毎日、震災のニュースを観ると心が痛み、胸が締め付けられる。
しかし、悲しんでばかりいては前に進めない。
悲しんだからといって被災者の代わりになることもできない。
いま、私にできること。
それは、
義援金の寄付。毎月継続すること。
照顧脚下。日々、地に足をつけて、己のなすべきことをなすこと。
そして日本を再生させるには何が必要かを考え、実行すること。
みんなこのままではいけないと心のどこかで思いながら、
ここまで来てしまったのではないか。
そして大震災は突然やってきた。
それは断じて天罰ではない。
大自然の営みに善悪はないのだから。
しかし、メッセージを読み込むことによって、
未来が絶望から希望に変わるのなら、
私たちはそこに大いなる意味を見出して、行動していくべきではないか。
すなわち「今が変わるとき」ということ。
今まで慣れ親しんだゆるやかな破滅の道に決別し、
道は厳しくとも真実に生きる道を歩まなければいけない。
一人ひとりの力が結集したとき、
日本は震災が起こる前よりも、強く優しく美しい、比類なき和の国に生まれ変わるに違いない。
そして、その実現が世界をも変えていくだろう。
今は日本と世界にとって一大転換期に違いない。
どちらに転ぶかは私たちしだいなのだ。
『後世への最大遺物』内村鑑三
「しかるに今われわれは世界というこの学校を去りまするときに、、われわれは何もここに遺さずに往くのでございますか。その点からいうとやはり私には千載青史に列することを得んという望みが残っている。私は何かこの地球にMementoを置いて逝きたい、私がこの地球を愛した証拠を置いて逝きたい、私が同胞を愛した記念碑を置いて逝きたい。それゆえにお互いにここに生まれてきた以上は、われわれが喜ばしい国に往くかも知れませぬけれども、しかしわれわれがこの世の中にあるあいだは、少しなりともこの世の中を善くして逝きたいです。この世の中にわれわれのMememtoを遺して逝きたいです」
少しでもこの世を善くして逝く。
それはその人の美しい生き様を後世に遺して逝くということ。
しかし、悲しんでばかりいては前に進めない。
悲しんだからといって被災者の代わりになることもできない。
いま、私にできること。
それは、
義援金の寄付。毎月継続すること。
照顧脚下。日々、地に足をつけて、己のなすべきことをなすこと。
そして日本を再生させるには何が必要かを考え、実行すること。
みんなこのままではいけないと心のどこかで思いながら、
ここまで来てしまったのではないか。
そして大震災は突然やってきた。
それは断じて天罰ではない。
大自然の営みに善悪はないのだから。
しかし、メッセージを読み込むことによって、
未来が絶望から希望に変わるのなら、
私たちはそこに大いなる意味を見出して、行動していくべきではないか。
すなわち「今が変わるとき」ということ。
今まで慣れ親しんだゆるやかな破滅の道に決別し、
道は厳しくとも真実に生きる道を歩まなければいけない。
一人ひとりの力が結集したとき、
日本は震災が起こる前よりも、強く優しく美しい、比類なき和の国に生まれ変わるに違いない。
そして、その実現が世界をも変えていくだろう。
今は日本と世界にとって一大転換期に違いない。
どちらに転ぶかは私たちしだいなのだ。
『後世への最大遺物』内村鑑三
「しかるに今われわれは世界というこの学校を去りまするときに、、われわれは何もここに遺さずに往くのでございますか。その点からいうとやはり私には千載青史に列することを得んという望みが残っている。私は何かこの地球にMementoを置いて逝きたい、私がこの地球を愛した証拠を置いて逝きたい、私が同胞を愛した記念碑を置いて逝きたい。それゆえにお互いにここに生まれてきた以上は、われわれが喜ばしい国に往くかも知れませぬけれども、しかしわれわれがこの世の中にあるあいだは、少しなりともこの世の中を善くして逝きたいです。この世の中にわれわれのMememtoを遺して逝きたいです」
少しでもこの世を善くして逝く。
それはその人の美しい生き様を後世に遺して逝くということ。