それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

ワールドカップ観戦

2010-07-12 06:38:08 | イギリス生活事件簿
先ほど、デイビッドとワールドカップ決勝に行く。

デイビッドの良いところは、僕が分かっているのか分かっていないのか、あまり気にしないで英語をがんがん話してくるところである。

ある意味で僕は非常に良い聴き手なのかもしれないし、そうでもないのかもしれない。

少なくとも、僕にとって彼は人柄が非常に良い。

観戦は大学内のバー(パブ)にて。

大変な混雑。スペイン応援がかなり多く(そもそもこの地域にオランダ人があまりいないのか)、オランダ応援のデイビッドと僕は浮いていた。

デイビッドはサッカーのこととなると熱くなるのか、何やら色々叫んでいた。

今日は沢山のイギリス人とスペイン人を見た。おじいさん、おばあさん、子供も、きれいなお姉さんもである。

スペイン人が存外いるものだ。街からわざわざこちらに繰り出してきたのかもしれない。

ごった返したパブでは、人の表情や語り口を見るのが案外楽しい。多様で、陽気で、そして文明的であり、しばしば野蛮でもある。

テレビでだって見れるのに、結構な人たちがバー(パブ)でサッカーを見ようとする。

画面が大きいというだけではなしに(人だかりでかえって見づらいことの方が多い)、この混雑感やみんなのリアクションが見たくてくるのかもしれない。

友達と見るにしてもバーが良い、というのである。

バーには雰囲気がある。サッカーの雰囲気がある。木造でいかにもイギリスのパブという内装の室内で、ビールを片手にサッカーを見る。

確かにそれは家とは違うかもしれない。

イギリスに来てもサッカーを好きになるということは無いけれども、僕ですらこういう雰囲気をパブで体験するのだから、この国は大そうなサッカー国であり、パブの国であることは言うまでもないだろう。

日本の居酒屋がごくたまに恋しくなる。しかし僕は居酒屋でサッカーを見たいとは思わない。

(居酒屋なら相撲か。でも放映自粛だね。)



論文は予定のところを大方書き終えたが、枠組みとまだ十分噛んでいない気がしているので、熟考が必要と思われる。

少し立ち止まりたかったので、今日の試合観戦は良かった。

詰めていく作業はこれまた根気がいる。

消すにも勇気がいる。

焦らないでゆっくりと修正すること。僕はここからの作業が実は苦手。

書くのは早いが、そこからの修正はしばしば軸がぶれがちで、面倒を惹き起こすことがある。

気をつけねば。