一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

水仙

2006年03月31日 | 写真館・花(境内)
境内に咲いた水仙。

水仙の学名は「Narcissus:ナルシッサス」

語源は、ギリシャ神話、ナルシッサス(ナルシス)が泉に映ったわが身に見惚れてしまい、そのまま水仙の花になったという逸話による。

「ナルシスト」という語がこの話に由来するのは有名。

しかし、生あるもの、表面的な美しさは、無常の風にさらされ、いずれ乾き、衰えゆくのだ。

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春の夕暮れ(本堂前から望む)

2006年03月29日 | 写真館・花(境内)
あっという間に、境内の桜の花(ソメイヨシノ)が咲きました。

逆行気味ですが、なんとか納まりました。

春爛漫ですね。

春の夕暮れ、夕暮れの春、春の夕暮れの春の夕暮れの春・・・あ、言葉遊びです。


*境内をここまで、出してしまっていいものでしょうか。
 もしかして、正体バレバレかも・・・
 ま、いっか~

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いま読んでいる本

2006年03月28日 | 
毎日平均1時間前後を読書に充てています。
短いときは30分、長くなると3時間くらい。
睡魔に合わせています。

われながら遅読な方。

一冊の本をぶっ通しで読むのではなく、その時の関心や気分に合わせて読む本を選びます。

最近小説はご無沙汰で、思想書ばかり読んでいます。


以下、いま読んでいる本と、読中時点での一口コメントです。
読後の所感についてはいずれ記事でも紹介したいと思います。
()内は、読み進んだ割合。

・『コスモロジーの創造』岡野守也 <法蔵館>
 近代以前の神話的コスモロジーに変わる、新たな宇宙観の提案。
 同時に宗教の本質が語られている。 
 現代社会が失った「意味」の再構築。
 ドグマ・イデオロギーに対するオルターナティブな提案。
 なぜ殺してはいけないのか?なぜ体を売ることはいけないのか?を問う(半分) 


・『カントの人間学』中島義道 <講談社現代新書>
 カントの意外な再発見。
 彼の人間観が赤裸々に分析されている。
 徹底的に「自我」の構造を見つめたカントの人物像を、著者の徹底した批判精神で描き出している。自我の正体を暴く。(ほぼ読了)


・『イエスと現代』八木誠一 <平凡社ライブラリー>
 神話的なイエス・キリスト解釈を剥いだときに浮かび上がってくる、イエスの姿を通して、そこに明らかになる自他を超越した『普遍的ないのち』を抽出する試みと言えようか。(五分の一) 

・『スウェーデンに学ぶ[持続可能な社会]』小澤徳太郎 <朝日選書>
 持続可能な国家№1にランキングされるスウェーデンの知恵に学ぶ。
いかにしてかの国は、社会変革をなしえたか。福祉国家から緑の福祉国家へ。その道程から、日本の持続可能な未来像を探る。(四分の一) 


・『意識と本質』井筒俊彦 <岩波文庫>
 著者にまつわる、イスラームの碩学、東洋思想の権威という評価の枠組みには到底納められない思想書。東西の宗教、哲学、文化を独自の本質論で解体し分析を試みている。難解だがなぜか読ませる哲学書。(四分の一)
 

・『<自己>から<世界>へ[徹底討論]』小阪修平、竹田青嗣、橋爪大三郎、山本哲士、松澤正博、岡野守也 <春秋社>
 岡野守也氏の企画のもと、全共闘世代の「知」の論客が一同に会し、さまざまな思想的立場から、全共闘運動の内実を討論することによって、現代に有効なオルターナティブな提案を模索する。
だが、はたしてその現代的な位置づけは明らかになったのだろうか。
岡野氏が提示する、『意識の変容』という、ラディカルな提案は、氏の意図するところと論者の思想的立脚点がなかなか交じり合わない。そんな不全感が残る。だが、イデオロギーの絶対視・固定化を逃れつつ、どこに落としどころを見出すか。各思想家たちに共通した思索の格闘がそこに見出せるのではないか。
抽象的概念が頻発して、読んでいて間違いなく頭の痛くなる本。
心情的には、われらが岡野先生が、かの著名な論客たちを相手に堂々と論戦する姿に熱い感動を覚えました。あまりにかっこいい・・・。改めて先生ってスゴイ人だと驚嘆してしまった。
それにしても、この人たち頭良すぎますね。とてもついていけません・・・。
また、小阪氏、竹田氏、橋爪氏の著作には触れたことがあるだけに、彼らの語りでの言語表現も興味深かったです。中でも、個人的には、知をもてあそぶことにとどまらない竹田氏の誠実な学問的姿勢に共感しました。
自我の小市民的欲望追求から、いかにして全体的な社会変容の道筋をつけるか。自分の問題として、考えさせられました。
また本書の隠れたサブタイトルは「せーの」(変革)の可能性についてだと思いました。
「せーの」がないとまずいんじゃないか・・・と私も思うんですが・・・どうなることやら。この「せーの」をどう捉えるか、どういう「せーの」が可能かが問われることでしょう。
思想大好きな人は、一読の価値有りです。
ちなみにこの本のせいで2日間寝不足です。(ほぼ読了)


・『臨済録』入矢義高 <岩波文庫>
 臨済の弟子、慧然が記した、師の言行録 どうしても眠いときのチョイ読みにグッド。なんだかんだ痛快です。(四分の一)


以上、私の浮気読み読中コメントでした。


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4月2日、サングラハ教育・心理研究所記念講座のご案内

2006年03月27日 | つながりコスモロジー
当ブログでも折に触れ紹介していますが、昨年より岡野守也氏の主宰するサングラハ教育・心理研究所にて学んでおります。

岡野氏の活動は多岐にわたりますが、その中でも氏が提唱する主要なものの一つ「コスモロジー教育」は、新しい世界観・宇宙観の提案として、多くの人々の共感を得ています。

実際に氏が教えている学生の多くが、「つながりコスモロジー」による「コスモロジー教育」を通して、「人生観が明らかに豊かになった」などと報告していることからも、ニヒリズム化した現代、人々の心の支えとなり得る妥当性は極めて高いものと言えるでしょう。

宗教・思想・信条の垣根を越えて共感しうる、現代もっとも有効な言語体系と言っても過言ではないかもしれません。

「つながりコスモロジー」は、特定のドグマ、イデオロギーを押し付けるものではありません。

現代宇宙科学をベースにして、全宇宙の大きな働き、いわば宇宙史をたどっていく作業を通して、宇宙137億年の歴史が自分のいのちにつながっている不思議を学んでいくというもの。

これが、なかなか面白い。

ビッグバンから始まる宇宙の進化の過程も学べて、とてもためになります。

何より、宇宙のはかり知れない大きなはたらきに、驚きと感動を味わいます。

自分のいのちの不思議を感じ、その有り難さが身に沁みるとともに、日常の悩みがちっぽけなものに思えてくる。

私自身、この「つながりコスモロジー」という、新たな宇宙の捉え方を学んで、世界観がいっそう豊かになったと感じています。

今回、来る4月2日(日)、藤沢ミーティングルーム開設にあたって、「コスモロジー教育」をテーマに記念講座が設けられます。

11時~18時頃までです。

詳しくはこちらをご覧ください。

私は、法事のため15時頃から出席する予定です。

講座のあとには(たぶん)二次会もあり(or)、人によっては講座より楽しみにしている方もいるようです

ちなみに私はどっちも楽しみにしています。

リラックスしたサングラハらしい楽しい講座になることでしょう。

よかったら、ぜひご参加ください。

爽やかな青年もたくさんいます。

彼らを見ていると、「まだまだ日本はイケルかも」なんてオヤジ心が起こります

三十路オヤジも負けてられませんね

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水子供養にて(まごころ)

2006年03月26日 | 禅・仏教
昨日、若いカップルの依頼があり水子供養をした。

水子は流産ではなく堕胎である。

もちろん、立ち入ったことは聞かない。

だが、どうしてうちの寺に供養を依頼したのか尋ねてみた。

男性は、携帯サイトでお寺を調べて、片っ端から10軒以上の寺に問い合わせたそうだが、どこもつれない返事をされたという。

唯一私の電話での対応に好感が持てたから、ということだった。


電話を受けたときは、正直、面倒だなという思いも起こった。

だが、何より、たとえ自己都合によって堕ろした水子であっても、供養したいという彼の思いを汲んであげたいと思った。

困っている人がここにいる。

私の読経供養で、彼らの心が慰められるなら。

水子の御霊が浮かばれるなら。

助けてあげたいと思った。


では、どうしてよそではいい返事をしなかったのだろうか。

一つには、恐らくは自己都合の堕胎に対する生理的嫌悪感。

実際、先代も、これを嫌悪していた。

また、嫌らしい見方をすれば、法事をビジネスライクに捉えた場合、お布施が当てにならないということもあるのだろうか。

確かに、檀家外、しかも若いカップルが渡せるお布施なんてたかが知れている。

だが、僧たるもの、彼らの供養したいという気持ちを無下に断っていいものだろうか。


カップルには今日供養をして、それで終わりではないということを伝えた。

そして、いつもながら精一杯の声で読経した。

彼らに水子一人の命の重みが伝わってほしい、そんな思いも込めて。


供養が終わった後、彼らは神妙な面持ちで私に深く頭を垂れた。

帰り際彼らに、いつでもお寺にお参りに来るように、と言ったら、二人とも嬉しそうな顔をして再度深く会釈をして帰っていった。

そんな彼らを見て私もとてもすがすがしい気持ちになった。

偉そうなこと言えるほど、いつも、まごころをもって人に応対できているわけではない。

だが、まごころは相手に伝わり、そのまごころは相手から自分のもとに帰ってくる。

いつもとは限らないかもしれないが・・・

そのとき確実にこころは洗われている。

つねに、まごころとともにありたい。


自己承認をすれば、時折、人に、語り口が優しいと言われることがある。

永平寺殿行時代、私をつねに罵倒した鬼の知殿和尚が、お前の言葉はキレイだなとポツリと言ってくれたことが忘れられない。

人は何かしら取り柄があるようだ。

和顔愛語をさらに磨いていきたい。


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キブシ

2006年03月25日 | 写真館・花(境内)
境内に咲いたキブシの花です。

漢字では「木五倍子」と書くそうです。

黄緑色の房状の花が、鈴なりに咲きます。


亡くなった先代は、生前、人に対しては大変厳しく接しましたが、何よりも植物を深く愛した人でした。

おかげで、境内は花々で一杯です。

春になると、感慨深く偲ばれます。


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バイク&MTB

2006年03月24日 | 休憩

私のバイク、「ホンダCB400SUPERFOUR VTECⅢ」です。
けっこう長い名前ですが、通称はCB400。
赤白・黒ラインの「CBXカラー」が気に入っています。

図らずも、相棒のH君が、「スズキインパルス400」を売ってしまったため、遠出はトンとご無沙汰です。

ですが、めげずにほぼ毎日チョイ乗りしています。

数年前までは、MTB(マウンテンバイク)にまたがって風を切って走っていましたが、自転車は、一人で乗ってるとだんだん飽きてしまう。

その点、バイクは単独でも面白い。

鉄の馬を走らせている。そんな気分です。

これからバイクには快適な季節になるので、気が向いたら一人でふらりと出かけようと思います。

バイクにしても、自転車にしても、風を切って走るのは気持ちいい。

でも本当は、自転車向きなのかな・・・とも思う。

自分の脚力が、車輪の駆動に伝わっているのが心地いいのです。

しかし、あの派手派手しいMTBで近所を走るのは、ちょっと気恥ずかしいのです・・・かといってママチャリじゃつまらない・・・一度MTBの楽しさを知ってしまうと物足りなくなってしまいます。

わっ住職が・・・わっ園長が・・・あんな派手な自転車に乗って~

地域では多少は顔が知れてるし・・・

なんて、自意識過剰な私です・・・

夢はわが子と一緒にMTBに乗って、ハイキングに行くこと。

当地の周囲には、山も海も、歴史的な建造物も、宝の山のようにあるのだ。

あ、その前に結婚ですよね・・・

妄想モード全開です。

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朝型に変わりたい

2006年03月23日 | 思い・日常
夜は滅法強いものの、朝はからきし弱い。

午前中の頭の切れがよろしくない。

仕事のスピードが遅い。

お寺と言うと、朝早いイメージがあるが、私の朝は下手するとサラリーマンより遅いかもしれない・・・。

もちろん、永平寺時代の朝はとても早かった。

朝というより、「夜」に起きねばならぬこともあった。

例えば、夏は通常午前3時半起床。

さらに、週に1~2回程まわってくる当番に当たったときは、その二時間前の深夜1時半に起床して、掃除や準備をしなければならなかった。(現在、永平寺ではこの過酷な二時間前起きはなくなったようだが)

当時の苦労を思うとわれながらよくやったなと感心する。

それに引きかえ、いまの体たらく・・・。

やればできるはず。

早朝、仕事に取り組んだ方が、集中できるのは分かっているのだ。

夜ダラダラと起きていないこと。

できれば遅くとも10時半に寝て5時には起きたい。

だが無理はしない。

就寝時間はなかなか厳守するのは難しいが、起床は決めた時間を守った方がいい。

規則正しい生活を心がけること。

また、体が運動不足でなまっているのでトレーニングを習慣化。

体重も気になるので食生活の見直し、健康管理。

整理整頓。

坐禅の習慣化。

そして、なにより禁煙。

これらの項目を毎日チェックすること。

日々の生活習慣が人間を作る。


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