それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

研究進捗

2010-07-18 20:25:53 | 日記
鬱に苦しみながらも、じっくり待った末、ついに決着をつけるべく、先週書いた論文を読み返す。

苦しんでいる間進めた研究は、結果的にとても良かった。後半は精神状態のために集中力を持続できる時間がひどく短くなっていたが、なんとか持ちこたえられたのではないか。

先週書いたものの、前の章にあたる論文はまだ書いていないが(書くのは一番最後)、デザインと方法論はかなり進展があった。



それにしても自分で書いておきながら、この論文は長い。そして濃いと自分では思う。

これはプロジェクト全体の一部であるから、まだもっと長いのだけれど、この濃さで全編通せたら理想的だ。

読みなおしは前回よりも楽。英語が比較的ちゃんとしている。イギリスに住んでいるのは伊達じゃないのか、思い込みか。



あと数日で決着をつけ、一度提出したい。そのあと、9月頭の研究会の準備をさらに急いでしないといけない。

鬱の数日間、本プロジェクトとは別に、その9月研究会の準備もやっていたが、なかなか進まない。見えそうで見えない。大まかな雰囲気や構成は見えてきて、日本の指導教官とも相談したが、論文として仕上がるには、もっと研究が必要。

この9月の研究は実際のところ、僕がずっとやっている本プロジェクトの試論でもあり、すべてはつながっている、はず。

アマチュアを操作するプロフェッショナリズム:日本流のショウビズ

2010-07-18 03:33:54 | 日記
*○は伏字。もはやクイズ・・・。


日本のショウビズにプロフェッショナリズムがないという主張を村○龍が行っていたという。

なるほど、日本のアイドル文化はまさにその象徴かもしれない。

ライ○スター宇多○のアイドルについての定義は白眉。

「アイドルとは、その人物の魅力に基づき、ファンがその実力の不足分を補う存在」(うろ覚えの定義でごめん)。

すなわちアイドルは実力不足だからこそアイドルであり、それが許される魅力そのものがアイドルの本質だというのである。

モー○ング娘、○KB48、ジャ○ーズの様々なグループ。

おそらく多くの聴衆が、こうしたアイドルの実力がプロフェッショナルと呼べるほど、少なくとも、欧米のショウビズで要求されるような水準には至っていないことを認めるだろう。

ところが、トップアイドルの人気はすごい。実力がその人気と無関係だとは思わないが、歌それ自体、踊りそれ自体の上手さとは違う位相にあると言わざるを得ない。

しかし、実力が必ずしも人気と関係なかったとしても(その主要原因ではないとしても)、アイドル誰もが売れるわけではない。

トップアイドルに隠れて売れなかった「アイドル」は沢山存在する。

では一体、何が売れる売れないを左右するのか?

その難しい問題をここで書けたら、自分はプロデューサーになれるのであって、自分には全くその才能はない。

アイドルをどのように売るのかは難しい。おにゃ○こで日本を席巻した秋○康はさすがなのであり、それを再び○KB48で成功したのである。

ジャニーズもメディアや企業と癒着した強力な構造を利用しているにしても、その売り方はさすがなのである。

なるほど、たしかに日本のショウビズにはプロフェッショナリズムはないだろう。

ダンスも歌もアマチュアのレベルを許す。

聴衆はむしろそれを求めてさえいる。

しかし、下手ならいいわけではない。大事なのはそこだ。

モー娘が売れ、そして没落する間、なぜドリームは売れなかったのか。パ○ュームは売れたのに、なぜコスメティクスは売れなかったのか。

キャラクターの作り方、提供される楽曲などなど、素人であるアイドルの裏には、高度なプロフェッショナリズムが隠されている。

それ無しには売れないのである。

この裏のプロフェッショナリズムは、現在の社会と近い将来の潮流を的確にとらえている。さらに、人間の五感をどうすれば高揚させられるか、よくよく知っているのである。

それはまさに一種の魔術でさえある。

その点で、日本のショウビズにはプロフェッショナリズムが存在する。

こうしたプロフェッショナリズムの位置の差異こそが、日と英米のオーディション番組の性質を決定的に分けているのである。