一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

われ、ただ足るを知る―禅僧と脳生理学者が読み解く現代

2010年11月23日 | 
板橋 興宗, 有田 秀穂 佼成出版社




曹洞宗大本山総持寺元貫首・曹洞宗元管長、板橋興宗禅師と、セロトニンの権威、脳生理学者有田秀穂氏の対談。
板橋禅師のことは、以前から、その飾らない気さくなお人柄と、保守的な仏教界にいながら、忌憚なく発せられるラディカルな言動に惹かれていたが、昨年ご縁あって現在住職をされている御誕生寺でお会いすることができた。
著書通りの気さくで温かく、誠実な禅師さまでいらした。
いわゆる禅僧の師家にありがちなハッタリや高慢な言動がまったくない。
日々、自然の移り変わりとともに修行僧や猫たちと心穏やかに、しかし、自己の修行には厳しくお暮らしになっている、そんな印象を受けた。
この方がお亡くなりになったら、曹洞宗には果たしてあと何人、導師と呼べるだけの「人」がいるのだろう・・・
そう思うと暗澹たる気持ちになる。
もっともそういうとき自分のことは棚上げにしているのだが・・・。

さて、本書は、何よりも、有田氏との対談を通して、坐禅の臨床的な効用が、脳生理学の見地からはっきりと述べられている点が画期的である。
つまり、坐禅をすると心をコントロールするために働くセロトニン神経が鍛えられるというのである。
現代人の多くはパソコンや昼夜逆転の生活の影響でこのセロトニン神経が弱まっており、その結果、鬱やパニック障害、キレ易いなど、さまざまな心の問題が起こっているのだという。このセロトニンを板橋禅師は体験的にハッピーホルモンと名づけているが言い得て妙である。坐禅が深まって心が澄んでくるとなんともいえない多幸感を覚えるのはよくあることだ。

しかし、有田氏は坐禅だけが特別なのではないという。セロトニン神経を鍛えるには、念仏でもいい、リズム運動だっていい。あくまで臨床的な見地から、心に効けばいいのだと・・・。
われわれ宗門の人間は、ともするといたずらに禅に対して神秘性や宗教性を付加してはいないだろうか?
禅を神棚の上に載せて、在家の人の禅への道を狭くしてはいないだろうか。
そうすれば禅についてとやかく聞かれることはないし、自分が日ごろ坐禅していないことについても問われることもない・・・。
「坐禅は心に効く」ということ、まずはそのことをアピールして禅へ導いていくことが、現代、求められているのではないだろうか。私自身、その臨床的結果に大いに勇気付けられたのだから。


台湾を知る―台湾国民中学歴史教科書(雄山閣出版)

2010年11月23日 | 


台湾のことを表面的ではなく深く知りたい方は必読。
可能な限り歴史に忠実、かつ公平な視点で台湾史が綴られています。
また同時に祖国台湾への愛が行間からにじみ出ています。
特に日本統治時代の章は日本人なら一読に値するでしょう。
過度な否定でもなければ賛美でもない。
日本統治の批判すべき点は厳しく批判し、評価すべき点は公正に評価している。
歪まずに真っ直ぐに見つめられた事実。
そして、力強く語られる未来の台湾への提言。

日本の歴史教科書も見習うべきではないでしょうか。


台湾人生

2010年11月23日 | 映画
「台湾の“日本語世代”へのインタビューを通して、台湾の近・現代史を紐解く」


映画は、台湾のおばあちゃんたちがお茶を摘んでいる光景から始まる。
この時点で不思議な懐かしさに胸がキュンとなる・・・。

確かに、台湾はしばしばそんな思いを抱かせる国だ。

明治から昭和にかけてのおよそ50年間、台湾は日本の統治下にあった。
しかし現代、日本と台湾のつながりの深さに思いを馳せる日本人がどれだけいるだろうか・・・。

日本統治時代に育ち、戦後の激動の時代を生き抜いてきた台湾人の方々の日本への複雑な心情が語られる・・・。
言葉はもちろん日本語だ。
レベルに個人差はあるものの、みな生き生きとした日本語を話す。
いや、日本語を話すときの彼らの顔が実に生き生きとしているのだ。
きっと青年時代のあの頃に戻るからだろう。

日本を慕い懐かしむ気持ち。
忘れ得ぬ日本人教師への恩。
上官に人種差別された怒りと悲しみ。
日本のために戦ったという誇り。
叩き込まれた愛国心と日本精神。
戦後日本に捨てられて放っておかれたという悔しさ。

彼らの胸中に青年時代のさまざまな思い出が去来する。
泉が湧き出るかのごとく日本への思いがあふれ出していた。

私たちにできることといえば、彼ら日本語世代の方々の人生を見つめ、その人生から何かを感じ取ることではないだろうか。

そしてさらに、日本と台湾の絆を、現代につなげ発展させていくことが、彼らの人生に報いることになろう。

<追記>
それにしても、台湾のおじいさん、おばあさんたちみんな魅力的♪
おじいさんは元気がいいし、おばあさんは可愛い^^


東京島 (新潮文庫)

2010年11月23日 | 


漂流物、無人島物に目がないので読んでみたのだが、なんとなく展開が予想できてしまい、いまひとつのめり込めなかった。

ただただ、動物の本能むき出しの面ばかりが強調されていて、いささか食傷気味になる。

一方、同じく無人島での実話を基にした小説でも、吉村昭氏の『漂流』には圧倒的な感動を覚える。

極限状態にあっても、貫き通す人間の尊厳。

素晴らしい!人間はかく生きることもできるのだ。





継続は力なり

2010年11月18日 | 思い・お寺の活動
毎朝の坐禅(暁天)と、朝のお勤め(朝課)には、だいたい5、6名(多いときで8名)の方が集まるようになりました。

そのうち檀家さんは2名で、あとは近所に住んでいるお勤めを引退された方たちです。

朝の坐禅の受け入れをはじめてから5年近くが経ちました。

これまでほとんど休まずに行じています。

正月も、お施餓鬼も、風邪の日も、二日酔いの日も・・・

サボりたくてもサボれません。

私が宿泊研修でいないときも、勝手知ったる常連さんたちが本堂に上がって暁天と朝課をしてくれます。

有難いことです。

継続は力なり。

不思議なことに坐禅は何度やっても飽きません。

いつも新鮮な気持ちになり、

坐っている時間は身心ともに満たされます。

ひとときの坐禅ですが、これからも毎朝続けていきます。


「親日」台湾の幻想

2010年11月15日 | 


良書である。

はじめの「JAPANデビュー」の保守派を独断的に批判するくだりは、リベラル左派の論客かと錯覚したが、読み進めるにつれ左右どちらにも偏らない中道的なバランス感覚を感じた(それでもJAPANデビューについての意見にはいささか反論もある)。
また政治的な提言も非常に建設的かつ有効的なものに思えた。
米国追随一辺倒でもない。
中国にもむやみに近づかない。なぜなら対等に話し合える国ではないのだから。
まずは日本と台湾、そして韓国との関係を緊密かつ良好にすることがアジアの安定をもたらす、という著者の主張には私も同感である。

以下は本書を読んだ上での雑感である。

台湾と台湾人は総じて親日的である。

台湾に住んだことはないが、台湾人の妻の話などを聞くにつけ、それは確かなことのようである。
そのこと自体は日本人として、素直に嬉しい。

しかし、私は日本の保守派の人たちが「台湾人は親日である」というときの「親日」には、どこかに違和感を覚えていた。
何かが微妙にズレていると・・・

彼らは言う。

「台湾人は日本の統治時代にとても感謝しているんだ」
「日本時代に生きた台湾の老人たちはみんな日本統治を懐かしんでいるんだ」

彼らの主張を聞くと、あたかも台湾の老人たちが手放しで日本時代を賞賛しているかのようだ。
しかし実際は戦後の中華民国政府と比較して、相対的に日本政府の統治の方がよかったと思っているに過ぎない。おそらく誰もあの頃に戻りたいと思っている人はいないであろう。
またどんなにひどい時代に生きたとしても、人の心理として若かりし頃を懐かしむのは自然なことだ。それは何もあの時代がよかったからという理由にはならないのである。

保守派の自己陶酔的な親日観は、木を見て森を見ず、である。
つまりはピントがズレている。
物事の一面だけを捉えて、それを全体に敷衍しているにすぎない。台湾が親日な理由として、統治時代のことしかネタにできないようでは、いつまで経っても台湾のことを本当に理解することはできないだろう。
もちろん日本時代に身命をかけて台湾に尽くした八田與一氏の功績などは、美しく尊い生き様として末永く伝えられるべきである。個々の宝石のような人生は、人類の遺産として大事に伝えていかなければならない。
しかし、個々の業績が素晴らしいからと言って日本統治が賞賛できるということにはならないのである。

そして、現在、日本時代の老人以上に著者が萌日(もえにち)と言ってはばからないほど「日本好き」を牽引している台湾の若者たちがいる。
彼らにとって、日本が好きな理由に日本時代云々ということは、まったくと言っていいほど関係がない。

彼らが惹かれるのは、あくまでも戦後日本が醸成してきた平和的な民主主義の雰囲気と、日本人の本来穏やかな国民性とが相まって生まれたサブカルチャーが中心である。
アニメ、漫画、芸能、ファッション、ゲーム、AV・・・
こうしたものへの興味がきっかけとなって、さらに日本の歴史や文化に関心を持つ人たちも増えてきているようだ。

今度は台湾のよさをもっと日本の若者に伝え広めていき、双方向の良好な関係を築いていきたい。
韓国ドラマはいざ知らず、住んで楽しいのは韓国より台湾であろう。
台湾は日本人にとって韓国や中国とは比較にならないくらい居心地のいい国なのだから。


眼から鱗の洞察力に優れた分析も多く、台湾に10年在住しているだけに説得力のある文章に感じた。

右も左もノンポリも、日本と台湾の関係に興味がある人は必読。いや、台湾に関心がなくても、日本の将来の外交について憂慮している人にはぜひ読んでもらいたい。台湾は日本にとって、なくてはならない良き友人なのだから。

蛇足だが、

・日本人は他人に厳しいが、自分にも厳しい。
・中国人と韓国人は、自分に甘く他人に厳しい。
・台湾人は自分に甘く、他人にも甘い。
という著者の分析は言い得て妙だと思った。

もっとも日本人も、自分に甘く他人に厳しい人が増えてきているように思うが・・・。


この命、義に捧ぐ~台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡~

2010年11月15日 | 


戦後、蒋介石への報恩のために台湾に渡った根本中将。

金門島において国府軍の軍事顧問として指揮を執り、見事共産党軍を殲滅。命がけで台湾を共産党の魔手から防いだ。

ただ義のために。

しかし、この事実は歴史の闇に葬り去られていた・・・。

中国国民党にとって、敵国日本の軍人に国家存亡の危機を救われたとは口が裂けてもいえまい。

本書を読んで一層日本と台湾の歴史的関わりの深さを感じた。

しかし、「根本博は台湾を救った」というよりも「中国国民党」を救った、という感は否めない。そこがどうしても私には共感しにくい部分でもあった。
実際、中将が命をかけたのもあくまで蒋介石のためであって、台湾のためという意識はあまりなかったのではないだろうか・・・。
とはいえ、結果的に共産党の侵略から台湾を守ったという面では、台湾にとっての恩人といっても過言ではないだろう。
国民党がどれだけひどい政権であったとしても、中国共産党よりはまだマシだと思うからである。

また本書では根本中将の懐の深さ、人間的な魅力も描かれていた。どこか硫黄島の栗林中将とも通じるものがある。

その分、☆ひとつおまけ。

開山忌

2010年11月15日 | 思い・お寺の活動
昨日、当寺恒例の開山忌法要が無事に終わりました。

昨年から、お寺の活動を通して社会貢献もできればと思い、シャンティ国際ボランティア会の協力のもと、
法要の前にチャリティ寄席を行っています。

今回は、太神楽の曲芸と落語の二本立て。

橘ノ圓満さんの落語も二ツ目さんとは思えないほど上手でしたが、意外に檀家さんたちに受けたのが鏡味初音さんによる太神楽の曲芸でした。

独特の和み系の声(ちょっと山崎バニラの似の声)と、緊張感のある技とのギャップがとても面白い。

やはりプロの芸は侮れないな、と思いました。

プロのプロたるゆえんは、一意専心、一心不乱の精進から生まれる研ぎ澄まされた「型」に現れているのかもしれません。

そして、その「型」がその人の生き方にまで浸透すると、行住坐臥、全人格的な輝きとなって現れる。

プロの芸人、プロの医者、プロのサラリーマン、プロの教師、プロの主婦、プロの坊さん・・・

自分は果たしてプロの坊さんと言えるか、自問する。

坊さんの場合それはテクニカルなことではなく、生き方の問題に直結してくる。

一番ハードルが高いかもしれません。


今回の参加者は50人届きませんでした・・・。

出し物をやっても思ったようには人数が増えない。

一喜一憂してもしょうがありませんが、お寺離れを食い止めるにはイベントで人を集めるよりも、

住職が地道に檀家さんの信頼を築いていくことの方が大事なのかもしれません。