『永遠の0(ゼロ)』(百田尚樹)という小説を読んだ。
神風特攻隊の話である。
浅田次郎氏の壬生義士伝に構成が酷似しているが、
臨場感に溢れており、あたかも自分が戦場にいるかのように錯覚した。
悲しく、辛く、やり切れない思いで胸が一杯になる・・・
しかし、悲しみの向こう側にある、この透き通った美しさはなんだろう。
人がエゴイズムを超越して「無(ゼロ)」になったとき、
その人の命は「永遠」と呼ばれる何かに昇華するのかもしれない・・・。
ただ決定的に悲劇なのは、その方向が殺し合いの戦争に向かってしまったことである。
だからと言って、平和な生活を享受しているわれわれが、彼らを、そして当時の日本人を裁くことはできない。
彼らは愛する者を守るために戦うほかなかったのだ。
国を守るとは、愛する者を守ることにほかならないのだから。
はたして、今の私たちに、愛する者を守るだけの精神は残されているだろうか・・・。
さて、仏教のコンセプトでもある「無我」はともすると戦争に都合の良い「滅私」にも結びつけられやすい。
実際、当時の仏教者たちによってそのように宣揚されていたのも事実である。
しかし「無我」とはエゴ(我)を殺すことではなく、エゴ(我)とは本来「無我」であることを覚ることである。
このへんもうちょっと自分の中で整理するために、岡野守也氏の『空と無我』を読み返す必要があろう。
読んで損はない本。
星4つ★★★★
神風特攻隊の話である。
浅田次郎氏の壬生義士伝に構成が酷似しているが、
臨場感に溢れており、あたかも自分が戦場にいるかのように錯覚した。
悲しく、辛く、やり切れない思いで胸が一杯になる・・・
しかし、悲しみの向こう側にある、この透き通った美しさはなんだろう。
人がエゴイズムを超越して「無(ゼロ)」になったとき、
その人の命は「永遠」と呼ばれる何かに昇華するのかもしれない・・・。
ただ決定的に悲劇なのは、その方向が殺し合いの戦争に向かってしまったことである。
だからと言って、平和な生活を享受しているわれわれが、彼らを、そして当時の日本人を裁くことはできない。
彼らは愛する者を守るために戦うほかなかったのだ。
国を守るとは、愛する者を守ることにほかならないのだから。
はたして、今の私たちに、愛する者を守るだけの精神は残されているだろうか・・・。
さて、仏教のコンセプトでもある「無我」はともすると戦争に都合の良い「滅私」にも結びつけられやすい。
実際、当時の仏教者たちによってそのように宣揚されていたのも事実である。
しかし「無我」とはエゴ(我)を殺すことではなく、エゴ(我)とは本来「無我」であることを覚ることである。
このへんもうちょっと自分の中で整理するために、岡野守也氏の『空と無我』を読み返す必要があろう。
読んで損はない本。
星4つ★★★★