「一顆明珠」(いっかみょうじゅ)
なんて美しい言葉だろうか・・・。
尽十方世界、是一顆明珠(じんじっぽうせかい、これいっかのみょうじゅ)。
時空を超えた全宇宙(コスモス)は、一つの透明な光り輝く珠。
唐の禅僧、玄沙師備が言語化し、道元禅師が「正法眼蔵」で説いた。
私も一顆明珠。
あなたも一顆明珠。
天地自然、生きとし生けるもの、
無限の過去、果てることのない未来、永遠を包括した「今」、「ここ」、
迷い、覚り、
明るさ、暗さ、すべてが一顆明珠。
一つの透明な光り輝く珠。
全宇宙すべてが一顆明珠。
一顆明珠は一顆であって、増えも減りもしない。生まれも滅びもしない。
全宇宙、すべてはひとつにつながっているのだ。
他者は自己であり、自己は他者である。いや、究極、自他はない。
無境界。
わたしの外に一顆明珠があるのではない。
わたし(宇宙)は常に一顆明珠であり、離れようにも離れられないのだ。
私と宇宙は一体、一顆明珠である。
一顆明珠は会得しようにも会得できない。
それは対象ではないから。
「全宇宙、それ」そのもの。
透明であるが故に、それは無碍であり、捉えることなどできない。
しかし、会得できないところを、分別知の働きを乗り越え、般若の智慧を具備し、全身心をもって、顕現してゆきたい。
随処に主宰とならんことを願う。
そう、いつか必ず。
そんな願いを込めてブログタイトルにした。
身の丈に合わない大それたタイトルである。
だが、未熟な自分もまた一顆明珠であるのだ。
「道元のコスモロジー」(岡野守也著 大宝輪閣)、本書と出会って、この言葉の深さと美しさに心が揺さぶられるような感動を覚えた。
岡野先生に心の底から、「有り難う!」と言いたい!!!
面と向かっては照れ臭くて言えない・・・(笑)
なんて美しい言葉だろうか・・・。
尽十方世界、是一顆明珠(じんじっぽうせかい、これいっかのみょうじゅ)。
時空を超えた全宇宙(コスモス)は、一つの透明な光り輝く珠。
唐の禅僧、玄沙師備が言語化し、道元禅師が「正法眼蔵」で説いた。
私も一顆明珠。
あなたも一顆明珠。
天地自然、生きとし生けるもの、
無限の過去、果てることのない未来、永遠を包括した「今」、「ここ」、
迷い、覚り、
明るさ、暗さ、すべてが一顆明珠。
一つの透明な光り輝く珠。
全宇宙すべてが一顆明珠。
一顆明珠は一顆であって、増えも減りもしない。生まれも滅びもしない。
全宇宙、すべてはひとつにつながっているのだ。
他者は自己であり、自己は他者である。いや、究極、自他はない。
無境界。
わたしの外に一顆明珠があるのではない。
わたし(宇宙)は常に一顆明珠であり、離れようにも離れられないのだ。
私と宇宙は一体、一顆明珠である。
一顆明珠は会得しようにも会得できない。
それは対象ではないから。
「全宇宙、それ」そのもの。
透明であるが故に、それは無碍であり、捉えることなどできない。
しかし、会得できないところを、分別知の働きを乗り越え、般若の智慧を具備し、全身心をもって、顕現してゆきたい。
随処に主宰とならんことを願う。
そう、いつか必ず。
そんな願いを込めてブログタイトルにした。
身の丈に合わない大それたタイトルである。
だが、未熟な自分もまた一顆明珠であるのだ。
「道元のコスモロジー」(岡野守也著 大宝輪閣)、本書と出会って、この言葉の深さと美しさに心が揺さぶられるような感動を覚えた。
岡野先生に心の底から、「有り難う!」と言いたい!!!
面と向かっては照れ臭くて言えない・・・(笑)