一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

人によって評価はまちまち・・・

2009年02月07日 | Weblog
最近、映画『禅ZEN』の感想をいろんな方から聞くんですが、おおむね好評なものの、なかには失望したという方もいて、人によっていろんな受け止め方があるものだと思った次第です。

マイナス評価の理由は、ひとつには史実と異なる点があるということ。
特に道元禅師の遷化のシーンは、アレですよね。
おりんさんの存在も創作だし・・・

でも、私はあまり史実にこだわるよりも、歴史からいかに現代人に訴える物語を紡ぎ出すかという方が大事だと思うんですが・・・。
特にこうした映画の場合には、史実をなぞっただけでは平版なものになってしまうでしょう。
そういう意味で今回の映画のフィクション性は許される範囲だと思いますし、むしろ現代人へのメッセージとしてはとても効果的だったと思います。

また、映画から、禅の修行の厳しさ、道元禅師の厳しさが伝わってこなかったという意見も聞かれました。
ん~確かに勘太郎さんの演じた道元禅師は、ソフトで人間味がある雰囲気でしたよね・・・。凛とはしていましたが。
それでも、私は道元禅師をこの人以上に演じられる人はいないと思いました。

映画ひとつとっても、人によっていろんな観方があって面白いですね。

まだしばらくは、禅ZENの話題で楽しめそうです♪

イエスとは誰か

2009年02月04日 | 
『イエスとは誰か』
日本放送出版協会
高尾 利数

唯一絶対のメシア、「キリスト」という枠を外したときに現れる、真実の愛の人イエス。
本書はマルコ福音書を元にイエスその人に新たな命を吹き込む試みである。

彼の弟子たち及び後世のキリスト者は、イエスの意に反して、イエスをメシア・キリスト、復活を遂げた神の子へと祀り上げてしまう・・・。
そして端的に言えば、キリストを信じる者だけが救われる、信じない者は救われないと言う、イエスがもっとも批判した教条主義的宗教へと変質させてしまう・・・。
私はキリスト教という宗教を否定しないが、神の子「キリスト」という枠を外したときに現れる、生前の生き生きとした「イエス」にこそ、現代を生き抜く鍵があるよう思われてならない。

本書はキリスト教という信仰に充足している人には必要ないかもしれない。いや、むしろ毒になるだろう・・・。
さまざまな理由でキリスト教に挫折した方、イエスがどうにもよく分からないという方には、強く勧めたい良書である。
イエスが史上稀有な「愛の人」であったことに魂の震えを覚えてならない。

嬉しい驚き・・・

2009年02月03日 | 思い・日常
道元禅師のご生涯を描いた映画『禅ZEN』のチケットを各方面に配ったところ、映画を観終わった方から続々と感動の報告が寄せられてきています(感想は結構です…と言ったにもかかわらず…)。

「正直こんなに感動するとは思わなかった・・・」との声もあり。

これまでまったく仏教に関心がなかったような若い方も、心に響いて思わず泣いてしまったという感想まで頂きました。

嬉しいです・・・本当に、有難い。
まさか、こんなに反響があるとは・・・。

この映画を作ろうと発心された宗門関係者の方々には、この場で心より感謝いたしたいと思います。

あとは、自分がどう生きるか・・・だけど。

いま・ここの自分に真剣になろう。

映画『禅ZEN』鑑賞&中華街ディナー

2009年02月01日 | 映画
今日は珍しく法事もなかったので、午前中は読書をして過ごす。
高尾利数『イエスとは誰か』を読了。
久しぶりにガツンとくる宗教書だった。

午後は、遅ればせながら映画『禅ZEN』を観に横浜ムービルへ。

内容は、一言、素晴らしかった・・・
よくぞここまで作ったと感服せずにはいられない。
清冽な道元禅師の生涯が見事なまでに描かれていたと言っていいと思う。
正直、観る前はあまり期待していなかった。
私たち関係者側(曹洞宗の坊さん側)からみたら、道元禅師に対する思い入れが強い分、いちいち違和感を感じたり、納得できなかったりするんではないかという懸念があったのだ。
あたかも三国志ファンがレッドクリフを酷評するかのように・・・。

それがどうだ・・・。
映画が始まってしばらくしたら涙があふれて止まらない・・・。
そこに・・・私のすぐ目の前に、道元禅師が生き生きと動き、笑い、泣き、叱咤し、説法し、只管打坐しているのだ。
すべては、中村勘太郎。
彼の素晴らしい演技に尽きる・・・。
この人にしか道元禅師は演じられないだろう。
本当にすごい役者である。
若さゆえの軽やかさはあるものの、道元禅師の発する清冽な気を見事に体現していた。
また、彼の演技によって道元禅師の慈悲深い一面を再発見したような気にすらなった。
彼の演じる道元禅師からは、清らかでどこかはかなげで、だが強靭な精神に裏付けられた慈悲深さが感じられた。

また、作品の半分近くを占める宋国(中国)での修行時代の場面でも、全ての台詞を中国語で通していたのにはただ脱帽。
ネイティブのような発音とはいかないまでも、そうとう努力をした跡が感じられた(この映画を観た台湾朋友も言っていたから確かだろう)。
プロの役者、しかも一流の役者というやつは、やることが半端じゃない。

ほかの出演者は、内田有紀はなかなか好演していたかな。
あと、老典座を演じたベテラン役者(名前忘れた)はいい味出してたし、道元禅師を慕って中国からきた寂円禅師役の俳優テイ某氏、北条時頼役の藤原竜也くん(それにしても彼って狂気の役が多くない?)も頑張っていたと思うのだが・・・。
ダメだしをすれば、個人的に、道元禅師の次に思い入れのある二祖懐弉禅師役の村上敦とかいうモデル上がりの俳優さんの演技が痛かった・・・。
滑舌が悪すぎ、演技も微妙・・・。
彼だけがミスキャストだと思う。
あと俊了さんとかいう、架空の坊さんも演技がイマイチかな・・・。
我愛你の発音が痛かった(泣
短いんだから完璧にせえや!

風景描写も雄大かつ神秘的で高橋伴明監督の力量を随所に感じることができた。間違いなく、日本を代表する仏教映画となったであろう。
この監督のほかの作品も観たくなった。

ただどうしても…やはり在家の方(一般の方)にとって、禅語は難解だし専門用語も多い、また道元禅師の生涯をまったく知らない人にとっては、エピソードの一つ一つがチンプンカンプンだったかもしれない。
映画の時間の制約上、これは仕方のないことなのだが、あとは書籍なりで理解を補っていただくしかない。
それでも、禅の精神を少しでも分かりやすく伝えようという工夫が、台詞の随所にあり、「禅」を少しでも「感じて」もらえたらと思う。

映画を観ている最中は完全に勘太郎道元に感情移入してしまってずっと泣き通し・・・ってどこまで泣くんじゃい!
つくづく一人で行ってよかったと思う^^;

なんであそこまで泣いたのだろう・・・
道元禅師への思いが溢れてしまったのはもとより、わが身の不甲斐なさ、道元禅師を多くの人に知ってもらえることの嬉しさ、勘太郎さん、監督、製作に携わったすべての人たちへの感謝、自分が曹洞宗侶であることの喜び・・・そうしたいろんな気持ちがない交ぜになったから。

そして観終わって最後に思ったのは、

もっと坐ろう、ということ。

映画が終わり目を腫らして、次に向かったのは、横浜中華街。

今日はマイミクのカズーノフさんの幹事でカラオケオフ、引き続き中華街でフカひれディナーということで、私だけディナーからの途中参加。ボリュームもあったし美味しかった~
しかも飲み放題であの値段は安いでしょう♪
ほぼ一人で紹興酒飲みまくり^^ をい
みんなとは、おもに中カラネタで盛り上がった^^
あ、恋バナは出なかったな下ネタも^^爆
途中参加なのに温かく接してくれたみんなに謝謝。
今度は勇気を出してカラオケにも参戦しよっ!


以上はmixiの日記に載せた文章を抜粋したものです。