一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

一語一会(29)

2012年04月14日 | 一語一会

「学ぶために地球に送られてきた私たちが、学びのテストに合格したとき、卒業が許される。未来の蝶を包んでいるさなぎのように、たましいを閉じこめている肉体を脱ぎ捨てることがゆるされ、ときがくると、わたしたちはたましいを解き放つ。そうなったら、痛みも、恐れも、心配もなくなり・・・美しい蝶のように自由に飛翔して、大いなる者の家に帰っていく」

(精神科医エリザベス・キューブラー・ロス


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私たちがメインだと思っている、こっち側の世界は、

さなぎが見ている夢のようなもので、

実は、本当の命は死んでから始まるのかもしれない・・・。


さなぎをやめた蝶は、あらゆる苦しみから解放されて、

大いなる者の家へ帰っていくのだ・・・


しかし、立派な蝶となって羽ばたくには、

さなぎのうちにしっかりと準備をしておかなければならない。


それは、学ぶということ。


私たちが、この世で学ぶべきことはなんだろうか。

その答えは、おのおのが出さなければならない。



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一語一会(28)

2012年04月13日 | 一語一会


任に当たって他に譲りがたし (曹洞宗門でよく用いられる慣用句)


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どんな仕事、どんな役割であっても、それはすべて自分の修行になる。


つまらない仕事だからといって、腐っていてはもったいない。


有難く引き受けて、主体的に行じていこう。



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一語一会(27)

2012年04月12日 | 一語一会

人間の魅力は、自分自身を解放すればするほど深まってくる。

(須藤元気)


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職業柄、立場柄「かくあるべし」という自分を構築しがちである。

そうすると、とたんに息苦しくなる。

緊張して肩がこる。

結局、無理して作ったキャラクターは自分を縛ってしまう。


自分を解放すれば、ありのままの自分でいくしかない。

飾りのない、素っ裸の自分。

裸で勝負している人は美しい・・・。

人間、本来無一物。


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坐禅会

2012年04月11日 | 思い・お寺の活動

先日7日(土)の坐禅会では、16人の方がいらっしゃいました。

参加者最多記録。

一時期、10人以下まで落ち込みましたが、ここ1~2年でまた増えてきたところです。

継続は力なり。

坐禅会では、恐れ多くも『正法眼蔵 弁道話巻』をゆっくり読んでまいりましたが、

そろそろ終わりも近づいて来ました。

約2年越しの講読です。

さて、次は何を読もう。

恐れずに『現成公案』行きますか。

怖い者知らずは若いうちにしかできませんから^^

何より自分の勉強にもなります。

一語一会(26)

2012年04月11日 | 一語一会

人は孤独のうちに生れて来る。

恐らくは孤独のうちに死ぬだろう。

僕等が意識していると否とに拘らず、人間は常に孤独である。

それは人間の弱さでもなんでもない。

謂わば生きることの本質的な地盤である。


(『愛の試み』福永武彦)


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人が生きるということは本質的に孤独である。

それは揺るがせない真実である。

そこから眼をそらしていては、

薄っぺらな人生で終わってしまう。


自分の孤独をしっかり見据える。

すると相手の孤独も共感できるようになる。


しかし、私たちは孤独ではあるが分離してはいない。


作者の思想とは異なるかもしれないが、

愛の試みとは、

孤独の先にある、

自他一体の宇宙を思い出そうとする試みなのではないだろうか。

原初の渾然一体となった安らぎの・・・それを思い出したいのだ。



そこは、かつて、私たちが暮らしていた場所。



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一語一会(25)

2012年04月10日 | 一語一会

王子さまとキツネの会話より

キツネ:「きみはまだ、ぼくにとってはほかの十万の男の子となにも変わらない男の子だ。だからぼくは、べつにきみがいなくてもかまわない。きみも、べつにぼくがいなくてもいい。きみにとってもぼくは十万のキツネとなんの変わりもない。でも、もしきみがぼくをなつかせたら、ぼくらは互いに、なくてはならない存在になる、きみはぼくにとって、世界でひとりだけの人になる。ぼくもきみにとって、世界で一匹だけのキツネになる・・・」

<中略>

キツネ:「もしきみがぼくをなつかせてくれたら、ぼくの暮らしは急に陽が差したようになる。ぼくはほかの誰ともちがう君の足音が、わかるようになる。ほかの足音なら、ぼくは地面にもぐってかくれる。でもきみの足音は音楽みたいに、ぼくを巣の外にいざなうんだ。それに、ほら!むこうに麦畑が見えるだろう?ぼくはパンを食べない。だから小麦にはなんの用もない。麦畑を見ても、心に浮かぶものもない。それはさびしいことだ。でもきみは、金色の髪をしている。そのきみがぼくをなつかせてくれたら、すてきだろうなあ!金色に輝く小麦を見ただけで、ぼくはきみを思い出すようになる。麦畑をわたっていく風の音まで、好きになる・・・・・」

(『星の王子さま』サンテグジュペリ)


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人が人を好きになる。

それまでなんでもなかったただの人が、

出会い、話し、触れ合うなかで、

かけがえのない特別な人になる。

そうして人が人を好きになると、


世界は美しく輝きはじめる・・・


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一語一会(24)

2012年04月09日 | 一語一会
『桜の木になろう』(歌:AKB48、作詞:秋元康)一部抜粋

春色の空の下を 君は一人で歩き始めるんだ

いつか見た夢のように 描いてきた長い道

制服と過ぎた日々も 今日の思い出にしまい込んで

新しく生まれ変わる その背中を見守っている

不安そうに振り向く 君が無理に微笑んだとき

頬に落ちた涙は 大人になるためのピリオド

永遠の桜の木になろう そう僕はここから動かないよ

もし君が心の道に迷っても 愛の場所が分かるように
立っている


※桜の木になろう動画

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釈尊は人生の八つの苦しみのひとつに「愛別離苦」を説いている。

愛する者と別れる苦しみ。

愛する人はいつか一人で旅立っていく・・・

しかし、ことに、先立つわが子との別れであったならば、

それは、どれほどの悲しみだろうか・・・

心は引き裂かれ、暗闇の中をさまよう。

出口のない悲しみが影のように離れない。


しかし、この世の別れは永遠の別れではない。

今年も春がやってきて、桜の花が咲いているかぎり、

私たちはいつ、なんどきも、離れることができない。

永遠の桜の木のもとで私たちはつながっている。

永遠に・・・


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一語一会(23)

2012年04月08日 | 一語一会

釈迦といういたずら者が世に出でて 多くの者を迷わするかな (一休宗純)


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迷いは悟りの一歩。


と思うのです。


迷わなかったら楽でしょう。


でも迷うからこそ、人は成長するのではないでしょうか。


お釈迦さまもまた、迷って悩み抜いた方でした。 


お釈迦さまと出会ってしまったら、人は迷わずにはいられません、


悩まずにはいられません。


お釈迦さまとはそういう人です。


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一語一会(22)

2012年04月07日 | 一語一会

――自分に関していいと思うことがまったくなくなっても、たとえどんなに自分が惨めな状態になったとしても、
生きているかぎり『最悪の道』だけは必ず残っています。もうどうしていいかわからない、
私は完全にゆきづまってしまったという人でも、そのゆきづまったままに生きる道がまだ残っているのです。
あなたは今もその道を歩いているのではありませんか。その道だけは生きているかぎり、どんなときも残っています。
それが私たちの救いならざる救いです。「もう駄目だ」と思うときでも、その駄目な道を進んでみることがまだ残っています。
どういうふうにして駄目になるかを確かめてみる道が、まだ残されているのです。
 森田は、いつも残されているその「道」を仕方なく進めと言います。
それが「そのときの事実に素直に服従して生きる」生き方なのです。
実際にその「最悪の道」を進む覚悟ができてくれば、あわてる必要がなくなります。
ただ黙々とその道を進むことだけが大切になってきます。そのために何の理屈がいりますか、
最悪の道を進むのに理屈はいりません。むしろ理屈を捨ててしまわなければ通れないのがその道です。
その道が残っているかぎり、あなたの人生はゆきづまってはいないのです。――(「森田式生活法」より 玉野井幹男)


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久しぶりに文章を読んでガツンとくる衝撃を受けた。

この文章を寄稿した筆者は、若い頃から対人恐怖症に悩み苦しみながら、森田療法を実践し続け、
三十年かけてようやく症状が受け入れられるようになり、解決に向かうようになったという。
(森田療法では症状を「克服する」という捉え方を嫌う)

実体験に基づいているからこそ、言葉にはかり知れない重みと、有無を言わせぬ迫力があるのだ。

最悪の道という道、地獄に生きるという最後の道が残されているとは・・・

その道を歩む覚悟ができれば、もう怖いものはないのかもしれない。


歎異抄のこの言葉が思い浮かんだ。


「地獄は一定すみかぞかし」


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百花繚乱

2012年04月06日 | 思い・四季

いま境内は百花繚乱です。

桜、桃、モクレン、ハクモクレン、コブシ、レンギョウ、雪柳、椿、ミツバツツジ、ミツマタ、ウンナンオウバイ、

サンシュユ、トサミズキ、キブシ、水仙、芝桜、ボケ、ビオラ、ヒマラヤユキノシタ・・・

まさにここは、お浄土、極楽そのもの

写真もできたらアップしていきたいと思います