一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

<日記・学び>しばらく「僕」と言わない・・・

2007年07月30日 | 思い・日常

外国語を勉強していると気付くことがある。

それは一人称の代名詞がきわめて少ないこと・・・。

英語は「I」。

中国語は「我」。

イタリア語は「Io」。

ドイツ語は「Ich」。

フランス語は「Je」。

男性女性を問わず一種類しかない(もっとも、目的語になると代名詞が変化(I→me)することもあるが、それはここでは問わない)。

(もしほかにあったら教えてください)

それに比べて、日本語の一人称の代名詞は豊かだ。

今回は男性の場合に限って挙げてみよう。

「僕」、「俺」、「わたし(私)」、「わたくし(私)」、「わし」、「おいら」、「おれっち」、「自分」、「我輩(古い言い方だが)」などなど。

ほかにも地方色のある言い方がある。

「わて(西日本)」、「わい(西日本)」、「おいどん(鹿児島)」、「おら」・・・

と、挙げれば実に切りがない。。。(※この内、「私」だけ男女兼用かな?)

ともあれ、日本男性が一般的に使う代表的な一人称代名詞は、「私」「僕」「俺」の三つではないだろうか。

この三つの呼称の用法とそれに伴うイメージを自己流に分析すると、以下のようになる。

「私(わたし・わたくし)」・・・一番フォーマルで、社会人として発言する場合には、最も望ましい言い方。
公の場や、目上の人と話すときには一番相応しい。
ただし、多少堅苦しい印象を与えるため、家族や親しい間柄にはあまり使わない。逆に、相手と適度な距離感を取りたいときには最適な言い方。
なお、「わたし」より「わたくし」の方が、さらに格調が高い言い方となる。


「僕(ぼく)」・・・「私」ほどフォーマルではないが、相手に穏やかで育ちのいい印象を与える。また、ほどよく知的な感じもする。芸術関係や、著述業、マスコミ関係、フリーランスの職業の人が使うとよく似合うのでは・・・。強いて難を言えば、「僕」には少しひ弱なイメージがある。つまりワイルドさに欠けるということ。また、ちょっと気取った感じがしないでもない。


「俺(おれ)」・・・一番、庶民的な言い方。ただし、年上の人に向かって言ったり、公の場で使うのは失礼に当たることが多い。友達同士、気兼ねなく話すには最適な言い方。ただし「俺」と言える仲になる前に使うと、相手に威張っているように取られることもある。とは言え、相手との距離感を縮めるには最適な言い方である。ただし、「僕」よりも、品位は下がる。


さて、自分の場合はどうかと言えば、現在「私」と「俺」しか使わない。
小学生まではずっと「僕」だったような・・・。
中学生になって「俺」に変わった。
でも家では「僕」が長かったような・・・。
「おいら」もふざけて使っていたっけ・・・。

社会人になってからは、公の場や目上の人に対しては「私」を使うようになった。

そして、どういうわけか「僕」だけ、完全に使わなくなってしまった。

最近、「僕」の似合う人が「僕」を使っていると、いいなぁって思う。

でも、いきなり使い慣れていない「僕」を使うのは照れ臭い気もするのだが・・・。

「私」は多少堅苦しい感じもするものの、相手との適度な距離感が逆に心地よいときもある。
自分のことを「私」と言うことで相手の立場を尊重できる点もいい。

しかし、なんと言っても、「俺」が一番かな。
「俺」の後には、敬語はいらないし。リラックスして話せるような気がする。

日本語って面白い♪

ちなみに、女性の場合は、「わたし・わたくし」か、「あたし」ぐらいしかバリエーションがないのではないだろうか・・・。
あと幼児性の抜けない女性の中には、自分のことを、自分の名前で言う人もいる・・・。



エホバの証人の方たち

2007年07月25日 | 哲学・思想・宗教
夕方本堂の戸締りをしていると、小ぎれいな身なりをした品のいいご夫人二人がやってきました。
おや、これはもしかして・・・
直感は当たりました。
「ものみの塔」、通称「エホバの証人」の方たちです。
どこそこで行われる大会の案内で来たとのこと。

彼らの信仰について否定をする気は全くありません。
しかし、どうして彼らがお寺にまで足を運んでくるか、その神経が分からないのです。
というのは彼らがきわめて原理主義的であり、彼らの信仰の根底に、自分たちの信仰だけが絶対に正しく他の神や他の信仰を認めないという考えがあるからです。
どうして、そういう方々がお寺に来て自分たちの布教活動をしなければならないのか、しかもこの私に向かって・・・。

私は彼女らに言いました。
「あなた方は、ご自分たちの教えが、自分たちの神が唯一絶対に正しいと思っているわけでしょう? 他の神や、他の教えは間違っていると・・・。私はそうは思っていない。キリスト教の教会に行けば、ちゃんとキリスト教のやり方でお祈りします。 じゃあ聴きますが、あなた方はいまここで、この寺のご本尊さまに手を合わせることができますか? もしそれができたら、お話も伺いますし、そのパンフレットも受け取りましょう。」
と聞いたら、案の定いいえできません・・・と答えました。
「そうですか。だったら、どうぞお引取りください。あなた方は失礼なことをしているとは思いませんか。」
それでも何か言おうとする彼女たちに、
「いや!聞く耳を持ちませんから、お引取りください!」と言ったら、やっとすごすごと帰っていきました。

原理主義的宗教は、必ず他の宗教を排斥しようとします。自分たちだけが唯一絶対に正しいと信じ込んでいるわけですから、当然と言えば当然ですけど。。。
しかし、そうした宗教のあり方が人類史においてさまざまな悲惨な争いを引き起こしてきたのは自明の事実です。
私は現代こそ、他宗教間の根底に流れている共通した霊性を通して、交流すべき時期だと考えています。

宇宙はひとつですから、どれが正しくてどれが間違っているということは究極には言えないし、各宗教はただ現れ方が異なるだけで本質は一緒なのだと考えています。
これについては、とてもここで一言では言えません・・・。

その点、「ものみの塔」は時代の流れに逆行しています。というか、宇宙の流れ、人類の進化に逆行しているように私には思えるのです。自分たちの信仰に誇りを持つことは素晴らしいことだと思います。しかし、それは他の信仰を認め、尊重するということが前提です。
異質な他者として、他の信仰を認めない宗教に賛同することはできません。もちろん存在することは認めますが・・・。

彼女たちには可哀想な気もしましたが・・・寺の住職が毅然とした態度を取ることは彼女たちのためにもなるでしょう。

お施餓鬼について―1

2007年07月24日 | 禅・仏教
施餓鬼会(せがきえ)、通称、お施餓鬼(※1)とは何かについて考えたいと思います。

お施餓鬼は、日本の仏教宗派を超えておおよその寺院で行われている、年に一度の大行事です(一度にこだわらないで年間通して随時行う場合もある)。

また、古来、お盆(盂蘭盆会<うらぼんえ>)の時期に行われていたので、お盆と混同されがちですが、別の行事になります。

おそらく、由来のエピソードが少なからず似通っているために余計に混同しがちになるのでしょう。

ここで整理したいと思います。

まず、お盆は、お釈迦さまの十大弟子の一人、神通第一の「目連尊者」のお母様が餓鬼道に落ちているのを救うために行った、僧侶への供養がはじまりとされています。
目連尊者が餓鬼道に落ちている亡き母を見て、お釈迦様にどうすれば母を救えるか相談をしたところ、
「目連よ、そなたの母を救うために、七月十五日、僧たちが三ヶ月の安居を終えて遊行に出掛ける日、僧たちに供養しなさい。供養の功徳によって救われるはずだ・・・・」と教えられました。
これが、そもそもお盆の供養の由来とされています。

退屈ですか・・・
眠らないでくださいね。

さらにお施餓鬼の由来を続けます。

やはりお釈迦様の十大弟子の一人、多聞第一の阿難尊者のもとに、ある夜、餓鬼がやってきます。
その餓鬼に、お前はあと3日後に死んで、私と同じような姿になると告げられたため、お釈迦さまに相談されました。
お釈迦様は阿難尊者に陀羅尼(呪文)を授けられました。
彼がその陀羅尼を唱えたところ、一器の食物が無量の飲食に増やされて無数の餓鬼に施されました。これによって阿難尊者は事なきを得たとされます。これが施餓鬼会の由来です。

ふたつの行事の由来を整理しましょう。

・お盆=目連尊者の母を餓鬼道から救うために七月十五日に行われた供養。

・施餓鬼=阿難尊者を餓鬼道行きから救うために行われた法要。

そして、これらのエピソードが、日本古来の先祖供養信仰と結びついて、お盆、お施餓鬼ともに日本の仏教文化として定着したと言えましょう。

さて、ここで問題になるのは、以上のような、仏教説話的なエピソードを聴いて、私たち現代人がどこまで共感することができるのかという点だと私は考えます。

こうした仏教の六道輪廻に代表される神話的世界観が、現代においては方便として機能しづらくなっている現状がある。
それは科学的合理主義や物質還元主義にもよりましょう。
打ち明ければ、すでに私自身そうした素朴な神話的世界観を丸呑みに信じることはできませんし、またそれを信じ込むよう強要することもあまり意味のないことだと思っています。
こうした世界観が、前近代まで(幕末から明治頃まで)の人々に素朴に信じられていた頃は、方便として人々が安心を得るのに有効に機能していたことでしょう。

しかし、現代、刀の山とか、釜茹で地獄、閻魔様、三途の川などと言われても、なかなかリアルにイメージできなくなってしまった以上、仏教行事を新たに捉えなおすことが求められているのではないでしょうか。

もちろん、古来の説話はそれはそれとして大事にしなければいけませんが。

仏教は、いつの時代、またどのような地域にあっても、時代の価値観、社会環境、風土に応じて、柔軟に姿を変えて、苦悩する人々を導いてきました。
お釈迦さまからして、その人がおかれている状況に応じて、教えを融通無碍に変えながら説いて、悩める人々を救っていたのです。
これを仏教の言葉で、「対機説法、応病与薬(たいきせっぽう、おうびょうよやく)」と言います。

ですから、言葉で表されたものが表面的に姿を変えて説かれても、仏教の本質を見失わない限りは、なんら問題がないと言えるのです。

では次に、仏教の方便としての神話的世界観はひとまず置いて、現代の私たちが共有しやすく心の安心につながりやすい世界観は何か。
また、お盆、お施餓鬼という行事を古来の説話を踏まえつつ、現代的にどのように捉え直せばよいのか考えて行こうと思います。

(次回に続く)

今後のこのブログの方針についてのお知らせ

2007年07月24日 | Weblog
最近あまりにも雑多な話題ばかりで、内容がチャンポン状態になっていたかと思います。

これまでの読者の方々には不快感、あるいはさまざまな誤解を与えたかもしれません。。。

そもそもこのブログは、自分にとっての学びの場にするという趣旨で開設したもの。
いろいろと考慮しましたが今後の当ブログの内容については、原点に戻って、広く「学び」ということをテーマに更新していきたいと思います。

したがって、日々の所感、雑感、また最近趣味になっている、台湾のこともろもろについては、ミクシィの日記へ移行するかあるいは、新たにほかの外部ブログ開設を考えています。

テーマが限定されるため、更新頻度は遅くなると思われますが、これからも応援していただけたら幸いです。


親知らず

2007年07月23日 | 思い・日常
10日前くらいから、ずきずきと左側の歯全体が痛みだし、2、3日前から痛みがひどくて夜寝られなくなった・・・。

市販の鎮痛剤でなんとか痛みを誤魔化したものの、胃が荒れるような感じがして気持ちが悪い・・・。


まったくこんなときに・・・どうしよ・・・

でも、大事なときだからこそ治しておかなければ・・・

そこで歯医者に行った。

親知らずが虫歯になっているために、広範囲に痛みが及んでいるとのこと。

親知らず以外に虫歯はないとのことだった。

そっこうで親知らずの抜歯をお願いした。


抜くのには難儀したが、痛みの元が消えて安心した。

これで、お施餓鬼の準備に集中できる。

今日の格言

「善は急げ!」

われながらタフだね・・・

2007年07月23日 | 思い・お寺の活動
昨日は、夜10時から、塔婆の頭書き(塔婆の上と、裏の日付の共通部分)を100本(これで頭書きは完成)、本書き(戒名書き)を120本終えた。

いつの間にか朝4時半・・・

気付いたら外が明るくなり始めていた・・・

うん、われながらタフだなと思う

おっしゃ、今夜も一気に書き上げよう!

今日の目標は、本書き200本。

合計320本。

いけるか?

行くしかないでしょ

しかし、うちの塔婆って長すぎるよね・・・6尺あるし


「哈日杏子のニッポン中毒」

2007年07月21日 | 思い・子どもたち
子どもたちがいない境内は静かです・・・

はっきりしないお天気ですね。


ところで、「哈日杏子(はーりーきょうこ)のニッポン中毒」という本を読みました。

アマゾン URL

面白いです!笑えます

一気に読めました(ヲイ余裕あるじゃん、一人ツッコミ)。

日本中毒に陥った台湾人の著者が、これでもかというくらい日本に対する偏愛を語ります

日本大好き病患者の台湾人を指す「哈日族(はーりーず)」という言葉を造語したのも彼女。

台湾では哈日族の教祖と呼ばれているとのこと

日本のサブカルチャーはじめ、日本の文化を褒めちぎってくれるので、なんだかくすぐったくなります・・・

多少日本に対する捉え方が表面的な感じもしますが、褒められて悪い気はしません

素直に嬉しいです・・・

「えっ、こんなところに感動するんだ・・・

日本のよさ再発見という感じですね。


逆に最近は日本に、台湾中毒患者なる哈台族(はーたいず)も増えているようです。

台湾は、食べものも美味しいし、
何より、台湾は温かくて親切な人が多いのが魅力なのでしょう

日本人的には「ここまでするか!!!」というくらいの親切をされることもあるようです。

そこに感動してしまう。

日本人とは親切心の表し方が違うのだという指摘もありますが・・・

やはり総じて、温かい国民性なんだと思います。


また日本や日本人に対して好感を持っている人も多いようです。

中国、韓国とは反対ですね。。。

あちらは、やはり反感を持っている人が多いようですから


それとやっぱり、なんといっても台湾明星の魅力は絶対に外せませんよね。。。

もう~めちゃ素敵です


私の台湾への想いは膨らむばかりです

本格的な哈台症への道も近い?てか十分に哈台症?


嬉しい知らせ

2007年07月20日 | つながりコスモロジー
昨夜は、岡野守也先生の主宰するサングラハ教育心理研究所のコスモス・セラピー講座に出席してきました。

岡野先生の講座には毎月1回は出席しています。

あ、はじめに断っておきますが、怪しい団体ではありません・・・(汗)。

「サングラハ」という語が耳馴染みがないと思われますので説明しますと、サンスクリット語で「統合的に把握する」という意味です。

きわめて、まっとうで真面目な、明るく楽しい団体です♪


岡野先生は、法政大学、武蔵野大学をはじめ、いくつかの大学で教えておられ、多くの学生の支持を得ています。

先生の活動については、これまでもずいぶんこのブログの記事で紹介したので省略します・・・語ると長くなるので(汗)

先生との出会いについてはこちらの過去記事にも書いてあります。
ちょっと長い文章ですが・・・
曹洞宗侶への熱い思いを、自分への叱咤、自戒を込めて述べました。
http://blog.goo.ne.jp/munekuni1973/e/6c2e6fbfe382b37ea068868c068de55e
ん~いま読み返しても、われながら熱いぜ・・・


また、先生の略歴についてはこちらをご覧ください。
サングラハ教育・心理研究所のHPです。
http://www.smgrh.gr.jp/purpose.htm


岡野守也先生は、なんといっても私が一番敬愛する方です。

先生と出会ってからは、いつも心のどこかに、先生のメッセージがあるような気がします。

先生との出会い、そして先生からの学びは、私の人生にこれから先もずっとよい影響を及ぼし続けるでしょう。


さて、嬉しい知らせとは、恩師岡野先生が、私が修行した曹洞宗の大本山永平寺が発行する月刊誌、『傘松(さんしょう)』に、8月号から2年間連載執筆なさるということです。

先生は、これまでもたびたび要請を受け、曹洞宗布教師講習会や、曹洞宗保育連合の研修、あるいは曹洞宗寺院の行事などで講演をされ実績のある方ですが、現状、まだ全国の曹洞宗の僧侶全体に認知されるには至っていません。

実際、なかには、知りもしないでサングラハの活動を誤解している宗侶もいたり、内心忸怩たる思いでおりました。

しかし、全国の多くの曹洞宗寺院がとっている『傘松』に先生の文章が掲載されることで、そうした愚かな風評もなくなることでしょう。

また、サングラハの活動が理解されて、さらに宗門内外からアプローチされる機会が増えるかもしれません。

今回、連載の内容は「持続可能な社会――環境と心の問題」(仮題)というテーマとのこと。

「環境と心の問題の相関性」は先生の長年にわたるテーマでもあると思われます。
現代、もっとも切実に求められている事柄と言えるのではないでしょうか。


とにかく、私の大好きな人、私の敬愛する人が、自分の所属している集団に認知されるチャンス・・・。

ただただ、その知らせを聞いたときは嬉しくて仕方ありませんでした・・・。


岡野守也先生について関心を抱かれた方は、先生のブログをご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/smgrh1992


先生の著書は以下の通りです。
アマゾン「岡野守也」で検索


さらに関心がわいた方は、実際に先生に会ってみてください。

著書も素晴らしいですが、やはりナマで会うのが最高です♪


うまい台湾料理屋めっけ!

2007年07月20日 | 台湾
わが街、大○に、うまい台湾料理の店を見つけました!!!

店名は「相思豆」(しゃんすぅとぅ xian1si1dou4 ちなみにお店側の表記は「ちゃんすうとう」でした。台湾語読みの方だと「ちゃん」なのかな?)
ちなみに相思豆とは、紅豆とも言って、中華圏では、男女の愛のお守りにするお豆だそうです

こりゃげんかつぎにいい名前だわい


台湾人の店主、朱さんが作る台湾家庭料理

カウンター席メインのこじんまりとしたお店です

勉強会の帰り道の二次会に、友人Mさんと立ち寄りました。

注文したのは、


腸詰め(台湾の香腸かな?)。

子袋の冷菜。

ハチノスのピリ辛炒め。

水餃子。

カニチャーハン。


どの品も値段が安くてめちゃめちゃ美味しかったです。真好吃。


腸詰め(香腸)は甘くて優しい味・・・ビールのおつまみに最高。

子袋は、あっさりコリコリとした歯ごたえがいい。

ハチノスのピリ辛炒めは、しっかり辛くてハチノスが美味しいタレにうまく絡む。

水餃子は、皮のプリプリ感が絶妙。

カニチャーハンは750円という安さ、なのにしっかりカニが入ってる。
素人では出せない味わい・・・。


楚々とした美人奥さん(奥さんなのかな?)の柔らかな対応も居心地がいい。


写真ははじめて飲んだ台湾ビール

ライトだけど、花のようなほのかな甘い香りがしました

確かに台湾料理にはよく合いますね


台湾紹興酒のボトルキープも入れました


これで行きつけのお店がまたひとつ増えたぞ~

太好了!

大船最高!

あ、言っちゃった・・・

てか、大船はなにげにあなどれない街ですぞ・・・

奥が深い・・・