21日に教区研修旅行から帰ってから、その報告をブログ記事にまとめようと思いつつ、日にちばかりが過ぎてしまった。
三日ぶりの更新である。
さて、今回の旅行の大きな目的の一つ、箱根大平台林泉寺にある内山愚童師の墓への参拝。
恥ずかしながら、師の思索と実践については、まだ詳しく学んでいないので、個人的に批評することすらできない。
なかなか記事が更新できなかったのは、そんな理由もある。
だが、じっくりと学んでからでは更新が先延ばしになってしまう。
とにかくも、内山師について読者に紹介し、今の時点での、素朴な感想、及びアナキズムに対する私見を述べてみたいと思う。
内山愚童師とはいかなる人物か。
1874~1911
(明治7~44)明治時代の禅僧(曹洞宗)。
新潟県出身。幼名慶吉。小千谷小学校卒業後、20歳で上京、井上円了家の家庭教師となり、24歳で出家。1904(明治37)神奈川県足柄郡温泉村林泉寺住職となったが、このころから社会主義の研究を始め、禅堂の共同生活を社会に適応させてみたいと思い、幸徳秋水、堺利彦、石川三四郎らと交際を始める。林泉寺に幸徳らが訪れ、そこで秘密出版も行い、また村の青年たちの教育にも当たる。アナーキズムへの関心を深め、’08赤旗事件を契機にアナキストとなる。’09出版法、爆発物取締規則法違反により入獄。’10大逆事件に連座して死刑となった。仏教とアナーキズムを結合させた思想と行動は、日本近代仏教史上特異な存在として光っている。
以上、引用『コンサイス日本人名事典』
まず端的に言って、内山師はその思想と行動において、アナキズムと仏教の融合をはかったと言えよう。
アナキズムとは無政府主義のこと。
この思想の根幹には、性善説に立脚した全面的な「人間信頼」がある。つまり、抑圧的機構としての、国家、政府、法律を廃止してこそ、真に自由な主体性を確立できるということである。
アナキズムが実現した社会では、一切の権威性は認められない。抑圧から自由になった人間は、真の自己実現がはかれると考える。
アナキストの代表的人物は、海外ではフランスのプルードン、ロシアのバクーニン、クロポトキンらが挙げられる。日本では、幸徳秋水、石川三四郎、大杉栄らが挙げられるであろう。
実は、数年前のこと、内山師の存在を知る以前に、アナキズムについて興味を持って少し学んだことがあった。
誤解を恐れずに言えば、私もまたアナキズムの実現した社会に「仏国土」の顕現を夢見た。
究極、アナキズムが円満に機能することができれば、この世は仏国土になりえるのだ。
ただし、あくまでも、「円満に機能することができれば」という条件付である。
残念なことに、ここにアナキズムの、現実感の乏しさが露呈されざるを得ないのだ。もしかりに、一部のアナキストの煽動家の力を得て、革命をなしえることができても、それがすなわちアナキズム革命の成功にはつながらないのである。私たち人間個々が「エゴ」という病を超克しなければ、革命後の新たな社会に必ずや表面的な姿を替えた、別の権威を構築してしまうだろう。その権威が「全体の福利のため」という、美しい仮面をかぶっていれば余計に、隠蔽された権威は民衆への抑圧を強固なものにする。
アナキズムはこの上なく美しい世界像を提示しているものの、人間の本性についてあまりに楽観主義的であり、現実把握に乏しいように感じられてならない。マナ識、アーラヤ識によって染汚された、エゴイズムが跋扈する近・現代の人類の精神レベルでは、無政府社会の実現は夢物語にすぎないのである。
私とて、煩悩によって染汚されたマナ識のせいで、頭ではアナキズムが実現する平等で、自由な社会の素晴らしさをイメージしつつも、一方で、そんな社会は無味乾燥で退屈極まりないんではないか、自己が大衆に埋没して匿名化されてしまうんではないかといった念を抱いてしまうのだ。
また、そうした人間のエゴから派生するさまざまな問題は、例えば、アナキズム的発想に基づく共同体「ヤマギシズム」の悪しき風評からも、顕在化していることが推察される。
では、無政府の実現が当面不可能であるならば、国家レベルでの現実的な落としどころはどこにあるのか。
それは、短期的にエゴの欲求を充足するような形で目先の問題に対処することではなく、30年、50年、100年先の中長期的な、自国を含めた全人類のベターなビジョンを明確に示し、そこから現在なし得る施策を国家主導で実行していくことにあるのではないだろうか。
こうした手法を「バック・キャスト」と呼ぶ。
「福祉国家」から「緑の福祉国家」へ変貌を遂げつつあるスウェーデンが、採っている政治手法であるということだ。(参照『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』著:小澤徳太郎、朝日選書)
少し逸れるが、アナキズムと言うと、ひとつには、おそらく一般に物騒で暴力的なイメージでもって捉えられやすいのではないか(実際には非暴力運動に転化する可能性を秘めているにもかかわらず)。
さらには、マルクス主義革命の失敗とともに、アナキズムもまた葬り去られた過去の思想であるとの誤解があるのではなかろうか。
だが、実はスウェーデンのように、生態系全体の持続を視野に入れた、エコロジー的発想もまた、アナキズムとの関連性を指摘することができるのだ。
ほかにも例えば、自然環境保護・再生資源の活用、巨大開発・機械生産の否定、生態系と調和する農業―工業関連の創出、過剰消費と規格化された生活の拒否、教育・医療・交通・コミュニケーションでの自律性の奪回、等々。その問題意識は、現代の市民運動にも連綿とつながっていると言えよう。
時代を超えてアナキズムの目指したベクトルは、今後もさまざまな様相を伴って先鋭的に世界を牽引していくだろう。ここにわれわれ人類が生き残り、後世へよりよい物を遺して行く鍵がある。
したがって、アナキズムは死んでいない。
アナキズムは、人間性への全面的な信頼に基づいた、徹底した相互扶助の精神に基づく。
この方向性自体は、大乗仏教的観点から言っても実にまっとうで正しいものである。
そういう意味では、内山師の思索と行動は、私には誠に仏教的なものに映る。師は自身の信仰を観念的世界に閉じ込めず、現実世界に実現しようとした、真の仏教者ではなかったか。
にもかかわらず、時の宗門は彼を抹殺する政府の方針に追随し、加担した。
徳富蘆花が嘆息したように、宗門人の誰一人として彼を擁護せんとするものはいなかったのだ・・・。せめて、誰か一人でも、「どうか、(彼に)ご慈悲を」の声を発することはできなかったのだろうか。
思想内容の是非はともかく、せめてもの、それが仏教者としてのあり方ではなかろうか。
内山師の無念を思うとやり切れなくなる。
同時に、当時、私が宗門人として生きていたらどうであったか。官憲に怯むことなく、「どうか、ご慈悲を」の声を発し、内山師を擁護する側に立てただろうか・・・。自問されてならない。
写真は内山師の墓。
処刑されてからずっと手前の石ころが、墓石の変わりに安置されていた。
奥の名前が入った墓石は昭和50年代に有志によって作られたものということ。
なお内山師の剥奪された僧籍と長らく失われた名誉は、近年曹洞宗によって復帰、顕彰されている。
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