一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

「至誠奉公」 山本五十六元帥の書に思う

2007年05月06日 | 哲学・思想・宗教
当寺本堂に掲げられている山本五十六元帥の書。

「至誠奉公」の扁額。

数十年前、元軍人の家柄だった檀家から寄付していただいたものだ。

正直、9年前に当寺に来たときは、「なんて時代錯誤な、けったいな代物が掛けてあるんだ…」と、どこかで恥ずかしく思っていた。

そう・・・私も当たり前のように、歪んだ戦後教育、自虐史観の洗脳を受けていたのだ。

当時はそのことにすら気付かなかった。

だが、歳を重ねるごとに、学びを深めるごとに、私のこの書に対する思いは着実に変化してきた。

いまや、「至誠奉公」のこの額に対して、なんら後ろめたさを感じることはない。

それどころか、なんと美しい言葉か・・・と感銘されてならないのである。

「至誠奉公」

まさにこれこそ、世界に発揚すべき誇り高き日本精神にほかならないではないか。

「公に対して真心を尽くして行動すること」と訳してみた。

では「公」とは何か?

「公」とは、広く他者と同定しても誤りではないだろう。

「誠」とは、すなわち「まごころ」、「正直」であることにほかならない。

つまり、至誠奉公とは、「他者に対して正直に接し、精一杯のまごころを尽くす」ということである。

戦争時代、「公」はそのまま「国」であった。

この方向性自体に断じて間違いはない。

ただその内容に多くの不幸があったということだ。

つまり、それが悲惨な戦争に結びついてしまったということ。

しかし、これについても現代の視点で一方的に断罪することはできないのである。

当時には当時の選択があったのだ。

それがどうしようもなく悲しく不幸な選択であったとしても、だ。

たとえ過ちであったとしても、否定されるべきではない。

しかし、現代は戦後教育により、「公に真心を尽くす」という、この高邁な日本精神、素晴らしい方向性自体までが否定されてしまった。

日本精神が骨抜きにされてしまったのだ。

いつしか日本人が日本人であることに後ろめたさを感じることが、日本人の良識だとするような考えがコモンセンスとなった。

同時に「国」、「国家」という概念的枠組み自体が危険視されるようになった。

なぜか。

こうした考えが、反日マスコミや、一部の政治家、日教組系教育者、市民団体、進歩的知識人と称する者たちによって流布されたからである。

自分たちの先祖を「悪」と断定することによって、自分たちは正義の味方だと気取る人たちのことである(しかし彼らにもおそらく悪意はない、無自覚のうちに結果としてそうなっているにすぎない、だから余計にたちが悪い)。

彼らは、せいぜい、「市民」という得体の知れぬブヨブヨした概念を持ち出して、国の代用をしようとするのが関の山である。

いったい「市民」ってどこのどいつのことだ・・・。

だから大人も、若者も、どこに向かって歩いていけばいいか分からなくなってしまったのだ。

「至誠奉公」が死語になったとき、崇高な人生の模範は失われてしまった・・・。

そこで結局、「人生は自分の欲望を満たすためにある」、という考えに至ることになる。

そこに充足した「生」はない。

人間は、健全なアイデンティティーを確立することが必要である。

アイデンティティーを確立するとは、自分の依って立つ「世界観の枠組み」を構築すること、と言ってもいいだろう。

これがしっかりと確立し肯定されていないと、人間が生きる上でのベースとなる自信が築けない、また生きていてもどこか虚しくなってしまう。

そして、その虚しさを紛らわすための「気晴らし」が次第にエスカレートしていき、底のない快楽主義に陥ってしまう。

現代はまさに、こうした悪しきデフレスパイラルにあるのではなかろうか。


祖国を愛するということは、「右」でもなんでもない。

その国に生きる人間として当たり前のことではないか。

祖国を愛せない人間は、他国を愛することもできないだろう。

この国を愛し、この国を少しでも良くしていこうと真心を尽くすこと。

それが、ひいては世界を、地球をよくしていくことに繋がると確信する。

そこに繋がらなければ、それはただエゴと目先の利益に踊らされているだけで、長期的な利益とはならない。


国と言う概念は、仏教から言えば確かに「分別知」であろう。

実にここが難しい・・・。

しかし、あえて提言したい。

仏教の立場から言えば、「国家」というものは確かに分別知であり、妄想に過ぎないわけだが、人間は言葉を使う動物である以上、この分別知に依拠しないとまっとうな社会的生活が営めない。

そこで、「国家」という枠組みをMUST化も絶対視もしないが、「国家」が私たちがよりよく生きる上で必要な枠組みである以上は、最大限に尊重していくというスタンスが考えられる。

分別知は、いつも悪者であるとは限らないのである。

まだ、世界人類には「国」という概念の枠組みが必要であり、一足飛びに「世界市民」などというのは、それこそファッション左翼の妄想に過ぎない(過去に私にもその傾向があったと告白しておく)。

「国」という枠組みに囚われないでいつつも、しかしなおかつあくまでも「国」を愛し、「国」のために尽くしていくという生き方。

それは、決してフワフワ「軽い」祖国愛ではない、活き活きと「軽やか」な祖国愛なのである。

そして、そうしたあり方は、そのまま、大宇宙(コスモス)、そして、自分の生き方を荘厳していくことにほかならない。

つまり、「仏国土荘厳」ということだ。

とは言え、われわれ日本人も、心情にばかり傾いた安直なナショナリズムには警戒すべきだろう。

そうなった途端に理性的な判断ができなくなるからである。

隣の韓国、中国は、偏狭なナショナリズムによって世界から孤立し、いずれ自らの首を締めることになる可能性が高い。

日本としての誇りを持ち毅然とした対応をしながらも、彼らと同じ土俵で相撲を取ってはいけない。

つまり、彼らの感情的で不条理な反日に対し、同様な、反韓、反中で対抗してはいけないということだ。

そこに解決の糸口はない。

むしろ日本人は、彼らのような低い位置にいないということを、顕示すべきであろう。

あくまでも未来志向を貫く。

日本人ならそれができるはずだ。

そこに真の日中友好、日韓友好の鍵がある(私は友好を諦めない、両国ともに好きだから仲良くなりたい)と思う。

ともあれ、ナショナリズムを超えた「至誠奉公」の道を模索しつつ実践していくこと。

これがこれからの日本人に課せられた課題となる。

幸いなことに現代、自虐史観の過ちに多くの人が気付き始めてきている。

これを国民総右傾化などという知識人こそ、特定のイデオロギーに縛られている退歩的知識人と言えよう。

私たちは、今こそ「日本人」としての真っ当なアイデンティティーを回復し、「国のために誠意を尽くす」というあり方を目指さなければならないのである。

とは言え、この私に具体的にどんなことができるのか・・・自問されてならない。

今の時点ではとにかく方向性が定まったということだ。


今回の連休は、特に台湾の歴史に関する書物を読むのに費やした(中華圏のポップスを聴きつつ・・・)。

このことは、私の日本人としてのアイデンティティー確立のために、はかり知れない示唆があった。

清々しい気分だ。

新緑がなんと美しく輝いて見えることか。

最後に、日本のことを祖国のように大事に思ってくださる心優しき台湾の人々に、心からの感謝の意を捧げたいと思う。

これからも、この山本五十六元帥の書を大事にしていきたいと思う。

日本精神を伝える言葉として。


<追記>

それにしてもC-POP最高です♪♪

中華圏も最高!

中国語の響き、大好き!

これらを通して、日本語の美しさ、日本のサブカルチャーの良さも再発見しています☆

まとまりのない駄文ですが、今回は久しぶりに力が入りました。
それだけ、私にとって「日本人」と言うアイデンティティーの問題は大きかったのかもしれません・・・。

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (だっくろ)
2007-05-06 21:52:11
上記のRYOさんのご意見に私なりに感じることを記したいと思います。

私は思想的にははっきり言って左寄りの傾向があるので、正直違和感を覚えてしまいました。(すみませんね)
しかしRYOさんの意見の中ではっきり共通点を感じたのは、近隣(中・韓両国)国との関係性をどのように導いていくか、という方法論です。

日本の保守系の方々は何かとお隣の国の方を敵視しがちですが、それではあちらの幼いナショナリズムと同レベルに陥って何の未来性を持たなくなってしまいます。一歩引いて冷静な目を持って模索していくことが最善の方法だと私も強く感じます。

中国人や韓国人と接したことがない方々は誤解されていますが、彼らはそれほど日本人に対して過敏に嫌悪感は抱いていません。初対面でも親しみやすく友達になりやすいですし、熱いハートを持っている人々と感じます。遠方から訪ねてきた人を熱烈に歓待する習慣が息づいているからでしょうか。

私の出身地は京都でご存知のとおり一時共産党の基盤が最も強い土地で生まれ育ち、赤旗新聞を購読する家庭で大きくなりました。ですから、体の中に左翼的な思想がこびりついている人間です。
けど以前から彼らの主張は正論ではあるけれど時代にそぐわなくなってきているとも感じています。

RYOさんのような方の意見もこれから聞いたりしながら、この複雑な時代にどのようなアイゼンティティを持って生きていけばいいのか、模索中していきたいと考えています。

こんな私でもよろしければ、これから色々と意見交換させていただければ、と考えています。宜しく御願いします。
返信する
コメントありがとうございます。 (りょう)
2007-05-07 07:23:03
だっくろさん、おはようございます。
コメントとても嬉しく思いました。
誠実な方なんですね。
共通点を探してくださる姿勢に真心を感じました。

>私は思想的にははっきり言って左寄りの傾向があるので、正直違和感を覚えてしまいました。

もちろん謝る事はありません。
お気持ちは分かりますし、私もまたそのような環境下にあれば、左よりの思想になっていたことでしょう。それはもちろん、間違ったことではない。
本や学び、人、すべては出会いだと思います。
京都、そうでしたね。。。リベラル?の牙城でした。

ただこれは私の持論ですが、何が正しいとは究極には言えなくて、ひとつの事実に対していろんな解釈が可能だと言うこと、大事なのは、この時代に即してどのような解釈を選択していくことがベターなのかを見極めることなんではないかと考えています。

>一歩引いて冷静な目を持って模索していくことが最善の方法だと私も強く感じます

この点で共感していただいて嬉しいです。
私たち自身、心情的で幼稚なナショナリズムは警戒すべきですし、それをもって彼らと対抗したら、それこそ関係は泥沼化することでしょうね。

>中国人や韓国人と接したことがない方々は誤解されていますが、彼らはそれほど日本人に対して過敏に嫌悪感は抱いていません。初対面でも親しみやすく友達になりやすいですし、熱いハートを持っている人々と感じます。遠方から訪ねてきた人を熱烈に歓待する習慣が息づいているからでしょうか。

分かります。
だっくろさんはとくにお仕事などでも、行かれているようですから、実感されるのでしょうね。
私も先日、中国に行きましたが、中国人一人ひとりからは、「反日」という印象はほとんど受けませんでした。
仰るように、きわめて熱くて、エネルギッシュで人懐っこい人々ですよね。
サービス精神旺盛な一面もあるし。
中国人のメンタリティには、とても関心がありますし、心から仲良くしたいなと思います。
中国映画も大好きです。
ただ中共には、正直警戒心を抱いています。

韓国にはまだ行ったことがないですが、「キムチ」と「チャングム」をこよなく愛している者です。

少し脱線しましたが、私もまた、日本人がナショナリズムに偏った書籍や、ネット情報の影響で、中国人や、韓国人に対して過敏な排他感情を抱くことを警戒します。

とは言え、あちらの過度な反日行動を見せ付けられると、ついカッとなってしまうのも事実ですが。。。冷静にならなければなりませんね。

ともあれ、これからもできるだけバランス感覚を保ちながら、どのような解釈の選択が妥当かを見極めて行こうと思っています。

意見交換、もちろん歓迎します。
私も自分の考えに固執する気はありません、つねにベターを模索する姿勢でおります。
これからもよろしくお願いします!
返信する
だっくろさんへ (りょう)
2007-05-07 08:02:26
以前書いた、温家宝首相来日についての記事です。
お時間のあるとき、お目通しいただければ幸いです。
http://blog.goo.ne.jp/munekuni1973/c/47be52a478044cf7511d03aefa99416a/1
返信する
非常感謝! (だっくろ)
2007-05-07 20:34:30
こんばんは。メッセージありがとうございます。

実は昨日メッセージをお送りした後読み返したら、喧嘩を売っているのかと取られかねない舌足らずな文章やな~、あちゃ~やってしまったと後悔しておりました。
しかし、私の投げかけを正面から受け止めていただきボールを投げ返していただいたRYOさんの度量の大きさに感服しました。
縁あってこういう場で折角知り合う機会を得たわけですから、最初に自分のバックボーンを偽らずにお伝えしておいたほうがいいと判断して嫌われるのを承知で上記のような文章を書いたまでです。
こんな私を受け入れていただき感謝感激です。

温首相来日に際してのRYOさんの見解、拝見しました。
これから(現時点でそうですが)特に経済分野で日本と中国は切っても切れない間柄になりますので、せめてトップ同士の往来は途絶えることなく続けていってほしい。心からそう感じます。
歴史認識の問題(私自身も中国政府が行っている反日教育には腹立たしさを覚えます)はそれぞれの国内事情もあり解決は困難でしょうし、時間もかかると思いますが今はそれぞれができることからやっていこう、という姿勢が見られていい関係に向かっている最中だと思います。

それにしてもRYOさんの中国に関する知識、多岐に渡っており驚きました。(シュー・ジンレイがお好きというのがなかなか着目点がナイスですね)
私も今まで中国映画は色々見て感銘を受けました。
映画の話もおいおいとしていきましょう。

では、また
返信する
没有的話! (RYO)
2007-05-07 22:32:32
だっくろさん、こんばんは。
再コメント有り難うございます。

没有的話!(使い方合ってるかな?)
とんでもないです。
こちらこそ、だっくろさんの真っ直ぐなお人柄が滲むメッセージに清々しさを覚えた次第です。

思想信条の面で食い違うのは、ある程度仕方がないことだと思います。
世界観というのは、それこそ千差万別ですから。
それを言葉の力でねじ伏せようとすることほど不毛なことはありませんよね。

異なる思想的立場にあっても、お互いの共通点を見出そうとするだっくろさんの姿勢に、私の方こそ感銘しました。
それこそ、私の求めている対話のあり方です。

せっかくいただいたご縁ですから、どうぞこれからもよろしくお願い致します。

温家宝首相の記事を読んでくださってありがとうございます。
歴史認識の問題、これこそ日中間最大の関門であることは間違いないようです。
しかし、おそらくこれから中国共産党の反日教育も穏やかな路線に変わっていくことでしょう。
時間はかかるでしょうが、少しづつ中国国民の日本に対する認識も変わっていくのではないかと期待しています。

仰るとおり、定期的にトップ同士が往来しあって会談し、互いの意思を交流することが必要ですよね。
そうすることで、これまでの疑心暗鬼の状態から、信頼関係とまで行かなくとも協力関係に変わっていく。

ハイ、かなり徐静蕾迷なんです。。。老徐命。。。汗
今のところ私が世界で一番好きな女優です(笑)
中国映画は、本当に奥深い。。。芸術性も高い。
本ブログの「映画カテゴリー」で、いくつか映画批評もしていますので、駄文ですがお暇なときにご覧いただければ幸いです。
チャン・イーモウは偉大なり。

では、また。
返信する
本日はありがとうございました (mt)
2011-05-26 17:12:45
まだ作業中なのですが、URLに示した米国潜水艦に関する本の中に出てくる植木の海軍俘虜収容所について調べていて、今日で二度目のお参りをしました。

帰ってからこのページに至り、昭和18年春ということで疑問も解消しました。ありがとうございます。

ただ、調べていて
http://www.kamakuraguu.jp/index.html
http://moon-water.org/beautiful/kamakura/20080823kamakuragou/index.htm
こちらにあるもののどうも複製のように見受けられたので、念のためお知らせするものです。

書いてある言葉も、海軍兵学校の五省の第一からくるものであり、檀家さんを通じた海軍とのゆかりを示す意義を減ずるものではありません。お気付きであればご容赦下さい。

mt

返信する
コメントありがとうございます。 (りょう)
2011-05-29 12:44:48
>mtさん

玄関の方にいらして扁額について御質問された方ですね。
揮毫した正確な年月をお答えできず、申し訳ありませんでした。
こちらで分かってよかったです^^

ところで、リンクを張っていただきありがとうございます。
なるほど・・・八幡宮の書と比べてみましたがまったく一緒ですね。驚きました。ご指摘の通り、複製の可能性はありますね。
ともあれ、これからも寺宝として大事にしていきたいと思います。
返信する
山本五十六元帥の自筆ですか。 (中秀)
2016-02-08 20:59:40
誠の字が、山本元帥の自筆の字と、違うように思います。
山本元帥の自筆に、間違いありませんか。
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