それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

論文提出しちゃえ、ポジティブに頑張れない、そっくりさん

2010-07-19 17:30:41 | 日記
ラジオを聴きながらビブリオを作ってみたら、案外大変で、完成直後感じたのが、このペースで作業したら、一年後自分はおかしくなっている可能性があるということだ。

とにかく章としては完成しているわけで、自分としては翻訳さえできれば、それ自体どこかに発表してもバチは当たらないんじゃないかなと思うなわけで、一旦、指導教官ふたりにメールで提出することにした。

8月頭締切でと言っていたが、2週間早くなった。そもそも締切設定自体、かなり大胆に長く取ったので、想定内と言えばそうだが、指導教官の方はおそらくそんな僕の想定は知らないから、急に早まったと取るだろう。

しかし、逆に前回のアウトライン承認前には、「もう次の章を書けるから」と大きく出つつ日本に帰り、締切日までに半分だけ書いて(しかもその英語がぐちゃぐちゃ)出すという己の限界を見せつけたので、その点で、そんなに驚きはないだろう。(結局、「全部書いてからもう一度出してくれ、その時読む」と言われる。そりゃそうだ。)

そして、とにかく指導教官が僕の論文を読んでいる間に、9月あたまの研究会発表準備をしよう。今は少しの間、読書→ノート→読書→ノート・・・作業になるので、体と精神を休めよう。



演出家・作家・俳優の松尾スズキが良いことを言っていた。

「がんばれません」がモットー。

がんばらない、ではなく、がんばれない。「能力の限界です。そんな自分だけどいいでしょう」、ということらしい。

がんばれない自分を愛する、というのはいい。

これは頑張りすぎる人とは別の処方せんのように見えるけど、頑張る人の中には「自分、頑張れていないっす」と言って、頑張りすぎるので、そういう人にもお勧めである。

松尾スズキの話を聞いていて、どこかで同じようなことを言っている人がいたと思ったら、リリー・フランキーだった。

ふたりとも九州出身。頑張れない、ゆるい大人。でもかっこいい変態的大人のイメージ。

このふたりについては色々言いたいけれども、ここではなかなか書きにくいので、やめておこうと思う(ふたりが変態でかつ、かっこいいという点がとても重要なのだが、僕がそれについて書くとただの変態になるのである)。

要するに、ふたりは似ている。確かに似ている。よく見れば似ていないが、キャラクター、ちょっと似ている。



似ていると言えば、最近、奥田民生のライブ映像(三人の侍@札幌)を見ていて、「あれ?最近、この人、別のとこでも見たな」と思ってよくよく記憶をたどると、ライムスターのマミー・Dの記憶だったことが判明。

僕の中では、このふたりも似ている。

びぶりお

2010-07-19 14:15:02 | 日記
昨日はかなりの密度で作業した。

寝てから全身の疲れを感じる。

おそらく自分で思っているよりも何かを消耗していると同時に、ストレスになっているのかもしれない。

最後の部分で新たに一節付け足すべきか検討中。

付けたしたいが、そのエネルギーがない(ノートは一応あるが、十分に見返し、整理が必要)。

これ以上、精神に過度の負担をかけるべきではない。

とりあえず今日は事務的な作業とともに、参考文献表などの単純作業に徹した方がよさそうだ。

どのみち、提出までにやらなければならない。

こういうのを僕は困った時のビブリオ(参考文献表)づくり、と呼んでいる。