一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

電車の窓の外は

2011年02月14日 | 
昨日はお寺の涅槃会(お釈迦さまのお亡くなりに供養する法要)でした。

法話のなかで紹介した詩です。

琴線に触れたのでシェアしたいと思います。


「電車の窓の外は」高見順


電車の窓の外は

光にみち

喜びにみち

いきいきといきずいている

この世ともうお別れかと思うと

見なれた景色が

急に新鮮に見えてきた

この世が

人間も自然も

幸福にみちみちている

だのに私は死ななければならぬ

だのにこの世は幸せそうだ

それが私の心を悲しませないで

かえって私の悲しみを慰めてくれる

私の胸に感動があふれ

胸が詰まって涙が出そうになる


『死の淵より』


自分の死としっかりと向き合い、

自分の死を受け入れることができたとき、

世界は輝き、真実、生かされていることの喜びを知る。

そして、本当の生き方に眼差しが向けられる。


それが「無常を観ずべし(死を想え)」と説く、仏教のねらいである。



現代詩「エランヴィタール」

2009年05月28日 | 
空はエーゲ海の碧を湛え、
風はエメラルドの新緑に香る。
屈託のない陽光が大地を照らし、
命という命は輝かずにはいられない。

今日もまた両手を広げれば幼き命が飛び込んで来る。
しっかり抱き締めて頬を寄せた。

命のにおい。
命のぬくもり。
命のこどう。

二つの命がひとつの命に包まれる時。
融通無礙、妨げるものは何もない。
南無観世音菩薩。

透明な力が天地一杯に充満し、僕は僕がこの世に出たことの意味を知る。


はるかな昔にした約束をいま思い出した。



2008年07月26日 | 
1.

焼けつく日差し、

クッキリした人影のコントラスト。

ゆら ゆら ゆら ゆら・・・

立ちのぼるのはまたあのありきたりな頽廃の香りなのか。

いや、最近はバタイユの暴力とディオニュソスの狂乱には届きそうで届かない。

むしろ僕は、アポロンの秩序とコルビジュエのイマージュを喚起しよう。

永遠の豊かさが漂う。

死への憧憬より生の充溢を選びとるのだ。

それはつねに裏と表。

コスモスのベターな進化。

力をわれに!

われは生なり。


2.

夏風は思い出したように吹く。

どこから吹くのか。

われわれとは別の所にある泉から湧くのだ。

そう・・・思い出したように・・・。

濡れたシャツを喜ばせ、

蒸れた草草の匂いを運び、

少年の頬と戯れる。

冷えたサイダーの恋。

渚に打ち上げられた白き流木。

そうだ・・・サローヤンを読もう。

五月の病と願いのイマージュ

2008年05月27日 | 
「五月の病いと願いのイマージュ」


やけに空は明るいのに

悲しみのトンネルに入り込んでしまったのはなぜか?

ぬるく、陰惨な虹色を光らせた浅瀬の水が、

くるぶしにヌルヌルとまとわりつく...

もう、そろそろあの“塔”は倒れてしまうだろう・・・

ああ・・・

人々の顔に希望の色は見えない

黒く伸びた影法師がペタペタと寄り添ってくる

どこもかしこも陰険な香りでいっぱいだ

そうした時代に生まれた僕を憎む...

生んだのは誰だ?

憎むのか?

ならば、たたかうのか?

誰と...

何を...

やめろ!

外部を設けるナ

ただ入り込むのだ

わたしに、ひたすら、わたしに、

没入せよ!

入我我入

乳画画乳

柔柔 入 丹生

丹田を笑い飛ばし、奥へ奥へさらに深部へ

弘誓深如海

歴劫不思議

 
  無


着いたよ

  
  無


「私」が生まれた場所

そこからはじめようじゃないか...

命がはじまった場所

外を見回しても、したたり落ちる新緑は助けてはくれない、

慰めてもくれない

むしろ、彼らの息吹の充溢が今の僕には息苦しい...

むせかえるほどの命の輝きに満ち...

しかし一方で、5月は確かに僕の中のミトコンドリアを目覚めさせるのだ

原初の記憶

それは果てしなくせつない

“生”の誕生であった...

ぼくたちはそれ以来、何十億年も・・・

苦しみ、愛し、泣き、嘆き、悲しみ、

憎み、笑い、励まし合い、

それでもやはり愛せずにはいられなかった

どうしようもなく、

すべての解放と合一を求めてきたのだから

もう一度戻りたい

もう一度だけやり直せる

何度でも永遠に...願う。

侍多千億仏

発大清浄願


※自作の現代詩です^^それにしても暗いな(汗


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エマーソン 成功のためのレセピー

2007年06月24日 | 
披露宴の栞に掲載されていました。
新郎の趣向です。

紹介しようと思います。

ラルフ・ワルド・エマーソン(※ウィキペディア)の言葉。


「成功のためのレセピー」


しばしば、そしてたくさん笑うこと

知的な人々に尊敬され、

子ども達に愛されること、

正直な批判をありがたいと思い、

偽りの友人の裏切りに耐えること、

美しいものを味わい、

他者のなかの最善のものを見つけること

健全な子どもを遺したり、

小さな花園を遺したり、

あるいは、社会の条件を僅かながら

改良することで、世界をほんの少しでも

良いものにして去ること

あなたが生きていたことで、

心安まる人が、

たとえひとりでもいたと知ること

これが成功したということなのです。




素朴だけど心に沁みます・・・。

かく生きたいものです。

この言葉は、友人Oくんの記事から転載しました。
ありがとう!


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ゲーテの言葉 3

2007年02月04日 | 
かの一は、永遠に一であろう。
多に分かれても、一。永遠に唯一のもの。
一の中に多を見いだせ。多を一のように感ぜよ。
そうすれば、芸術の初めと終わりが得られる。

『ゲーテ格言集 岩波文庫』

ゲーテの思想や文学は、主にスピノザの汎神論から大きな影響を受けています。
世界の一切処、一切の現象において、唯一永遠の神を見る。
そこに、ある種の、東洋思想との親和性を感じます。


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ゲーテの言葉 2

2006年12月09日 | 
人生は悪しき冗談なり。

『ゲーテ格言集 新潮文庫』(西東詩編「観察の書」から)


言い得て妙・・・

こんなふうに思うことはままある・・・

しゃあない。

その悪い冗談とやらにとことん付き合ってやろうじゃないの。

人生という悪い冗談に。

そしたら冗談の方が音を上げて降参するかもしれない。


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ゲーテの言葉 1

2006年12月08日 | 
神聖な真剣さだけが生活を永遠にする。

『ゲーテ格言集 新潮文庫』


上の言葉に響くものを感じました。

目先の快楽に振り回される生き方は、つねに刹那的で心は充足されることがありません。

全宇宙的に掛け替えのない私の「calling」を自覚し、その道を真剣に歩む(生きる)ということは、永遠の時間に生きるという事につながるのかもしれません。

永遠の時間に生きるとは、

生死を超えるということ。

それはすなわち「神聖」そのもの。

神聖=真剣=生活=永遠。

ベターなコスモスの開花に向かって・・・

それらは一如の運動体。


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甘き憂い ゲーテ

2006年11月26日 | 
 
 甘き憂い

憂いよ、去れ!――ああ、されど、死すべき人間なれば、
生ある限り、憂いは去らず。
避けがたきものとあらば、来たれ、愛の憂いよ、
他の憂いを追いて、なんじひとりわが胸を領せよ!

『ゲーテ詩集 新潮文庫』


凡夫のみならず、この娑婆世界(人間界)にいる限りは、たとえ菩薩であっても心の憂いが晴れることはない・・・。

一切衆生を救い尽くすまで菩薩は憂いを抱いてやまないのだから。

それを「大悲」と言う。

「他の憂いを追いて、なんじひとりわが胸を領せよ!」

ゲーテが言う愛の憂いとは、世俗的な色恋の憂いを含んで包摂した、人と人が交わることの根源にある憂いに違いない。

それは、この上なく甘き憂い。

胸に満たされる愛の憂い。

だが、詩人と違うのは、菩薩はいつまでも甘い感傷には浸っていないのだ、きっと。

<追記>
良寛さんの憂いについて書いた過去記事があったので張っておきます。
「君看よや双眼の色 語らざれば憂いなきに似たり」


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地獄の季節 ランボオ

2006年11月22日 | 
また見つかった、
何が、永遠が、
海と溶け合う太陽が。


独り居の夜も
燃える日も
心に掛けぬお前の祈念を、
永遠の俺の心よ、かたく守れ。


人間どもの同意から
月並みな世の楽しみから
お前は、そんなら手を切って、
飛んで行くんだ……。


――もとより希望があるものか
立ち直る筋もあるものか、
学問しても忍耐しても、
いずれ苦痛は必定だ。


明日という日があるものか、
深紅の燠の繻子の肌、
それ、そのあなたの灼熱が、
人の務めというものだ。


また見つかった、
――何が、――永遠が、
海と溶け合う太陽が。


『地獄の季節 ランボオ作 小林秀雄訳 <岩波文庫>』より抜粋


思い切りニヒリストですけど、ランボオって真の無頼派なのかもしれません。

また見つかった、
――何が、――永遠が、
海と溶け合う太陽が。

このフレーズが、かなりクール。

イカレテル、イカシテル。

しかも同じフレーズをサンドイッチしてるとこが憎い。

また見つかったのかよ。

しかも、永遠かよ。

海と溶け合う太陽かよ。

さまぁ~ずの三村風にランボオに突っ込みを入れたくなるのは私だけ・・・?


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