消防士 兼 旅人の日記

消防署での出来事、ダラダラした日常生活を綴ります。

岩手・災害ボランティアを振り返って

2011-09-07 21:36:07 | 
先日、岩手県へ災害ボランティアに行ってきました。

途中携帯から記事を更新したりコメントのお返事をさせて頂きましたが、帰ってきて改めて思ったことを書きつづっていきたいと思います。

長文になりますが、最後までお付き合い頂けたら嬉しいです。


出発当日は夜に集合、受付で参加費を支払ってバスへ。岩手ナンバーのバスでして、わざわざ岩手から遠路はるばる迎えに来て下さったようです。

道中バスの中で自己紹介と説明を聞きながら岩手へ向けて出発。20名ほどの参加者は老若男女様々。もう数年前に定年を迎えた方から、下は大学生まで年齢層は広かったです。

約2時間おきぐらいに休憩を取りながら、明け方には目的地に到着しました。

ちなみに予定の到着時刻より1時間以上も早い到着。ボランティア活動をする場所へ出発するのにだいぶ時間がありましたので、ここでもひとまず仮眠をとりました。

バスの中で座りっぱなしもしんどいし、エコノミー症候群を防ぐことを考えて、休憩時間の度に外に出ていたので睡眠も途切れ途切れでしたからね…。


空が明るくなってきても雨は降り続いていましたが、ここでとりあえず洗面をして朝食。

活動できる服に着替えてミーティング。ここで本日のリーダーを決めて、バスで30分ほどの場所にあるボランティアセンターへ向かいました。

ボランティアセンターがボランティアさんの取りまとめ役となり、誰がどこの場所へ行って何の作業をして…と振り分けます。私達の団体が活動する場所もここで教えてもらい、必要な資材をお借りして再び30分ほどかけて活動場所へと向かいました。


実際の活動場所へ向かう途中、海沿いの道に出ました。

3月11日の震災により壊滅的な被害を受けたこの街(市)。新聞やテレビなどで見た光景がそのまま私の目に飛び込んできました。

あれから半年が経とうとしていますが、まだまだ瓦礫はそのままの状態。とりあえず避けて車や重機が通れるような状況で、その他は手つかず…と言うような状態でした。

自分の目には焼き付けましたし、持って行ったカメラにもその風景を収めました。皆様も既に報道等でご覧になられた方も多いかと思いますが、まだあの風景そのままでした。

なので、ここではあえてその写真は載せないでおきます。


バスは津波の爪痕を私達に教えるかのようにゆっくり進み、やがて私達の今回の活動場所となるところへ到着。

今回私達がお手伝いをさせて頂いた場所には住居も会社も数件ずつ立ち並んでいたところだったのだそうです。しかし津波により流されてしまい、普段海にあるはずの物が沖から数百メートル離れた場所へ流されている状態。そして人力では到底動かせるものではなく、重機が無いととてもじゃないけど動かせるものではない。

そんな物がこんなところにあるのか…と言うことに、残った建物も骨組みだけを残して中は空っぽの状態。建物の真下から見上げてみれば結構な高さであり、こんな高さまで津波が押し寄せたのか…と考えれば、その恐ろしさを改めて知りました。


今回お手伝いさせて頂いたのは、泥上げと草刈りと瓦礫の除去。広い範囲でしたが、数班に分けて作業を開始。

途中で何度か雨が降ってきましたが、中断しなくては行けないような豪雨と言うわけでもなかったので続行。休憩を挟みながら午前・午後共に作業をしました。


ボランティア活動を依頼した方(ここではAさんと呼ぶことにします)と休憩中にお話する機会があり、震災のことを私達にお話して下さいました。

新聞報道等で被災された方の心境や状況などは目にしていましたが、改めて現地の人の声を聞くと本当に大変だった、辛かったのだと。そして一目散に逃げた、一旦家に戻ったかで生死の分かれ目になったと言う話もお聞きしました。

でも、現地の人は強いですね。決して悲壮感は見せずに事実を私達にありのままに伝えており、時には笑顔で話していました。


そのAさんの奥さんも途中で来られて、差し入れをして下さいました。

こんな田舎に、遠い街から来てくれて本当にありがとう、と。おだんごとりんごとキュウリの漬物と。特に漬物が美味しく、これお母さんが漬けたの?と聞いてみれば、

『そう!午前中みんなに出すお皿と団子の串を買いに行って、お昼から漬けたから味がしみたかどうか分からないけど、褒めてくれて嬉しいわ~』

なんて言ってました。ちなみに方言が強くて聞き取れたのは半分ぐらい。上の文章もだいぶ方言が混じっていて半分は聞き取れなかったのですが、こんなようなことを言ってたと私なりに解釈したものです。


私達が作業をしている間、ずっと付き添っていてくれたAさん。途中で雨が降った際も引き揚げることなく、ずっと私達の作業を見守って下さいました。

中に入ってて良いですよとの別の方の提案に対しても、頼んだ側の人間だからちゃんと見届けるんだ…なんてことをおっしゃっておりました。とても義理堅い方でした。


1日目の活動を終えて、温泉に立ち寄ってから宿泊場所へ戻り、ミーティングの後夕食。

初対面だった人たちとも作業や食事を共にしてだんだんと打ち解けてきまして、夕食後はサッカー日本代表の試合を見て盛り上がって。

宿泊場所のオーナーの方とも少しお話をする機会があり、やはり震災のことにも話題に上がり。

今回の震災は地震よりも津波の方が…と。テレビでも家や車が流されていく様子が映し出されていたでしょうけど、でもそこには人は映って無かったでしょ?テレビには映らなかったけど、今回の震災の記録を残そうとビデオカメラを回した私の知人が撮ったやつには人が流れて行く様まで映っていたんだ。それを今後風化させないために、これからの世代に見せるべきかどうか迷っている、と。こんなことをおっしゃっていました。

でも、こんな田舎の街にこれだけの支援の手を差し伸べてくれて本当に感謝している。こんな小さな街に全国から累計で1万人以上の人が来てくれて、本当にありがたいとおっしゃっていました。

その話が聞けただけでも、私は来て良かったなと。現地の人の言葉には、本当に重みがありました。


消灯時間になり眠りについて、翌日もまたボランティアセンターへ。

この日の活動場所も昨日と同じところ、やる作業も同じ。ただ泥上げはほとんど終わっていましたので、草刈りがメインでした。

しかしこの日は本当に天気が悪く、所々で横殴りの雨になってしまい作業も中断しながらになってしまい。時々ピタッとやむもののすぐにまた雨が降ってしまう。

午後にはボランティアセンターの方から作業を中止して下さいとの連絡が入ってしまいました。


この日が岩手滞在最終日。思わぬ形でボランティア活動が終わってしまいました。

私達はあくまでもボランティア。依頼のあったことに対してしか活動をすることができず、変な話余計なことはできません。

午後もうちょっと頑張れば依頼された作業が終わるところまで進んでいましたが、指示により中止。前述しましたが、余計なことはできずボランティアセンターの指示に従うしかありません。

そう思えば思わぬ形で終わってしまったことにより、不完全燃焼のような感じとなってしまいました。こればかりは仕方ないですね…。


午前中で引き揚げる形になってしまったことをAさんにお詫びし、最後一瞬だけ雨がやんだ隙を狙って写真撮影。

お話を伺った中にあったのですが、今回私達がお手伝いをさせて頂いた場所は将来的に公園になる予定なのだそうです。

携帯のGPS機能を使って場所は特定できました。この場所を覚えておき、いつの日かこの場所が公園になった時、今度は子どもたちを連れてここに来ると。そう約束して、帰りのバスに乗りました。

またボランティアセンターに寄ってお借りした資材を返却。するとその場所には愛知から来た大学生のグループが五平餅をボランティアの方に五平餅を振舞っていました。

ボランティアに訪れた人の支援をする。そんな形のボランティアもあるんだなと。五平餅と言うのは初耳で食べるのも初めてでしたがとても美味しかったです。


その後にまた温泉に立ち寄って宿泊場所へ。

ここで最後のミーティング。今後のスケジュールとそれぞれの思いを発表するような感じでミーティングを終え、夕食を食べて帰路につきました。


途中立ち寄った岩手県内のサービスエリアでお土産を購入し、行きと同じように道中何度か休憩を取りながら自宅のある街まで戻ってきました。

体は疲れていたんだけど、帰りのバスではあまり寝ることもなくこれまでのことをずっと振り返っていました。

震災当日からここに来るまでのこと、津波の爪痕を自分の目で見て思ったこと、Aさんや宿泊場所のオーナーのお話、今回縁あって一緒にツアーに参加された方との出会い。

3泊4日の短い間ではありましたが、とても中身の濃かった今回の旅。観光目的ではありませんでしたが、少しばかり帰るのに後ろ髪を引かれるような、そんな感じがしました。


3月11日の大震災から間もなく半年が経とうとしています。

ですが、まだまだ復興までには時間がかかる。瓦礫が片付くのに数年単位、復興までは10年単位でかかるでしょう。

発災当初こそ地震の影響により様々な物品の品不足が生じたり、交通網がマヒしたり電力不足に陥ったり。ですが半年が経ち、私の住むところでは前と何ら変わらない普通の生活ができている。

でもまだまだ不自由な生活を強いられている方もたくさんいる。仕事が無い、家が無い、身体的にも、精神的にも計り知れないダメージを負った人がたくさんいます。

つい最近も、和歌山の方では台風の被害が甚大になっており、ここでも辛く苦しい思いをしている人がいる。

同じ日本に住む国民として、自分の住んでいる国で起こっていることに目を向けて、そして忘れることなく関心を持ち続けて。その中で、今の自分にできることをできる範囲で手を差し伸べてあげれるように。そんな人間になりたいし、いずれ2人の息子たちにもそうなって欲しいなと思っています。

そして、この長くてまとまりの無い文章に最後までお付き合い下さった皆様にも、どうかこの震災が残した爪痕や教訓を忘れることなく、絶やさぬ様に関心を持って頂ければと思います。

支援の手はまだまだ必要な状態だと現地に行って思いましたが、支援の手は必ずしも強制されるものではありません。一番怖いのは忘れ去られてしまうことだと思います。だからこそ忘れずに。後の世代にも伝える必要があるんだと思いました。



約4900文字にも及ぶ長ったらしい文章に最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。記憶と記録を頼りにここまで書きつづってきましたが、まとまりがなく申し訳ありません。

今回チャンスと縁があって震災ボランティアに参加することができました。行くことを考えた際に快く休みの変更を許可して下さった上司にも感謝、そして自分の勝手な都合で家を空けたにも関わらず、嫌な顔をせずに送りだしてくれた嫁や応援してくれた子どもたちにも感謝。本当にありがとう。

今回のボランティアはこれで終わりですが、また機会を伺って震災ボランティアに参加したいと思いました。そして、今回お手伝いさせて頂いた地が復興して、予定どおり公園になった際には家族皆で訪れる。そんな夢を実現できる日が来ることを楽しみにしています。


明日は仕事です。