弘誓深如海(ぐーぜいじんにょーかい) 歴劫不思議(りゃっこうふーしーぎー)
侍多千億仏(じーたーせんのくぶつ) 発大清浄願(ほつだいしょうじょうがん)
妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈、通称「世尊偈(せそんげ)」の一節です。
永遠の釈迦牟尼仏(歴史上の釈尊を含んで超えた永遠の仏)が、観世音菩薩について無尽意菩薩に説明をします。
つまり、「無尽意菩薩よ。観世音菩薩はこれこれこのような菩薩である」ということを縷々述べているのが、通称、観音経とも言われる、法華経の観世音菩薩普門品と言えましょう。
先述の一節を訓読すると、
弘誓(ぐせい)の深きこと海の如く 劫(こう)を歴(ふ)とも思議せられず
多千億の仏に侍(つか)えて 大清浄(だいしょうじょう)の願を発(おこ)せり
となります。
口語訳すると、
永遠の仏が説きました。
(無尽意菩薩よ)一切衆生を救わんとする観世音菩薩の誓いは、海のように深く、数千億年もの長い時間をかさねても、はかり知ることができないのです。
観世音菩薩は、無限と言えるほどの幾多の仏に仕えて、そのつど清らかで大いなる願いをおこしたのです。
次に詩的に飛訳(造語)して読んでみましょう。
永遠の
仏は説きました
まごころをこめて説きました
無尽意よ
あなたがたよ
観音さまは
一切衆生を救わんと
海のごとく
深い誓願をたてられました
あなたたちには
永遠にそのわけを
想いはかることは
できないのです
観音さまは
はるか無限の過去から
無限の仏につかえてこられ
そのつど誓願をおこされました
大いなる清らかな誓願
それは
一切衆生を
この世の生きとし生けるものを
この大宇宙のすべての存在を
もれなく救うまでは
決して仏にならないという誓いです
それが観世音菩薩の誓いです
以上、独りよがりな解釈を施してみました。
観世音菩薩は一切の功徳を有する菩薩であり、その気になれば一瞬にして自ら仏の境地に安住することができる方です。
ですが、無限の過去から、無限の仏に仕え、一切衆生を救うという大清浄願をおこしてこられた。
まさに、ここに大乗精神の結晶があります。
以下は、道元禅師の言葉です。
設(たと)ひ仏に成るべき功徳熟して円満すべしといふとも、尚ほ廻らして衆生(しゅじょう)の成仏得道に回向するなり。
或いは無量劫(むりょうごう)行ひて衆生を先に度(わた)して、自らは終に仏に成らず、但し、衆生を度し衆生を利益(りやく)するもあり。
<意訳>
もし、たとえ、自分に仏になるべき功徳が円満し熟していようとも、なおその功徳を廻らして、迷える人々を成仏させるために振り向けるべきである。
さらには、永遠に生を繰り返しても、迷える人々を先に救って、自らはついに仏にならない者もあり、とにかく迷える人々を救いとらんとその利益のために生きる者もある。
つまり、もう修行が完成して仏になれるのにもかかわらず、あえて仏にならずに留まって、すべての迷える人々、すべての迷える生きとし生けるものを救済せんとするのが、すなわち「菩薩の道」である、ということです。
そして、たとえそれが七歳の女の子であっても、この菩薩の心をおこして行じていけば一切衆生の導師であるとさえ、道元禅師は言い切っています。
観世音菩薩こと観音さまは、永遠に私たちを慈愛の眼でお見守りくださっています。
どんなことがあっても私たちを見捨てません。
私たちがどんな悪人だろうが、温かく見守ってくださります。
とは言え、時には厳しいときもあるかもしれない・・・
それは、大悲あればこその厳しさです。
観音さまは大宇宙に満ち溢れる慈悲のはたらきと言ってもいいでしょう(ってこんな風に簡単に言い切っちゃっていいかしら)。
この世界に宇宙がある限り、観音さまはつねに私たちとともにあるということです。
だから、どんなことがあっても大丈夫。
だいじょうぶっ教ですから(笑)
困難も不幸もなんのその。
元気出していきましょう!
勇気出していきましょう!
南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)。
言いにくいな・・・という方は、
オンアロリキャソワカ(聖観世音菩薩の真言)でも、
観音さま~大好きだよ~!
でもいいでしょう♪
大乗仏教は素晴らしい・・・つくづくそう思います。
泣けてきます・・・大乗仏教・・・
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