一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

五月の病と願いのイマージュ

2008年05月27日 | 
「五月の病いと願いのイマージュ」


やけに空は明るいのに

悲しみのトンネルに入り込んでしまったのはなぜか?

ぬるく、陰惨な虹色を光らせた浅瀬の水が、

くるぶしにヌルヌルとまとわりつく...

もう、そろそろあの“塔”は倒れてしまうだろう・・・

ああ・・・

人々の顔に希望の色は見えない

黒く伸びた影法師がペタペタと寄り添ってくる

どこもかしこも陰険な香りでいっぱいだ

そうした時代に生まれた僕を憎む...

生んだのは誰だ?

憎むのか?

ならば、たたかうのか?

誰と...

何を...

やめろ!

外部を設けるナ

ただ入り込むのだ

わたしに、ひたすら、わたしに、

没入せよ!

入我我入

乳画画乳

柔柔 入 丹生

丹田を笑い飛ばし、奥へ奥へさらに深部へ

弘誓深如海

歴劫不思議

 
  無


着いたよ

  
  無


「私」が生まれた場所

そこからはじめようじゃないか...

命がはじまった場所

外を見回しても、したたり落ちる新緑は助けてはくれない、

慰めてもくれない

むしろ、彼らの息吹の充溢が今の僕には息苦しい...

むせかえるほどの命の輝きに満ち...

しかし一方で、5月は確かに僕の中のミトコンドリアを目覚めさせるのだ

原初の記憶

それは果てしなくせつない

“生”の誕生であった...

ぼくたちはそれ以来、何十億年も・・・

苦しみ、愛し、泣き、嘆き、悲しみ、

憎み、笑い、励まし合い、

それでもやはり愛せずにはいられなかった

どうしようもなく、

すべての解放と合一を求めてきたのだから

もう一度戻りたい

もう一度だけやり直せる

何度でも永遠に...願う。

侍多千億仏

発大清浄願


※自作の現代詩です^^それにしても暗いな(汗


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災害救援托鉢

2008年05月25日 | 思い・お寺の活動
昨日の午後は教区有志が集まり、大○駅周辺でミャンマーサイクロン、四川大地震の救援托鉢を行いました。

浄財の集計はまだ出ていませんが、今回有志が10人も集まったので数万円にはなったかと思います。

地元なのでちょっとドキドキしましたが、思ったよりも知り合いに会わなかったのでかえって拍子抜けしました・・・。残念

法衣を着て大きな声で読経をしていると怪訝な顔で通り過ぎる人や無関心を装う人もいます。

浄財を入れてくださるのは、通り過ぎる人の200人に1人といったところでしょうか・・・。

坊さんパワーもこんなものかと思うとさびしい限りです・・・。

お寺では守られている僧侶も、一歩街に出ると世間のリアルな対応に直面することになる。

こちらが思っているほど甘くはないな・・・と托鉢をするたびに思い知らされます。

いろんな理由が考えられますが、そのひとつとして、人々にとって僧侶が身近な存在ではなくなってしまったことに原因があるような気がします。

法事と葬儀の時にしか僧侶と接する機会を持たない人が増えている。

考えてみれば、自分とあまり接点のない人に対してよそよそしくなるのは仕方のないことです。
また、僧侶がいつしか托鉢をしなくなったために、人々にとって法衣姿が異形の者として映るようになってしまったのでしょう。

托鉢が習慣化していけば、街の人々も次第に心を開いてくれるかもしれません。
これからも地道に継続していくことが大事だと思いました。

ともあれ托鉢をしていると、いろんな世代のいろんなタイプの方が浄財を入れてくださるのがとても興味深いです。

信仰の篤そうな年配の方はもとより、近所の栄○学園の学生たちや、パツキンのイマドキの兄ちゃん、小さい子供をつれた親子連れなどなど・・・。
えっ!と思うような方が寄付してくださると、見た目で判断してしまった自分が恥ずかしくなります。。。

特に小さな子どもを連れた若い親御さんはとても多いような気がします。

逆に一番少なかったのは団塊の世代と呼ばれている年代の人たち・・・。

モンスターペアレントなんてことが言われてますが、まだまだ日本も捨てたもんじゃない!これからよくなる可能性だってあるんだ!と心強く思いました。

<追記>

今回の托鉢で、長らくブログで交流させていただいている風月さんとやっとお会いすることが叶いました。
想像通り、素敵な庵主様でいらっしゃいました。
仏縁に深く感謝致します。

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「聖徳太子『十七条憲法』を読む―日本の理想」 岡野守也 大法輪閣

2008年05月25日 | 
この国の形(型)を作った人、聖徳太子。

太子は、仏教、儒教、神道を融合した世界観(コスモロジー)を構築し、真に国民の幸せになるような、ひいては生きとし生けるものすべてが平和に暮らせるような国造りを目指した。

その高邁な理想とひたむきな信念は、数百年経った今でもまったく色褪せていない、それどころか混迷した現代日本に光明をもたらす可能性さえ秘めている。

宗教を超えた宗教である仏教。
太子はその理想形である智慧と慈悲を備えた菩薩的リーダー(菩薩天子)による政治によって、日本を「和」の国にすることを目指した。

果たして、現代にその理念を生かせないだろうか?

仏教という言葉に違和感があれば、神や天地自然と言い換えてもいい・・・。

とにかく、人間の凡夫性をしっかりと自覚し、あらゆる宗教やスピリチュアリティに通底する「大いなる何者か」と私、そして全宇宙のすべての存在が、ひとつながりにつながって根源的に一体であることに目覚めていることが、菩薩的リーダーの条件といえよう。

いや、しかしそれは現実的ではないかもしれない。
いきなりそこまでいく必要はないのだ。

少なくとも一定程度、世界との一体性に気づいた政治家が現れれば、日本と世界は息を吹き返し始めるに違いないのだから。

本書を読めば、近年行われている聖徳太子の実在に関する論議がまったく浅はかで意味のないものに思えてくるだろう。

端的に言えば、肝心なのは、いたか、いないかではない。
重要なのは、太子の著述(とされるもの)が、極めて深い仏教理解(宗教体験もあったと思われる)と、鋭い人間洞察に基づいて書かれた、比類なく高い国家理念であるということである。

戦後教育によって矮小化され、ほとんど無視された聖徳太子が本書によって蘇った。

政治家はじめ、すべての日本人に読んでほしい書。

私たち日本人の祖先には、こんなにも素晴らしい天子がいたのだ・・・。




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「台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸をはりなさい」 蔡 焜燦 小学館

2008年05月10日 | 
そもそも私が台湾に関心を抱くきっかけとなった本。
本書を読んで以来、あれよあれよという間に台湾のさまざまな事象にどっぷりとはまってしまった。
いわば私にとっては記念碑的な書といえる。
戦後の自虐史観、日本人としての誇りを見失った精神状況に一石を投じる良書である。

戦後の中華民国統治による反日的教育にもかかわらず、台湾人の多くが親日感情を抱いている理由はなぜか?
中国人や韓国人とは明らかに異なる日本及び日本人への感情。
台湾において「日本精神」という言葉が表す意味が情感を込めて述べられている。
日本精神の素晴らしさに気づかされると同時に、台湾人の持つ心の温かさ、親切心に感動し胸が打たれた。

私たち日本人はどのように生きるべきか・・・台湾を通して日本が見えてくる。

これほど近くによき友がいるという事実に、われわれは眼を開かなければならない。

星5つ


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「われわれはどこへ行くのか?」松井孝典著 ちくまプリマー新書

2008年05月07日 | 

現生人類が狩猟採集から農耕牧畜に移行した時に、それまで「生物圏」にいた人間が「人間圏」を作って生活するようになった、という指摘が興味深い。
 
 また産業革命(日本においては明治維新)を境に、人類のシステムは、フロー依存型人間圏から、ストック依存型人間圏に変わったとしている。
 端的に言えば、エネルギー循環型社会からエネルギー消費型社会へと変化したと言えよう。
 著者は、今われわれが一年生きるために動かすモノやエネルギーの移動速度は、地球の営みとしてのモノやエネルギーの移動速度の10万年分に相当し、このままの状態が続けば、人間圏は今世紀半ばに破綻すると警告する。
 そして、それを回避する方策として「レンタルの思想」を提言している。
 
 当代一流の科学者が、壮大な宇宙の歴史から、人間とは何か、われわれがどこへ向かおうとしているのかを平易に説いているのが素晴らしい。
 ただ、残念なのは著者が科学者であるからだろうが、「納得する」というあり方を軽視していることである。
 確かに「わかる」と「納得する」は峻別されねばならないが、自然科学の成果によって「わかった」事実から、多くの人々が「納得」できるような世界観(コスモロジー)を構築することこそ、持続可能な世界につながる鍵となるのではなかろうか。
 実は、著者の掲げる方策「レンタルの思想」も、「わかった」事実から導き出されたひとつの世界観の提示なのだから。
 現代は、自然科学者と人文科学者がそれぞれの領域に固執する時代ではない。
互いの違いを認識しつつも、自然科学の成果から、どのような意味(世界観)を汲み取ることが可能か(人文科学)を模索していくべき時に来ているのだ。


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小学校に行こう!&近況

2008年05月06日 | 思い・子どもたち
4月から近所の小学校の学校評議員という役をいただいています。

2日はその初仕事ということで小学校に行って来ました。

はじめに一時間ほど各学年を回って授業参観。

その後、校長、教頭、評議員たちの顔合わせと、意見交換がなされました。

小学校の生徒の約三分の一はうちの卒園生。

授業中にもかかわらず、私を見るなりびっくりした様子で、手を振ったり、名前を呼んでくれる子どもたち。

嬉しいやら、恥ずかしいやら、ばつが悪いやら・・・

そんな私に、案内してくださった教頭先生は、「RYO先生(仮)は人気者ですね~どうぞ子どもたちに先生の顔を見せてあげてください!」と言ってくださいました。

どの子も大きく立派になって・・・

月並みですが・・・そんな思いに胸が一杯になりました。。。

授業中に出歩いたり、勝手なことをしている子もいない。

みんなキラキラしたいい目をしていました。

ひとまず、ホッと一安心。

この調子この調子!いいぞいいぞ~と心の中でつぶやきながら。

今回、授業を観てるだけでしたが子どもたちの感性の豊かさやパワーがびんびん伝わってきました。

幼稚園児もいいけど小学生も最高~!

やっぱ、子どもはいいな・・・

今回改めて気付かされました^^

子どもには未来があり無限の可能性がある。

その可能性を生かすも殺すも大人たちの接し方にかかっています。

学校評議員という役は、おそらくそれほど期待されてはいないでしょうが、煙たがられない程度に積極的に取り組んでいこうと思います。

小学校って素晴らしい!

小学校に行こう!


さて、近況です。

1日は、姉と姉の友達2人と、横浜中華街の「菜香」という広東料理のお店で食事。

全体的にバランスよい上品な味わい。

悪く言えば無難にまとまってるかな・・・でも美味しかった。

3日4日の連休は今のところ法事や葬儀で遊んでいません。。。

明日は友達と秩父に行く予定です♪明日天気にな~れ

あさっては、後輩の坊さんの結婚披露宴みなとみらいのホテルにて(先越された?でも、そんなの関係ねぇ~ってすでに古い?

食いすぎ飲みすぎに注意しなきゃ~

ざっとこんな感じです^^


※この日記は、おととい4日の日記です


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