一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

この一日の身命を尊ぶべし 

2012年12月15日 | 禅・仏教
この一日の身命を尊ぶべし (道元禅師の言葉を要約)

(原文は、「この一日の身命は尊ぶべき身命なり」 『正法眼蔵 行持巻』)


早いもので今年も残すところわずかとなりました。
不思議なもので、歳を重ねるごとに一年があっという間に思われ、「光陰矢の如し」と言う言葉が実感されてまいります。
まことに人生は邯鄲の夢のごとく、はかなく過ぎ去っていき、そして誰にも等しく死が訪れます。
しかし、死ぬこと自体は決して悪いことではありません。
死があればこそ、この命はかけがえがなく尊いのです。
また、私たちの命、私たちの人生は取替えができません。
だからこそ、私たちは人生の一年、一年、ひと月、ひと月、一日、一日、
いまここの一瞬を、しっかりと大切に生きていかなければならないのです。
それが自分の命、ひいてはこの世のあらゆる命を尊ぶということになります。

折りしも今は落葉の季節ですね。
木々の葉は、葉としての精一杯の役目を終え、静かに散っていきます。
そして春を迎えるとまた新しい葉が芽吹きます。
死は終わりではありません。
命のあり方の変化にすぎないのです。
命を大きく捉えれば、死は新たな命のはじまりと言ってもいいでしょう。
人間が死を恐れるのは、「自分(自我)」と言う妄想の殻にとらわれているからです。
「我」がなくなるのが怖いのです。
この殻にとらわれて我欲のとりこにならないよう、
一日一日、かけがえのない身命を大事に生きていきましょう。
いまここの自分の命に息づくことが、仏の命(永遠の命)を生きることになってまいります。
それは何も難しいこと、特別なことではありません。
まず今日一日の命に感謝をすることです。
そして、ご飯を食べるときは感謝していただき、人には笑顔や優しい言葉をかけるように努め、
仕事に不満を持たず黙々と働き、余暇は童心に帰って思い切り遊ぶ。
ただし、どんなときもいまここの自分の命(自分の生きる姿勢)を見失わないことが大事です。
怒り、愚痴、貪りの心から離れましょう。
なにげない日常の中にも、仏の命は息づいています。
人生のひとときを味わい、一日一日、自分にも人にもまごころをこめて生きること。
それが「この一日の身命を尊ぶべし」ということではないでしょうか。

まずは、静かに深く、息を吐いて・・・吸って・・・いまここの命を感じてみましょう。
それが仏の命に息づくことのスタートです。

自戒の念をこめて。

平成二十四年十一月二十八日              龍寳寺住職合掌

山門伝道板掲載文章