一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

私はなぜ「中国」を捨てたのか

2010年12月25日 | 
現在、中国批判、保守派の論客として知られる石平氏が、なぜ中国国籍を捨て日本人となるに至ったのか・・・。

毛沢東を崇拝していた少年時代。
民主化運動に傾倒し、天安門の敗北と挫折を味わった青年時代。
夢破れ、虚偽と欺瞞で塗り固められた政府に絶望し、抜け殻のような生活を送る日々。

そして日本留学時代。

次第に氏は日本の中に、中国人が理想としながら実現できなかった桃源郷を見出し、祖国を捨て日本人となることを決意するにいたる。
果たして彼は裏切り者だろうか・・・。
否、祖国を愛しているがゆえに、どうしても現状の中国を許すことができなかったのではなかろうか。
中国人のままでいれば、中国政府を批判できなくなる。だから祖国を捨てざるを得なかったのである。

彼こそ、真の愛国者ではなかろうか。

私には行間から氏の慟哭の声が聞こえた。
祖国を愛するがゆえに祖国を捨てるとは、どれほどの悲しみだろう。

日本文化に対する洞察も深く、改めて日本の素晴らしさに気付かされた。しかし、氏が感動してやまない、日本人の精神性も今や崩壊寸前である。
私たちはこれまで先祖たちが築き上げてきた日本の精神的遺産を食い潰してきてしまった。

しかし、われわれの根っこには先祖の遺徳がしっかりと残っている。これから、その根に水や肥料を与えて育てていかなければならないだろう。すなわちそれは「教育」にほかならない。

満点

もういくつ寝ると・・・

2010年12月05日 | 台湾
お正月・・・ではなく、待ちに待った台湾行きです。

実に1年数ヶ月ぶり。

これ以上行かなければ禁断症状が出るところでした(台湾中毒症という病気にかかってまして)。

あちらではカミさんの親族と食事会

まあ、結婚式の代わりにという感じです。


台湾のどこが好きなんだろう、って一言では言えない。

屋台料理、夜市、街の雰囲気、フレンドリーで親切な台湾の人々、ゆるさと激しさの融合、昭和を感じるノスタルジーなどなど。

韓国が日本に似て非なる国と感じるのに対し、台湾は日本に似て共感を覚える国とでも言えましょうか。

台湾人のカミさんと結婚してますます台湾が身近になった気がします。


最近は怒涛のように多忙でした

11月末は教区のお寺の晋山式。
2日は3年に一度の県による幼稚園書類監査とお通夜。
3日葬儀。
昨日土曜日は幼稚園の生活発表会、最後の方に抜け出して法事2軒。
今日も法事4軒。

明日はちょっとだけボーっとしようと思います

驚異の仏教ボランティア―台湾の社会参画仏教「慈済会」

2010年12月02日 | 


台湾の仏教界において、いや台湾社会全体において、特異な存在感と、圧倒的な影響力を持つボランティア団体、「慈済会」の活動について紹介されている。

慈悲喜捨、菩薩行の実践という仏教精神に根ざしつつも、一宗教という枠組みを超えて、世界中ダイナミックに展開されるボランティア救済活動。
證厳法師というカリスマ的仏教指導者を中心としながらも、驚くことに会員は必ずしも仏教徒である必要はないという。
なんと慈済会の在家幹部であっても、個人の信仰する宗教はキリスト教でもイスラム教でも問題ないのだ。
それは慈済会が他者救済の一点にこそ、普遍的な真理を見ているからにほかならない。

現在、慈済会の会員は400万人と言われているが、それが本当なら台湾人のまさに約6人に1人が会員ということになる。もともと宗教に対して尊崇の念を抱いている台湾の人々に、その活動はまさに燎原の火のごとく広がっているようだ。台湾政府でさえ、その貢献に一目も二目もおいているという、いや、それどころか慈済の福祉活動の予算は政府のそれを遥かに凌いでいるとのこと。
また、こうした慈済の活動は、物質的な面に限らず、台湾人の精神面、倫理規範にも大きな影響力を及ぼしているように感じられてならない。会員の真摯な菩薩行は、非会員の一般人にも確実に慈悲の種を植える。その結果、慈済活動の展開において台湾人全体の倫理の底上げがなされているのではないだろうか。

慈済では、教えとしての仏教ですら、他者救済、理想的世界のための方便(ツール)に過ぎないのかもしれない。極論すれば慈済において「宗教」という枠組はなんでもいいのだ。「他者を自分のごとくに愛し救う」、そこに人間世界の普遍的な価値、究極の真理を見すえている。そういう意味で、きわめてプラグマティックであると同時に、宗教を超えた地球スケールの可能性を秘めているといっても過言ではないのだ。

しかし、やはり一方でその活動に法華経の精神が浸透しているのも事実だ。
一人ひとりが「地湧の菩薩」という自覚に基づき、本気で仏国土を作らんとしている団体、それが慈済である。

それは、ひとつの宗教的な奇跡と言ってもいいだろう。