宅でレッスンを受けると言う貴重な体験もしました。その間、高須勉民氏を中心としたグループアンダンテに入り、高須恵氏、酒井康雄氏、中川祥治氏やその他若手らとの活動や、リコーダーとのジョイントリサイタルなどの演奏活動もしました。またヤマハ本社で行われる手工ギターの試作品評価会にはプロギタリストと共に参加することで、江崎秀行氏、加藤敏郎氏ら設計・製作者との交流も生まれました。

しかし、大きな転機がやってきました。メキシコ転勤です。1978年に赴任。その年に企画していた吉本光男氏とのジョイント・リサイタルが幻のリサイタルになってしました。当時はエレクトーン全盛期でメキシコにはエレクトーンの組立工場もありました。そして以前もブログで紹介した地方でのディーラー開拓や販売活動で毎週出張していたためギターを全く弾かなくなりました。メキシコでは5年勤務し、帰国したのが1983年。そして本社でギター担当として全世界を相手に仕事が始まりました。続く・・・。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )