一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

「死と共に生きる―本当の幸せとは何か―」

2012年01月23日 | 禅・仏教
前回の文章を法話用(山門伝道掲示板用)にリニューアルしてみました。

「死と共に生きる―本当の幸せとは何か―」

さて、みなさんの中で幸せになりたくないという方はいますか。いませんね。今回は本当の幸せとは何か?みなさんと一緒に考えていきたいと思います。そこでまず、私たちが幸せになるためにはどんな条件があるか、考えてみましょう。私は大きく3つの条件があると思っています。
一、健康であること。
二、お金があること。
三、人間関係が円満であること。など。
みなさんもこの3つの幸せの条件が整えばきっと幸せなはずだと思われるはずです。しかし、こうした完璧な幸せを全部台無しにしてしまうできごとが一つだけあります。それは「死」です。死んでしまえば、当たり前の話ですが、この人生の幸せがすべて奪われてしまいます。だから私たちは死を何よりも恐れて、ふだんなるべく、自分の死を考えずにいようとするわけですね。
それでは、どうしてすべての命ある者は死ぬのでしょうか。それは、あらゆる物事が移ろい行き、永遠に変わらないものは何一つないという宇宙の法則があるからです。お釈迦様はこの法則を「諸行無常」といいました。いやな言い方ですが、私たちの体もこの諸行無常の法則によって、一年一年歳を重ねるごとに老いていき、死に近づいているということが言えるわけです。
そして、お釈迦さまは、私たちにこの諸行無常の道理をわきまえて、自分の「死」を見つめて生きていきなさいと仰いました。わざわざ「死を見つめろ」なんて、仏教っていうのはなんて暗くて意地の悪い教えなんだと思われる方もいらっしゃるかもしません。ですが、もちろんお釈迦さまは意地悪でそんなことを仰ったわけではありません。ではなぜそんなことを言うのか、結論を言う前に、先ほどの幸せの条件の話に戻りますと、仏教ではそもそも私たちが幸せの条件だと思っているものは、借り物の幸せであって本当の幸せではないと言います。なぜなら、そうした幸せは死んでしまえば、全ておしまい、おじゃんになってしまうからです。それなのに、人間はそうした借り物の幸せに夢中になってしまう。だけど、こうした幸せにとらわれて、こだわっている限りは、人間は本当には幸せになれません。では、本当の幸せはいったいどこにあるか。それは、私たちの「心」、この「心の中」にあります。みなさん「星の王子様」という童話はご存知でしょうか。あの話の中に「本当に大切なものは眼に見えないんだよ」という言葉がありましたが、本当の幸せ、それは、私たちの眼には見えません。なぜなら、幸せは、実は外にある条件などではなくて、幸せだと感じる心の方にあるからなんです。そして、その心の中にある本当の幸せに気付くためには、自分の死と向き合い、死を受け入れることが大事になってくるわけです。どうしてかというと、それは、自分の死を受け入れることによってはじめて、これまで当たり前だと思っていたすべてのできごとが、当たり前じゃなくなってくるからです。つまり、自分の命がいま生かされていることが、本当に有難い、奇跡的なことのように思えてくる。そして、同時にこの私を生かしているこの世界のすべてが有難く、愛おしく感じられてくるわけですね。
ではここで、ある一篇の詩を紹介します。
作家の高見順さんの「電車の窓の外は」という詩です。


「電車の窓の外は」
電車の窓の外は
光にみち
喜びにみち
いきいきといきずいている
この世ともうお別れかと思うと
見なれた景色が
急に新鮮に見えてきた
この世が
人間も自然も
幸福にみちみちている
だのに私は死ななければならぬ
だのにこの世は実に幸せそうだ
それが私の心を悲しませないで
かえって私の悲しみを慰めてくれる
私の胸に感動があふれ
胸が詰まって涙が出そうになる

死の淵にある作者の心の声がありありと聞こえてきます。
自分の死を受け入れたとき、逆に世界がいきいきと輝いて見える。そして、この命がかけがえなく尊いものに思えてくる。すると、生き方が変わります。人生の一瞬一瞬を大事に生きるようになるわけです。たとえばご飯を食べるときも、お茶を飲むときも、人と会うときも、仕事をするときもそうです。そうした日常のすべてに有難いという感謝の心がこもってくる。すると自分の外にある幸せの条件に左右されずに、そのときそのときを精一杯生きるようになる。つまり、見せ掛けの幸せではなく、本当の生き方にまなざしが向けられるということです。これが、仏教の説く本当の幸せです。それは死を前にしても決して揺らぐことのない幸せでございます。作者の高見順さんは、末期の病にかかり死が迫ってから真実に目覚めたわけですが、お釈迦さまが説くように、日頃から自分の死への心の準備をしておけば、より早く本当の生き方に目覚めることができるのではないでしょうか。
また、道元禅師も「生を明らめ、死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」と仰いました。
人が生まれて、老いてゆき、そして必ず死んでいくという、この厳かな事実をしっかりと見つめ、見極めていくこと、それが、仏教徒にとって一番根本的な問題であると示されています。
とは言え、いきなり死を見つめろと言っても、やはり抵抗があるかもしれません。ですから、まずは毎日、手を合わせて、生かされているこの「命」に感謝することから始めてはいかがでしょうか。自分の命に感謝するということは、自分の命を見つめることにもつながります。これだけでもずいぶんと心が豊かになり。一日一日の生活に張りが出てまいります。今日の話が、みなさんご自身の命を見つめるきっかけとなれば幸いでございます。ご清聴いただきありがとうございました。  

以上は、布教研修の際に発表した法話です。
長文にお付き合いいただき有難うございました。          住職合掌