一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

<日記>仏縁の出会いと、天平の響き 「シルクロード・音楽の旅」

2007年08月26日 | 思い・お寺の活動
昨日の午前中は、ミクシィを通じて知り合った方とそのお嬢さんが当寺にいらしてくださった。

これからゆっくりと仏縁を深められそうな出会いであった。

「人と人」はヴァーチャルでのやり取りよりも、やはり「会う」に限る。

(マイミクさん、もしよかったらリアルでもお会いしましょう!たぶんミクシィ日記の感じと本人は若干違うと思います^^もうちょっと真面目な好青年?(をい!)です(自分で言うな)


午後は、真鶴にある総檜作りの檜チャリティコンサートホールで行われた、天平の響き「シルクロード・音楽の旅」コンサートhttp://silkroad.jpn.org/に、スタッフとしてお手伝いをしてきた。

今回、演目のひとつ天台声明にも、特別コラボということでわれわれの曹洞宗声明が参加。
双方の声明がうまく絡まって、荘厳な雰囲気がより一層高まったような気がする。
真言宗と並んで、さすがに天台宗の声明はしっかりと確立されているように思った。
その点、曹洞宗は声明は専門ではないので、宗としての声明が確立されていないように感じる。
では曹洞宗の専門は何か?
「坐禅」!
その坐禅をしているか、宗侶たるものそれぞれ自己を問わねばなるまい。

コンサートのあとは、スタッフはじめ、中国琵琶、二胡の中国人演奏者の方たちとともに、駅前のお寿司屋さんで打ち上げをした。



<日記>京都五山 禅の文化展

2007年08月24日 | 禅・仏教
今日は、毎朝の坐禅のメンバー4人で、「京都五山 禅の文化展」http://www.kyoto-5zan.jp/を見に、上野の東京国立博物館に行ってきました。

金曜日は20時までやっているということで、ゆっくりと観られました。

同じ禅宗として、わが曹洞宗の側から思うのは、いわゆる禅文化と言われる、書画、茶道、華道、庭園などは臨済宗にはとても太刀打ちできないということ。(ほかのことはともかく)

時に枯淡で、時に華やか・・・

禅の示す小宇宙が、見事にそれらの文化の中に溶け込んでいます。

そうした禅文化が花開いたのは、臨済宗が将軍の十分な庇護を受けられたこと、また京都五山の高僧たちが洗練された大陸文化を積極的に取り入れて、うまく日本的に昇華したからでしょう。

また、京都五山の開山(初代住職)クラスの坐像も多く展示されておりました。

いずれの坐像も室町時代の作にもかかわらず圧倒的な迫力で見る者の心に迫ってきます。

同時に祖師たちが到達していたであろう禅の高い境涯をも感じました。

どのお像もいい感じで枯れていらっしゃる・・・つまり透明。

でも、こうした坐像の印象は観る者によって違うようで、メンバーの一人は、権力におもねって出世を図る欲深さを感じた・・・と言っておりました。

でも、それは、きっと道元禅師びいきの色眼鏡ではないかと思います(汗)
曹洞宗侶として気持ちは分かりますが^^

ともあれ、室町幕府に庇護されて花開いた、京都五山の禅文化の奥深さ、幽玄さを味わえた拝観となりました。


あと、余談ですが、こんなマニアックな企画展に知的な雰囲気が漂う、若くて美しい女性がけっこう来ていたのには驚きました・・・(ちょいCHEER系)


※さてクイズです。

京都五山と鎌倉五山を上位順に言ってください。

答え(答え…はやっ)

<京都五山>

南禅寺(別格上位)
天龍寺 - 第一位
相国寺 - 第二位
建仁寺 - 第三位
東福寺 - 第四位
万寿寺 - 第五位

<鎌倉五山>

建長寺 - 第一位
円覚寺 - 第二位
寿福寺 - 第三位
浄智寺 - 第四位
浄妙寺 - 第五位

覚えておけば、あなたも古都仏教通?


<日記>大雄山最乗寺での宿泊研修 意見発表

2007年08月22日 | 禅・仏教
21日、22日と、1泊2日で、宗務所主催の宿泊研修に、南足柄の大雄山最乗寺まで行って来ました。

杉の巨木に囲まれた曹洞宗の祈祷寺の名刹です。

最乗寺という名称よりも、大雄山、あるいは道了さん、という呼び名で親しまれています。

お寺巡りが好きな方はぜひ一度訪れてみてください。
http://www.daiyuuzan.or.jp/

ちなみに、この寺を守護する道了さん(道了大薩埵)という方は、いわば天狗の統領のような方で、大変霊験あらたかとされ、多くの人々の信仰を集めています。(詳しくは大雄山のHPをご覧ください)

山内のあちこちに天狗さんのお像があり、とても雰囲気がありますよ♪


さて、今年の宿泊研修では、かねて提案者に指名されており「葬祭の意義と課題」をテーマに、若手代表(一応まだ若手です)として意見を発表しました。

深夜遅くまでかかったのは、この発表の原稿作りです・・・。

結果は・・・

まず反省点。

時間超過しすぎっ・・・

持ち時間10分にもかかわらず、20分以上も話してしまいました・・・

伝えたい思いばかりが先に立ち、欲張りすぎたんでしょう。
要点をもう少し絞るべきでした。。。


一方、プラスの自己評価としては、

とにかくも、自分の考えていることや思いを、「伝えたい!」という思いをもって話せたこと。

また、60人くらい?の宗侶前で話したことは、自信につながるいい体験になりました。


現代人の宗教離れは確実に進行しています・・・(この場合の宗教とは、伝統的な先祖・祖霊崇拝、自然崇拝も含みます)

当然、それはそのまま人々の心の荒廃にもつながっている・・・

個人主義の台頭、エゴイズムの肥大化、ニヒリズムの蔓延・・・

そして、それらの主要な原因には、近代科学的合理主義、唯物論的世界観、政教分離政策が考えられます。

その具体的な内容についてここで詳しくは書きませんが、

特殊相対性理論の公式「E=mc²」も用いて、仏教再生の可能性を語りました

と言うといかにもカッコ良さそうですが(汗)

実はかなり甘ちゃん・・・

科学的な話題を用いるなら、自分自身がしっかり納得した上で説明できるように、もっと深く学ばなければいけないと思いました(突っ込まれても自信を持って返答できるように)。

でも総合評価としては、80点くらいかな・・・(大甘です・・・)

うんうん、我ながら頑張ったぞ・・・

願わくは・・・30分くらい時間がほしい・・・

<課題>人前で話すときは、時間配分に気をつけること。



岡野守也先生の講演

2007年08月15日 | 禅・仏教
今回のお施餓鬼の目玉は、なんと言っても私が敬愛してやまない岡野守也先生の講演でした。

岡野先生の活動については、講演の際に檀家に配布した略歴を以下引用します。

<岡野守也先生略歴>

1947年広島県生まれ。関東学院大学大学院神学研究科修了。多年に渡り出版社編集長を勤め、1992年独立し、サングラハ心理学研究所(現名称 サングラハ教育・心理研究所)を主宰。

法政大学、武蔵野大学、青森公立大学などでも講師を務めておられ、大乗仏教の思想をベースに、生きる意味、いのちの尊さを伝える授業をされて、多くの学生たちの支持を得ています。

岡野先生は元々はキリスト教の牧師でしたが、キリスト教のみに限界を感じ、臨済宗の秋月龍老師から禅を学び、秋月師に示唆を受けて「唯識(ゆいしき)」を研究。また、現代アメリカを代表する心理学者 ケン・ウィルバーの思想に深く共感し、彼の提唱する「コスモロジー」も積極的に取り入れています。過去から現在、西から東とジャンルを問わず精力的に研究を重ねておられます。


主な著書は、『生きる自信の心理学』、『トランスパーソナル心理学』、『唯識の心理学』、『唯識のすすめ』、『道元のコスモロジー』、『空海の十住心論を読む』、『自我と無我』、『唯識と論理療法』、『よくわかる般若心経』・・・などがあり、その他翻訳書も多数出版されています。

また、岡野先生は、曹洞宗、天台宗の布教師研修や、曹洞宗保育連合の講師として招聘されるなど、その活動は日本仏教界の間でも注目を集めておられます。

人々が生きる意味を見失い、命がますます軽んじられる現代、人と人、人と世界のつながりはバラバラに寸断され、現代人の心の荒廃は進む一方です。大乗仏教をベースにした、つながりの世界観を説く岡野先生の多岐にわたる活動が、この混迷した現代に多くの示唆を与えることを確信してやみません。

以上。


岡野先生との出会いは私にとってかけがえのない宝物です。
先生との出会いによって、自分が人生で目指すべき方向性が決まったと言ってもいいでしょう。
とは言え、いまだ心の方はなかなか定まらず・・・といったところですが、何より人生観が圧倒的に豊かになりました。
また、人生や世界にむなしさを感じることもなくなりました。
つまり私の中のニヒリズム的傾向が、意味のある世界観に転換したということです。

さて今回の講演のテーマは「つながりを大切にする心」。

檀家のみなさんに、ご先祖様をさかのぼるお話などをもとに、平易に、すべての命・存在はつながりあっていることを説いてくださいました。

私たちの命は誰しも自分の意志によって生まれたわけではない。
はかり知れない数のご先祖様が、この「私」にまで命を繋いでくださったからこそ生かされている「命」であるということ。

私の命は、代々、代々、はるかな過去から、親から子へ愛情が受け継がれてきた、いわば、ご先祖様の「愛情の結晶」であるということを話されました・・・。

(どうも先生がこの話をされると、涙腺が緩んできてしまっていけません・・・。)

そのことを思えば、人間として「感謝」の気持ちを起こさない方がおかしいのではないか?
かりに、そんなの「関係ない」という考えがあるとしても、目に見えない無数のご先祖様のはたらきに感謝して生きるのと、何も感謝しないで自分勝手に生きるのでは、どちらが心豊かに生きられるだろうか?と問いかけられました。

だからこそ、日本人にとって、お施餓鬼や先祖供養、あるいは法事は、私たちとご先祖様との「つながり」を確認し、感謝の心を取り戻す上で極めて大事な行事であるということをお話くださいました。

当日はかなりの暑さでしたが、檀家さんのみなさんはいつになく真剣な面持ちで、時に笑いもあり、深く相槌を打ちながら80分の講演を聴き入っていました。

聴衆の心に染み渡る素晴らしい講演でした。
岡野先生にはただただ感謝の気持ちで一杯です。

「つながり」、「すべてのものはつながりあって一体である」とはすなわち仏教の根幹「縁起の理法」ということです。
私の外部ブログのタイトル『一顆明珠』の意味も、ズバリその真理の体験的比喩と言ってもいいでしょう。

それは、いわゆる宗教、を超えた普遍的真理であると思います。現代科学も、どうやら縁起の理法を科学的にも立証しつつあるようです。
もちろん、科学的解明と宗教的体験を安易に同定することはできないのですが、それにしても科学が縁起を語り始めてきた、いやむしろ、科学を推し進めたら、だんだん「縁起の理法」に近づいてきたと言った方がいいかもしれません。
もとよりこの考えも押し付ける気はありません。

しかし、世界中の人々の心はいまやニヒリズムの闇に覆われ、エゴイズム―快楽主義の世界観は増長する一方です。
結果として、世界と自分、自分と他人がバラバラに寸断され、孤独感に苛まれ生きる意味を見失っている人々、あるいは、自分の人生は自分の楽しみのためにあるとばかり、自分勝手に生きている人々・・・こうした心の闇に生きる人々が増えている。
こうした人々が、本当の意味で餓鬼道に落ちた人々と言えるのではないでしょうか。
私自身も自分の生き方を自省しなければなりません。

世界が、宇宙が、この宇宙のあらゆる存在が、実はひとつにつながりあって本質的な区別はない、一体であるということ。

この縁起の理法と現代宇宙科学に基づく、つながりの世界観「つながりコスモロジー」が、病んだ現代人の心を救う、もっとも有効な方便のひとつであることを確信しています。

つながりの世界観が、多くの人々に共有されることを願ってやみません。

正法眼蔵朗読の記録―1 『正法眼蔵 弁道話巻』

2007年08月01日 | 正法眼蔵朗読の記録
平成19年7月25日~7月28日にかけて、『正法眼蔵 辦道話巻(べんどうわ)』を朗読し終わる。

以下原文引用。


それ、修証はひとつにあらずとおもへる、すなわち外道の見なり。仏法には、修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆゑに、初心の辦道すなわち本証の全体なり。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

修をはなれぬ証を染汚せざらしめんがために、仏祖しきりに修行のゆるくすべからざるとをしふ。妙修を放下すれば本証手の中(うち)にみてり、本証を出身すれば、妙修通身におこなはる。


以上。


次は『正法眼蔵 現成公案巻』、辦道話同様、とりわけ重要な巻だけにじっくりと朗読したい。そして、いつか暗記したいと思う。