一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

『ローマ人の物語 全43巻』

2014年09月27日 | 


塩野七生さんの『ローマ人の物語 全43巻』読破!

読み終わるまで一年半くらいかかったかな・・・

もともとマルクス・アウレリウスのことをローマの文化や世界観から俯瞰して見るために読み始めたのだけど、
正直これほど夢中になってしまうとは思わなかった。

ローマ建国から滅亡までの栄枯盛衰はもとより、ローマ人の生き様にスポットを当てており、魅力的な人間像が生き生きと描かれている。
特にキリスト教が広まる前のローマの知的エリートたちの人生観は、ストア哲学がベースになっており、きわめて自制的かつ利他的で、
自己の使命に責任を持ち、冷静沈着に困難を乗り越えていく姿には感嘆を覚えずにはいられない。

また多神教であったローマは、実に寛容的でリベラルな社会でもあった。
奴隷の身分も固定的ではなく、奴隷からローマ市民になる道もあり、また植民地(属州)は搾取の対象ではなく、
ローマとの段階的な同化、共存共栄が基本路線であったのだ。だからこそ、あれだけの版図を長期にわたって維持できたのである。
それが五賢帝の時代が終わるとじょじょに、法律が改悪されたり、キリスト教が広まってついに公認されるにいたり、昔のローマの面影は失われていく・・・。
それとともに坂を転がり落ちるようにローマという国も衰退していくのだ。

ともあれ、現実主義に貫かれたローマという国のシステムは、きっと現代の政治にも生かせるし、気骨の塊のようなローマ人の生き様には、
骨抜きになった現代人にもいい薬になろう。

いや~感動した!

夢をかなえるゾウ

2014年06月30日 | 


学生の頃から成功哲学の本を読みあさるものの、実行に移せたためしがないイタイ自分ですが・・・(^_^;)

オモロイよこれ!(笑)

ここで説かれている成功メソッドは、どれもどこかで読んだことがあるような内容だけど、関西弁のインチキくさい神さま(ガネーシャ)が、主人公に課題を与えていくという小説スタイルが斬新でユニーク!

ガネーシャのキャラが強烈すぎて、ついつい読んでいて笑ってしまう^^

とはいえ単なる自己啓発のハウツー本に陥らない、軽薄なユーモアの裏に、人生哲学的な深さも持ち合わせているから、まさにこの本は「あなどれない」のである。


~ネタバレ注意(最後のシーン)~


「成功しても、成功せんでも、気張って目標に向かって努力しても、ついに誘惑に負けて寝てしもても、ワシ、自分(お前)のこと好きやで。~略~」

「成功だけが人生やないし、理想の自分あきらめるのも人生やない。ぎょうさん笑うて、バカみたいに泣いて、死ぬほど幸福な日も、笑えるくらい不幸な日も、世界を閉じたくなるようなつらい日も、涙が出るような美しい景色も、全部全部、自分らが味わえるために、この世界創ったんやからな」


そしてガネーシャは言った。


 「世界を楽しんでや。心ゆくまで」




そう言ってガネーシャは消えていくのでした。

グッときました・・・

市塵(上・下)

2014年06月15日 | 


ちょっと前に読了した、藤沢周平「市塵(上下)」。

貧しい浪人儒者から立身出世し、
時の将軍、家宣の絶大な信頼を得て「正徳の治」と呼ばれる幕政改革に努めた、新井白石。

朝鮮使節待遇の改定、貨幣改鋳、武家諸法度改定など、次々と改革を推し進めるも、家宣が薨去し吉宗の代になって遠ざけられて失脚し、市中の人に戻っていく・・・。

貨幣改鋳については、経済学的に評価の分かれるところですが、
横行していた収賄や汚職を廃すための勘定吟味役の設置は、高く評価できると思います。

また、痛快だったのは、上から目線でいちいち難癖をつけてくる朝鮮使節に対して、彼我対等に徹し、一歩も引かない毅然とした白石の姿勢です。
しかしだからと言って、朝鮮使節を軽んじることなく、客人として真心を込めてもてなす誠実の人、白石。

そしてイタリア人宣教師シドッチとの対話。
子どものような好奇心で、シドッチから貪欲に西欧の知識を吸収し、それが後に「西洋紀聞」としてまとめられます。

とにかく博覧強記で著作も膨大。漢詩でも当代第一人者。

儒者でありながら観念に縛られず、使ってこその学問だという現実主義者。ときどき出てしまう人間くさいとこも可愛らしい(笑)

そして何より、国を動かすほどの実権を持ちながら、私利私欲を求めず、真摯に誠実に生きた生涯に脱帽です。

うちの寺(龍寳寺)のある玉縄植木が、白石公の知行地であったことを誇りに思います。



写真は玉縄小学校の校歌にも歌われている当寺の新井白石公ゆかりの石碑。

拙文を最後まで読んでくださった方ありがとうございました!

P.S.市塵には書かれていませんが、白石が皇位断絶にならないために創設した新しい宮家、閑院宮家は、今上天皇の系統です。天皇家にとって、いや日本にとって大恩人かも・・・

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

2014年03月13日 | 


アドラー心理学の基本概念が対話形式で明かされており、
人生に生かせる素晴らしい内容でした。

透徹した人間観察に基づいたアドラー心理学は、現代人の心の問題にかなり有効だと思います。

確かに、彼の思想は人によっては毒にも薬にもなるでしょう。

しかし、毒も使い方しだいで、不治の病の特効薬にもなりえる。

それだけ、革命的な心理学、哲学だと言えます。

特にすべての教育者にとってアドラーが常識となることを切望してやみません。

『悪韓論』 室谷克実(著)

2013年11月04日 | 


韓国という国が抱えるさまざまな闇が述べられています。

この国と無理して仲良くする必要はないという結論に至りました。

日本に生まれて、日本人でよかったです。

カミさんの親友(台湾人)の旦那さんが、中国東北地方にルーツがある韓国人(現在、台湾籍かも?)なんですが、

生まれ育った韓国も韓国人も大嫌いで、逆に高校から大学時代までを過ごした日本が大好きとのこと。

韓国の徹底した愛国教育でも洗脳できないほど、この国の抱える闇は深いのだと知りました・・・。

話し合いで解決できる相手ではないです。

距離を置く。そして可能な限りコミットしない。ただし捏造された反日宣伝には断固とした態度で臨む。

それが韓国に対して取るべき、日本の在り方なのだと思います。


『ローマ人の物語』塩野七生

2013年10月14日 | 
今日は法事もなかったので、読書三昧しました。

相変わらず塩野七生さんの『ローマ人の物語』にハマっています。

現在20巻目。

しかし、塩野さんの書くローマ人だから生き生きしているのか、

ローマ人自体が生き生きしていたのか・・・

それまで抱いていた古代ローマという国、ローマ皇帝へのイメージが一変!!

いまティベリウス→カリグラ→クラウディウスまで来ました。

皇帝ティベリウスがまた渋いんだよな~(〃∇〃)

愚直で不器用で内向的だけど、使命感、責任感の塊のような男なんです・・・。

彼に限らず多くのローマ皇帝はストア学派の影響を受けていたようです。

ローマ皇帝はじめ、古代ローマの優れた政治家には、意外にも自分の私利私欲には淡白な人が多い!

公(おおやけ)のために生き、公のために死すといった・・・

とりあえず、カエサル、アウグストゥス、ティベリウスは鉄板です!!かっこよすぎる(*ノ▽ノ)

憧れのアウレリウスの巻まではまだまだだ~(>_<)

『AKB48論』小林よしのり

2013年10月04日 | 


小林よしのり氏のAKB48グループ(AKB48、SKE48、NMB48、HKT48)への惜しみない愛が溢れて止まらない、かなりガチで熱のこもった作品。

氏はつねにガチな人であり、決して御用学者、御用漫画家ではありません。

氏のAKBやアイドルに対する考え方にもおおむね共感できました。

若い子に限らず、ちびっ子からお年寄りファンまで、かくもAKBが熱狂的に愛されるのはなぜか?その理由がここに示されています。

また、AKBの恋愛禁止条例、握手会のあり方、CD大量購入へのアンチの批判について、一つ一つ真っ向から論駁していく姿勢には溜飲の下がる思いがしました。

また、AKBの人気が上がっていくのとは反対に、一時あれだけ注目を集めた韓国のアイドルユニットが軒並み衰退していったのはなぜかについても触れられています。

AKBが結成されてまもなく8年!

AKBは宝塚のような日本を代表するエンターテインメントとして定着するかどうか、前田敦子はじめ、有名メンバーが次々と辞めていった今、これからが試金石でしょう。

AKBが出てきてから音楽番組がつまらなくなったという声を聞きますが、果たしてそうでしょうか?

むしろその前から、リズムやノリばかりでハートに訴えてくるような歌手やグループが少なくなってきたように思います。

現在、AKB全体で700曲くらいの数の曲があります。
ヘビロテとかポニシュシュとか、みなさんが知っているシングル曲はその中のごく一部に過ぎません!まさに宝の山です!

胸がキュンとなるような曲、切なくて涙が流れてしまう曲、優しさで心が満たされる曲、などなどAKBには感動する曲がたくさんあります

それだけ奥の深いAKB。

本書をきっかけにちょっとでもAKBに興味を持ってくれたら幸いです。

この一大ムーブメントを理解できない人には現代日本社会は語れないはず!

永遠の0(ゼロ)

2012年06月05日 | 
『永遠の0(ゼロ)』(百田尚樹)という小説を読んだ。

神風特攻隊の話である。

浅田次郎氏の壬生義士伝に構成が酷似しているが、
臨場感に溢れており、あたかも自分が戦場にいるかのように錯覚した。


悲しく、辛く、やり切れない思いで胸が一杯になる・・・

しかし、悲しみの向こう側にある、この透き通った美しさはなんだろう。

人がエゴイズムを超越して「無(ゼロ)」になったとき、

その人の命は「永遠」と呼ばれる何かに昇華するのかもしれない・・・。

ただ決定的に悲劇なのは、その方向が殺し合いの戦争に向かってしまったことである。


だからと言って、平和な生活を享受しているわれわれが、彼らを、そして当時の日本人を裁くことはできない。

彼らは愛する者を守るために戦うほかなかったのだ。

国を守るとは、愛する者を守ることにほかならないのだから。


はたして、今の私たちに、愛する者を守るだけの精神は残されているだろうか・・・。


さて、仏教のコンセプトでもある「無我」はともすると戦争に都合の良い「滅私」にも結びつけられやすい。
実際、当時の仏教者たちによってそのように宣揚されていたのも事実である。

しかし「無我」とはエゴ(我)を殺すことではなく、エゴ(我)とは本来「無我」であることを覚ることである。

このへんもうちょっと自分の中で整理するために、岡野守也氏の『空と無我』を読み返す必要があろう。

読んで損はない本。


星4つ★★★★

私はなぜ「中国」を捨てたのか

2010年12月25日 | 
現在、中国批判、保守派の論客として知られる石平氏が、なぜ中国国籍を捨て日本人となるに至ったのか・・・。

毛沢東を崇拝していた少年時代。
民主化運動に傾倒し、天安門の敗北と挫折を味わった青年時代。
夢破れ、虚偽と欺瞞で塗り固められた政府に絶望し、抜け殻のような生活を送る日々。

そして日本留学時代。

次第に氏は日本の中に、中国人が理想としながら実現できなかった桃源郷を見出し、祖国を捨て日本人となることを決意するにいたる。
果たして彼は裏切り者だろうか・・・。
否、祖国を愛しているがゆえに、どうしても現状の中国を許すことができなかったのではなかろうか。
中国人のままでいれば、中国政府を批判できなくなる。だから祖国を捨てざるを得なかったのである。

彼こそ、真の愛国者ではなかろうか。

私には行間から氏の慟哭の声が聞こえた。
祖国を愛するがゆえに祖国を捨てるとは、どれほどの悲しみだろう。

日本文化に対する洞察も深く、改めて日本の素晴らしさに気付かされた。しかし、氏が感動してやまない、日本人の精神性も今や崩壊寸前である。
私たちはこれまで先祖たちが築き上げてきた日本の精神的遺産を食い潰してきてしまった。

しかし、われわれの根っこには先祖の遺徳がしっかりと残っている。これから、その根に水や肥料を与えて育てていかなければならないだろう。すなわちそれは「教育」にほかならない。

満点

驚異の仏教ボランティア―台湾の社会参画仏教「慈済会」

2010年12月02日 | 


台湾の仏教界において、いや台湾社会全体において、特異な存在感と、圧倒的な影響力を持つボランティア団体、「慈済会」の活動について紹介されている。

慈悲喜捨、菩薩行の実践という仏教精神に根ざしつつも、一宗教という枠組みを超えて、世界中ダイナミックに展開されるボランティア救済活動。
證厳法師というカリスマ的仏教指導者を中心としながらも、驚くことに会員は必ずしも仏教徒である必要はないという。
なんと慈済会の在家幹部であっても、個人の信仰する宗教はキリスト教でもイスラム教でも問題ないのだ。
それは慈済会が他者救済の一点にこそ、普遍的な真理を見ているからにほかならない。

現在、慈済会の会員は400万人と言われているが、それが本当なら台湾人のまさに約6人に1人が会員ということになる。もともと宗教に対して尊崇の念を抱いている台湾の人々に、その活動はまさに燎原の火のごとく広がっているようだ。台湾政府でさえ、その貢献に一目も二目もおいているという、いや、それどころか慈済の福祉活動の予算は政府のそれを遥かに凌いでいるとのこと。
また、こうした慈済の活動は、物質的な面に限らず、台湾人の精神面、倫理規範にも大きな影響力を及ぼしているように感じられてならない。会員の真摯な菩薩行は、非会員の一般人にも確実に慈悲の種を植える。その結果、慈済活動の展開において台湾人全体の倫理の底上げがなされているのではないだろうか。

慈済では、教えとしての仏教ですら、他者救済、理想的世界のための方便(ツール)に過ぎないのかもしれない。極論すれば慈済において「宗教」という枠組はなんでもいいのだ。「他者を自分のごとくに愛し救う」、そこに人間世界の普遍的な価値、究極の真理を見すえている。そういう意味で、きわめてプラグマティックであると同時に、宗教を超えた地球スケールの可能性を秘めているといっても過言ではないのだ。

しかし、やはり一方でその活動に法華経の精神が浸透しているのも事実だ。
一人ひとりが「地湧の菩薩」という自覚に基づき、本気で仏国土を作らんとしている団体、それが慈済である。

それは、ひとつの宗教的な奇跡と言ってもいいだろう。